イレギュラー・リズム・アサイラム
160-0022 東京都新宿区新宿1-30-12-302
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新しいホームページ: http://ira.tokyo
営業時間 13:00〜19:00(月・火・水定休)
IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
1-30-12-302 Shinjuku, Shinjuku-ku Tokyo 160-0022
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
website: http://ira.tokyo
Opening Hours 13:00〜19:00 (Closed on Mondays, Tuesdays and Wednesdays)
なお、ISZKさんからのコメントを受けて、一部修正しました。Danke!
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しっかりしなきゃと思うけど、日本の現状を見て、ポジティヴに考えることはとても難しいです…。
ともかく、こちらドイツでは、原発に関しての議論が拡大しています。
日本の福島原発の事故を受け、ドイツの450以上の場所で、それぞれ自発的に組織されたデモや集会が、左派の活動家だけではなく多様な人が参加するかたちで開かれました。
■ベルリン(首相官邸前)
5.000人の参加者のうちには、保守的な政治家も含みます。 かれらのスピーチはしばしば、 「閉鎖、閉鎖! (ドイツ語で"Abschalten!")」の声で中断されました。幸運なことに、ほとんどの人はかれらを信用してません!
■ハンブルク
怒りの群衆は電力会社Vattenfall本部ビルに向かいました。
■ドイツの南
原子力発電所のニュースの翌日、60000人が人間の鎖をつくって抗議しました。
■福島原発の事故を受けてのデモンストレーションMAP。今後も増えていくでしょう。
Anti-Atom-Mahnwachen am Montag, 21.3. auf einer größeren Karte anzeigen
どうぞ気をつけて!
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ふたたび21日(月)には、ドイツ全国での一斉行動があるようです。詳しくはこちら:http://www.ausgestrahlt.de/ (ドイツ語)
ところで、上に貼った映像の中でよく聞こえてくるかけ声が、「カクハイゼツ!」と聞こえるような気がするのですが、これは"Abschalten!" (閉鎖、閉鎖!)と言ってるのでしょうかね?
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志賀ちゃん経由、20年近く、東エルサレムやイスラエル側に住み続ける、中東の浪速節・美恵子さんからの3月3日のメールです。
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新しいエジプト
カイロからお便りします。エジプトは初めてです。
ムバラク時代にはマークされるのが怖くて来れなかったのです。
カイロでは毎日、デモがあります。
タハリール広場ではテントに寝泊りしている人達がまだたくさんいます。
昼間は静かですが、夜になると仕事が終わって皆広場に集合してきます。
『アフマッド・シャフィーク、家帰れ。』と怒鳴っている集団もいます。
タハリール広場のみでデモをしているのではなく、道を歩くたびにデモを見ます。
銀行の前でのデモを見ました。『銀行の頭首を降ろせ。銀行員の給料を上げろ』などのスローガンでした。
今朝は職業安定所前で、デモがありました。失業手当がきちんと払われていないことに対するデモです。
この職業安定所の座り込みデモは夜になった今でもまだ続いています。
皆家族一家連れで毛布を持って来ていて、路上で食事をし、寝泊りしています。
根性が入っています。彼らは要求が受け入れられるまで帰らないつもりです。
素晴らしいです。
夜、彼らの警備に当たっている軍隊の1人が近くのお茶屋に来ました。
