数日前にIRAブログでもお知らせした、「東京バンドシーン発の被災地支援」ですが、名称を「Human Recovery Project 〜 d.i.y.音楽ネットワーク「なんでもない人らによる区別なき支援」として、現地からの報告など、サイト上で発信しはじめました。ご注目を。
http://hrp-diymusic.blogspot.com/
下の映像は、Human Recovery Projectによる石巻滞在時の記録から。
From 石巻 Ishinomaki |
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From 石巻 Ishinomaki |
私は「しっかり」できない、「冷静」でいられないのも、被害であると思うことにしました。この苦しみを今生きている人、また別の苦しみのある人...とにかく誰に「資格」
ただ「被災地」という言葉でくくりきれない苦しみを得た身体と心を、私は取り戻したい。
とりあえず、一般の方というより、いろいろな情報を浴びたり、馴れないものや見たくない見たりして疲れている横浜の母親と、留学中の友達、それから長いこと家に引きこもっ
普段から気にかけてくれている同居人や、その場に居合わせた人を巻き込みました。緑の帽子の人は親友で、昔は日本で働いていたのですが、「どう振る舞って良いかよくわから
「無理して深刻な顔しなくていいよ、向こうはそういうのテレビでずーっと見てるし、ラジオ体操さえ流れてないんだから(3.12時点)」と伝えました。リハーサルを一回し
自分自身に悲しみも笑顔も強制したくない、今生きてることを感じたいという私の気持で作ったものなので、見る人の状況によっては「良いご身分のくせに不謹慎だ」と思われる
ご意見や、他にこんな方法もあるよ、というのがあったら、自分のためにまたビデオを作りたいのです。外に出なくても、電気がなくても、友達がいなくても、障がいがあっても
1)3月25日 20時から
「レヴォリューション・ナウ!───千のタハリールへ」
イルコモンズ(文化人類学、映像アクティヴィスト)+木下ちがや(政治学)
2)4月28日 19時から
「ついに帰ってきた〈黒いアテネ〉───その思想史的地殻変動」
佐々木中(理論宗教学、小説家)+平井玄(半径1キロの思想家)
3)5月(日時など未定)
「タハリール広場からアズハル大学まで───エジプトの人びと」
山本薫(アラブ文学)+本山謙二(南島史、音楽論)
Muhammad min Libya
guardian.co.uk, Tuesday 1 March 2011 13.00 GMT
「僕の代わりにお母さんにさよならのキスをしてあげて、そして彼女に伝えほしいんだ、あなたの息子は英雄として死んだんだよって」僕の友人 アフメト(26)は、彼がトリポリの路上で撃たれた後、すぐさま彼のもとへ駆け寄った人にそう言った。
その2日後、僕の友人、アフメトは病院で亡くなった。まさに、彼が言ったように。
背が高くて、ハンサムで、おもしろくて機知と知性に富んだこの若者はもういない。もう二度と僕の電話に応えることもない。時は彼のフェィスブックのアカウント上で永遠に静止したままだ。
彼が撃たれる一時間前、僕は彼に電話をした。彼は意気盛んだった。彼は僕に、トリポリの中心、グリーン広場にいること、そして今自分たちは自由なんだと話した。それからすぐ、電話回線の調子が悪くなり、僕はまるまる2日間彼と連絡が取れなかった。
ア フメトの親友が僕にこの悲痛なニュースを打ち明けたのは、僕が彼に電話をかけた時だった。彼は、いまから皆でアフメトを埋葬するところだと言った。僕は墓 地に駆けつけたが、着いたのははちょうど埋葬が終わった後だった。そこで、何人かの友人達に出会った。彼らは地面のある場所をさして、そこにアフメトが 眠っていると言った。僕らは互いに抱き合って、ただ、胸が張り裂けんばかりに泣いた。
あなたが、ここ数日のトリポリから聞くことができる話は、ほとんどがこのような話だ。そして、それはあなたの今いる場所では決して想像もできない話なのだ。
あなたが、生後6ヶ月の子供が殺されたという話を聞いた時のように、あなたはサイーフ・アルイスラム・カダフィが主張した「暴力行為など少しも起こっておらず、全てアルジャジーラの作り話だ」という言葉が本当であってくれたらと心底願い、そして、この幼い子供が母の腕の中で今やすらかに眠っていてほしいと 願っている。また、タジュラ出身の男性が弾丸が頭に入ったまま2日間生き続け、妻と子供を残して死んでいった話を聞いた時のように、あなたは神に向かっ て、どうかこの父親がそこで子供と遊んでいるだけでありますようにと祈り続けている。けれども、数々の写真とビデオ映像が、冷酷な真実を突きつける。泣き叫ぶ声に翻訳など必要ない。愛する人が死の世界へと連れ去られてしまう。あらゆる人類は、その叫び声の意味を知っているのだ。