コーヒーをすすって暖をとっている私に、『どこから来たの?』と、笑顔で話しかけてきました。
『僕は嬉しいんだ、こうやって民衆が不満を口に出して言えることが』 と、自分の職業を忘れてしんみりと言いました。
『私も嬉しいよ』 というと『ありがとう』と返って来ました。
お茶屋のおじさんは、『まだだめだ。でもあと3年、5年したらもっと良くなるよ。』と、希望を持って言っていました。
ministry of archaeology 考古学の省の前でもデモがありました。座り込みをしている人も数人います。
参加している人から聞いて分かった限り、考古学関係の仕事をしている人の給料を上げろ、仕事が無い場合は、失業補償をしろという要求です。
プラカードを持っている人、大声で怒鳴っている人、数百人のデモです。座り込んでいる人にインタビューすると快く返答してくれました。
考古学省の建物の前に止まっている豪華な車に大変な人だかりがあり、車の中にいる2人に向かって、皆大声で怒鳴ったり、大声で話しかけたりしていました。
中にいるのは考古学省(他に言い方あると思いますが。)のトップの人たちでした。
トップがどのような対応を取っているのか見たくて、軽く100人はいる群れの中、人ごみをよじ分け、開いていた前席の窓に群がっている集団の最前まで行きました。
外国人の私をみたデモ隊たちは私を喜んで前に通してくれました。エジプトが好きになりました。
『すみません、1つだけ質問があります。あなた方はこれらの人々の要求に対して考慮するつもりですか?』と聞きました。返答は笑顔で、『はい』でした。
他にも、Ministry Of Education の前でデモをしている学生達を見ました。『教育システムを変えろ。すべての国民に教育を!』もっとあります。
国立病院の職員達の座り込みのストライキ。
看 護婦さんたちが看護服を着たままで、Ministry Of Health の門の前で座り込みのストライキ。門の中側には上層部の困惑した顔。門を開け ようと皆が門の鎖をがちゃがちゃいわせて潰そうとしたので、軍隊たちが走ってやってきました。彼らは発砲しなかったし、暴力は一切ふるいませんでした。
写真を撮ろうとしていると、怒った看護婦の長のようなおばさんが私に殴りかかるような勢いで『写真なんか撮るんじゃないよ』、ときたので諦めました。
ムバラク時代には許されなかった言動の自由。
30年の間、人々の胸の中に溜められていた政治の主権者、政府機関のリーダー、会社の頭首に対する不満が、今皆の心の中から噴出しています。
頑張れ、エジプト。
美恵子
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Titanic Made by Lapindo
レイナさんに納品してもらった本「Titanic Made by Lapindo」の、日本語での紹介。本は英語なのですが、この紹介文だけでも読んでもらって、シドアルジョに注目してもらえたらありがたいです。---
グス・マクサム氏の著書「Titanic Made by Lapindo」は、工業泥災害によって破壊された、インドネシアのシドアルジョに世界の注目を求めます。
2006 年 5 月 29 日、インドネシアのシドアルジョでは何もかもが変わってしまいました。
スラバヤからほんの 30 分に位置し、農民やエビ漁師が暮らすこの地域で、インドネシアの石油・ガス会社、Lapindo Brantas 社は、新資源を狙って天然ガス掘削作業を開始していました。
しかし、その運命の日に掘り当てたのは天然ガスとは全く異なったものでした。Lapindo Brantas 社が、Banjar-Panji のガス田での地下掘削作業中に引き起こしたのは、21 世紀最大の工業災害となる巨大な泥火山の噴出だったのです。現在は「ラピンド泥流」として知られる噴出した火山汚泥は、14 の村を飲み込み、何万人もの住民が行き場を無くしました。この泥流により周囲の生態系は汚染され、インフラも破壊されました。それまで盛況だった東ジャワの経済は壊滅状態となってしまったのです。

果てしなく広がっているラピンドの泥の海
この悲劇の発生以降、被害者たちへの具体的な支援提供が、惨たんたる失敗に終わったインドネシア政府以上に酷いのは、責務を軽視し、それらから逃れるために無慈悲な行動を取った、Lapindo Brantas 社以外に存在しません。インドネシア政府が、責任への怠慢に加担して何もせず傍観している限り、大資産家で政治家の Aburizal Bakrie(事故当時、公共福祉担当調整大臣)が、Lapindo Brantas 社の共同経営者の一人であるという事実が、この露骨な責任逃れが続いてきていることへの説明となるでしょう。
今日、企業の説明責任や環境への責務、また社会的弱者の権利への関心が世界的に高まってきていますが、未だに国際社会はシドアルジョの窮状に目を向けずにいます。この問題が国際社会から放置されてきたが故に、シドアルジョの住民は、住居だけでなく家財も仕事も無く、賠償すら受けられず、自分たちの力だけで生き延びていくほか無いのです。

家を失った住民たちのデモ
著名なインドネシア人の教育者で作家でもあるグス・マクサム氏(Gus Maksum)は、この人的災害の泥流により、彼が住んでいた Jatirejo の住民とともに難民となりました。彼は、この大災害によって引き起こされた、社会的、文化的、または環境的な影響を積極的に訴えて来た人物でもあります。
グス・マクサム氏
「Titanic Made by Lapindo」は彼の実体験記であり、その中で彼は、自治体、環境科学者、報道関係者、“災害観光客“や Lapindo Brantas 社の代理人が群れる様にシドアルジョに集まり、その惨事を利用してどのように利益を得ようとしたか、又、彼らがどのような役割をとったかを暴いています。
マクサム氏は、深い情感や、時にはユーモアを用いて、災害の最初の一年間の容易には信じがたい現実と、社会的、文化的な繋がりを保つ為に苦闘しながらも威厳を保ち、哀しみに直面し、ストレスに晒され、先の見えない喪失感を感じているコミュニティの人々の姿を描いています。
Lapindo Brantas 社によって引き起こされた汚泥噴出事故、及び被害を受けた住民たちによる公正な賠償請求についての情報は、とても限られています。マクサム氏は、この人的な工業災害の存在を世界に伝えることが、シドアルジョの住民と生態系に対して行われている不正を終結させる為の一番の手段だと信じています。

完全に泥に飲み込まれた村
原作は、2007 年にインドネシア語で出版されました。現在、「Titanic Made by Lapindo」は、ジョグジャカルタの非営利出版社 Lafadl Initiatives により英訳され出版されています。
シドアルジョについて、より詳しい情報をお知りになりたい方は、r.rusenko(at)live.com(英語、日本語)またはkantor(at)lafadl.org (英語、インドネシア語)までご連絡ください。「Titanic Made by Lapindo」は書籍、又は電子化書籍形式でご注文いただけます。
Titanic Made By Lapindo (ホームページ):
http://svsl.lafadl.org/en/home.html
Titanic Made By Lapindo (パンフレット):
http://bit.ly/cTptHk
Titanic Made By Lapindo (公式 Facebook ページ):
http://bit.ly/dpWPkS
Titanic Made By Lapindo iPhone 電子書籍:
http://appshopper.com/books/titanic-made-by-lapindo
Titanic Made By Lapindo Kindle 電子書籍:
http://amzn.to/9M3iqR
Lafadl Initiatives (ホームページ):
http://lafadl.org/v2/
Lafadl Initiatives (パンフレット):
http://bit.ly/dxTXsS
関連記事/番組:
・ジャカルタ・ポスト(英字新聞)- Maksum Zuber & Lapindo's Titanic
・ジャカルタ・ポスト(英字新聞)- Four years on, victims still in limbo
・ジャカルタ・ポスト(英字新聞)- brief spot of joy amid the mud
・ジャカルタ・ポスト(英字新聞)- Women, children endure four years on