こ れが、つい最近のトリポリでの生活なのだ。そしてこれが、催涙ガスから逃れる抗議者達を目の当たりにして絶望感に撃ちひしがれている住民達が、トリポリを 「亡霊の街」と呼ぶ理由でもある。街の機能は止まったままで、ほとんどの店が開いておらず、学校、大学も閉まっている。生活必需品を売る店はかろうじてい くつか開いているが、それも2日おきに数時間だけという状態だ。
しかし、このトリポリの荒涼とした光景であってさえも、人々は自分たちがカダフィの支配体制の最後の瞬間を目撃しつつあるという高貴な希望と信念を保ち続けている。この男はもはやリビアを統治していない、彼はもはや、人々に銃を向けているだけの男に過ぎない。
彼の2回の演説、そしてそれ以前の彼の息子の演説は、脅迫以外の何ものでもない。そして、それらはリビアの革命の支持に対して裏目に出ただけであった。
また、カダフィは、さんざん言い立てられたイスラム主義による統治という脅迫を以て、西洋世界に対して脅しをかけたいと考えていた。それに対して国際社会は前例のない国際的合意のもとで、彼に海外渡航の禁止、資産の凍結、彼の体制が犯した犯罪を国際司法裁判所へ付託することを言及したのだ。
すべてのリビア人、たとえ少数のカダフィ支持者達であってさえも、リビアが自由を再び手にするのは時間の問題だと考えている。しかし、ぞっとさせような疑問が以前として残ったままである。すなわち、カダフィが倒れる前に、あとどれだけ多くの殉教者たちが命を落とすことになるのだろうか? この災いの元凶が崩れ さる前に、どれだけ多くの魂をカダフィが奪っていくのか?
けれども、体制崩壊という幸せな結末は、全てのリビア人達が共有しているもう一つの恐れによって台無しにされてしまうかもしれない。それは、西洋諸国の軍隊がこの危機を終わらせるために介入していくる、という恐れである。
誤解しないでほしい、ほとんどのリビアの人々と同様、私は飛行禁止空域を課すことは、体制にあらゆるレベルで打撃を与えるよい手段だと思っている。それはアフリカから呼び寄せられた傭兵を運ぶルートを遮断し、カダフィが金や資産をこっそり持ち出す事を防ぎ、もっとも大事な点として、彼の体制が兵器庫を爆撃することを阻止する。多くの目撃者がそこには化学兵器、そのいくつかは想像を絶するほどの破壊を引き起こすような兵器、が保管されていると主張しいるし、言うまでもなく、カダフィの飛行機はそのような兵器を搭載しているかもしれないのだ。
それにも関わらず、ある一つの事柄に関 して、あらゆるリビアの人たちはその意見を一つにしているように思う。それは、前司法大臣であり、ベンガジの臨時政府の長であるMustafa Abud Al Jeleilが言ったように、いかなる外国の軍隊による軍事介入も、カダフィの傭兵達自身が引き起こしているものより、もっと悲惨な闘いを引き起こすであろうということだ。
私はまた、特定の標的に対する限定的な空爆の可能性について賛成しているわけでもない。今起こっている ことは、あらゆる面において人民の革命であり、そのエネルギーの源はリビアの人々の血そのものである。この革命が始まった時、つまり西洋諸国がリビアにお ける自分たちの利益の損失だけを恐れ、それを無視してきた時ですら、リビアの人々は自分たちだけで孤独の中を戦ってきたのだ。だからこそ、私はこの革命 が、最初に立ち上がった人々によって成就されることを望んでいいるのだ。そう、リビアの人々の手によって。
海外からの介入 の呼び声が高まりつつある今、私は西洋諸国のリーダー達、オバマ、キャメロン、サルコジ達へメッセージを送ろうと思う。これは、あなた達に思いもかけず舞い込んできた貴重な機会である。これはあなた達にとって、自身の目に映るアラブの人々やイスラム教徒の人々への偏見を改めるチャンスなのだ。その機会を台 無しにしてはならない。あなた達が過去に行ってきた西洋と東洋を近づけようとする計画の全ては失敗してきたのだし、そのいくつかをさらに悪化させてしまっ ている。最後まで尻拭いできないような計画などを始めようとするな。人々の純粋な革命を、皆の身に降り掛かる災いへと変えるな。私の為に流がれた友人 アフメトの血を無駄にするな。
私たちはただ、この同じ星の上に住む隣人として生きて行きたいだけなのだ。
ひょっとすると、ある日、私が隣人として、うれしそうに握手を求めて、あなたの家の玄関に現れるかもしれないのだから。
訳:PROS (江上賢一郎)