・Inside Indonesia(英文雑誌)- Resistance Through Memory
・Inside Indonesia(英文雑誌)- Stopping the flow
・Travel Channel (英語放送)- Angry Planet #13
・アルジャジーラ(英語放送)- People & Power - Muddy Justice







写真;
http://www.guardian.co.uk/
http://www.liberation.fr/
ギリシャで、アナキストたちと一緒にいつもデモの最前列にいる犬がいる、ということは以前の投稿でお伝えしましたが、どうやらこの方、あだ名が「ソーセージ」というようですね(「ギリシャ「デモ犬」に世界が注目 主要紙が掲載」 (47NEWS))。
うれしそうに跳ね回ってますねー、ソーセージ。日本みたいな窮屈なところに生まれなくてよかったな。それにしても、ちゃんと味方すべき人がわかってるのがすごい。
Filastineによれば、もともと軍事政権時代の官僚の邸宅だったアナキストのスクウォットで、ソーセージらしき犬と会ったことがある、と。でも、ギリシャは大型の野良犬がわんさかいるようなので、それが本当にソーセージだったかどうかははっきりしない。
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(「Radio Chango にほんご化計画」からの転載)
La CNT obtiene un veredicto favorable frente a la SGAE
de Secretario de Acción Sindical, Jurídica y Pro-presos del SP del CN
2009年1月14日
Original
スペイン全国労働連合CNTが著作権管理団体SAGEに勝訴
SGAE [1]がCNTを告発したのは、自分たちの私腹を肥やすために使うことを唯一の目的に、何万人というあらゆる再生可能な記録媒体の利用者から使用料を徴収し続けている彼らの組織内部や公的機関としてあり方に疑念が浮かびあがるのを妨げようという意図からだった。
SGAEは、どのようにして経営者階級が日々自分たちの高い生活レベルを最小限の努力で維持するために、生産物の用益権 を利用しているかを示す1つの例に過ぎない。彼らは、このような手法を用いて懐を肥やしている他の組織と同じように、まずあらゆる競争を排除すると同時 に、こうした卑劣な商業主義的政策が抱える倫理的な問題が表面化するのを避けようとしているのだ。SGAEという組織の幹部が患っている精神的な病は、資 本主義という病以外の何ものでもない。その病にかかった人の目に入るのは、最小コストでのより多くの配当金を得るということだけで、もちろん文化、音楽、 クリエイターといったささいなものには興味などない。こうした忌まわしい自由主義市場についての賛歌を繰り返し歌う知識人たちには、全くもって頭が下が る。また、銀行家、実業家、政治家もまたこの病に罹っており、私たちも労働者としてこの病をよく知っている。というのも、私たちの労働においても、この精 神の病は再び姿を現すからだ。
この勝訴は予測していたものだった。私たちは怯むことなく問題提起を行い、私たちの弁護士は素晴らしい仕事をしてくれ た。しかし、何よりも私たちの側に理があったから私たちは勝訴したのだ。とはいうものの、SGAE側が申し立てた要求が全て却下されたのは驚きであった。 その上、彼らに対して訴訟費用の支払いを命じたが、これはこの種の訴訟においてはあまりないことだ。
法廷は、この件の判決文において以下のことを法的根拠の中で示した。
“本件 のように、原告がある種の記録媒体に対して使用料を適用することで獲得した経済的報酬が、常に論争の火種となり、社会の様々な分野において対立を引き起こ すことになるような場合には、表現の自由を優先するべきである。…これは消費者全般が影響を受けることから、街中(全ての人々)の問題である。…この問題 は議論の余地のあるものであり、議論に委ねられて、矛盾を指摘されたり批判にさらされたりすることも必要である。たとえ、この目的(問題提起)に用いられた手段が荒々しく強腰であったとしても、原告が使用料による課税を、用途や記録媒体にかかわらず、無差別的に適用しているのを見るならば、それは、原告が資金調達に用いる制度がバランスを欠いた過剰なものであり、不公正な富みを引き起こしており、(事実か否かにかかわらず)社会の遺産に損害を与えていると考える人々の感情を反映したものである ”
ここには私たちの主張の最も大胆な部分が示されているのだ。
CTNは、バリケードによる封鎖を選んだ自分たちが間違っていたと意見を翻すことはないし、今回告訴されたことや、テネ リフェにおいてSGAEとの間に継続中の争いに関する情報を載せたビラを配布しているときに同胞が逮捕されたことで怖気づいたりはしない。今回の論争がレ ベルや重要性において、私たちが行っている労働闘争の中の論争より低いものだと考える人などいない。私たちは自己を自由に表現する自由を護っているのであ り、だからこそ、彼らは沈黙させようとしているのだ。彼らが行おうとしているのは、銀行家や財界、哀れな政治家たちの庇護の下で生きるために全てを売り払 うという病気にかかっている金の亡者たちの声だけに耳を傾けるということだ。暴利をむさぼるこうした人々は、自分たちの恥ずべき行いが公になることや、労 働者たちに対して絶え間なく行っている詐欺行為でとやかく言われることを望まない。
この対立は、SGAEとの対立というだけではなく、現在の社会モデル、政治モデルそして経済モデルとの対立なのだ。そし て、私たちがそもそも初めから彼らに勝利していたことをはっきりとさせておく必要がある。その最大の理由は、私たちのチラシを見てにっこり微笑み、自分た ちも私たちの側にいると感じてくれた人々の幅広い層からの支援を受けていたということだ。なぜならこうした人々は、CNTが今日においてもまだ、労働組合 として、そして社会運動として、広く門戸を開けたままでいることに気が付いてくれたのだ。そして、若者もそうでない者も、幅広い層の人々が、闘うためのも う一つの方法を見いだしたのだ。恐怖や必要だと決めつけるという強制を用いた検閲に反対して立ち上がっている組織が今でも存在すること。CNTに参加する 人々のように、連帯する人々が今でも存在すること。誠実なアーチストたちが、この寄生虫のような組織に反対するCNTを支持してくれたから、私たちは勝訴 したのだ。私たちの要求が認められたのは、私たちが信じている常識や自由を反映していたからなのだ。闘うべきことは、まだたくさん残っており、私たちの頭 越しに可決された労働改正法は労働者、私たちの権利や生存を直接的に侵害するものである。これらは全て、経営者や銀行家がまやかしの商売を継続し、私たち の存在を危ういものにし、解雇にかかるコストを下げ、一人当たりの労働時間を拡大させるためなのだ。資本主義という不合理な病が、我々を導いて行く先にあ るこのような奴隷制度に反対するたった一つの方法は、自由という攻撃なのだ。そうした自由を体現しているものが、生活スタイルとしての自由主義的共産主義 を未だに放棄していないこのアナルコサンディカリズム(無政府主義組合主義)組織である。CNTは決して沈黙しないし、家に閉じこもることもないのだ。

******以下、転載・転送可******
私たちに残された最後のものを守るために
サファ・ジューデー
エレクトロニック・インティファーダ/Live from Palestine
2009年1月5日
1月3日の夜、私たちは悟った。イスラエルの戦争大臣エフード・バラクの言葉に正しいと言えるものがあるとしたら、それは唯一、この侵攻が長いものになるということだ。こちらの時間で午後9時15分、イスラエル軍は3つの地点からガザ地区に入ってきた。F-16が上空から掩護する中、ガザ市の東、そして、北部のジャバリヤとベイト・ラヒヤから、パレスチナの人々が住む地域に戦車隊が進軍してきた。同じ時刻に、ガザ最南端のラファにも、東南から戦車と歩兵部隊が侵入した。ガザ市のミンタル地区に
は戦車砲と大砲の砲弾が雨あられと襲いかかり、海からもガザ市に向かって戦艦からの一斉砲撃が起こった。ガザ地区全域が包囲され、ミサイルと大砲の猛烈な攻撃が続いた。
多くの住人は、地上侵攻が始まったことさえ気づかず、その間ずっと、イスラエル軍の空爆が激しさを増しただけだと思っていた。ガザ市はこの数日間、停電が続いていて、どの家のラジオも電池が切れかかっていたのだ。すでに1週間以上、ガザ市のほぼ全住民が家に閉じ込められた状態で過ごし、開いている店など1軒もない。ニュースは口伝えで伝わってくる話に頼るしかなく、自家発電装置を持っていて、なおかつ燃料が残っているという幸運な人はごくごくわずかしかいない。
このうえなく厳しい、絶望的な状況に置かれたこの今、武器など持っていない一般の人たちに猛烈な爆撃が浴びせられている。地上戦に先立つ8日間、イスラエル軍は、完全に無防備な人々(その4分の3は女性と子供だ)相手に、世界で最も進んだ軍事力を、システマティックに、思う存分ふるいつづけた。気力・体力とも限界に達した状態で、住民たちは、途方もない喪失感と焦燥感にさいなまれながら必死に耐えている。言うまでもなく、18カ月に及ぶ封鎖で、ガザはすでに、これ以上持ちこたえるのもほとんど不可能な状態に追い込まれていた。
この数日間で、私たちは10以上のモスク、聖なる礼拝の場所が爆撃を受けるのをまのあたりにした。ほとんどが、中で人々が祈りを捧げている時のことだった。私たちは、瓦礫の下から子供たちが引きずり出されるのをまのあたりにした。その小さな体の中で折れていない骨はただの1本もないように見えた。私たちは、血まみれの死体と最後の息を引き取る人たちであふれかえっている病院をまのあたりにした。空爆を受けた現場で懸命の蘇生処置を受けている友人たちの姿をTVで見た。何家族もの家族全員がミサイルの一撃で地面もろとも吹き飛ばされるのを見た。私たちの街が、家が、近隣の地域一帯が、とてつもない破壊行為によって、何だったのかもわからない瓦礫の山に変じていくのをまのあたりにしてきた。
これだけのことをやっておきながら、イスラエルは声高に、この攻撃は民間人を対象にしたものではない、これはハマースの政治・軍事部門に対する戦争であると強固に言いつづけている。一方の私たち、ガザの住民は、全員が、およそ人間に耐えられようはずもない恐怖と暴力を一身に受けつづけている。もしかしたら、イスラエル軍は、自分たちが作り出した妄想を真実だと思い込むようになり、その妄想のもとに行動しているのではないか。そんな思いすら浮かびはじめている。
イスラエルは私たちの家に入り込み、私たちの街で私たちを攻撃し、私たちに向けて全開の暴虐さを発揮しつづけている。いったい、私たちは、どう対応するのが当然だと思われているのか?
今、ガザでは、パレスチナのすべての派が一致団結し、持てる限りの戦闘能力を結集して、敵に立ち向かっている。その戦闘能力は、イスラエルの軍事力に比べられるようなものでは到底ない。それでも、彼らの闘いは、私たちに、かつてないほど強く、パレスチナの人々は自分たちのものを守るために最後の最後まで闘うだろうという確信を与えてくれている。抵抗と勇気と愛がパレスチナ人のアイデンティティにとって不可欠のものなのだということを、それは、私たちが耐えている苦難がどれほどのものであろうと、決して変わることはないのだということを、示してくれている。彼らの闘いは私たちの心に力を与えてくれた。私たちが最も必要とする時に、心を支えてくれるものが出現したのだ。
パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のアブー・アリー・ムスタファ旅団、イスラーム聖戦運動のアル・クゥドス旅団、ハマースのイッズッディーン・アル・カッサーム旅団、民衆抵抗委員会(PRC)のサラーフッディーン旅団、ファタハのアル・アクサ殉教者旅団、このすべてが結束し、統合されたひとつの最前線部隊として、100パーセントの危険が約束されている中、私たちの街を、私たちの家を守るために闘っている。彼らはみな、みずからの死が無力な子供の死をひとつでも阻むことできるのなら、それなら自分は死んでもかまわないという覚悟ができている。私たちはひとつだ。私たちはこれまで繰り返し繰り返し苛酷な運命を受け入れてきた。しかし、ガザの人たち(その80%は難民だ)は決して皆殺しにされるつもりはない。圧政と強欲に導かれるままによそからやってきた連中に今一度この地から追い立てられるつもりはない。
パレスチナ各派の統一レジスタンス部隊の人員が全部でどれくらいになるのか、いろいろな数字が出されているが、おそらくは数千というところだろう。一方、ガザ地区内・ガザ周囲にいるイスラエル軍は、現時点でおよそ3万3000。明日中には、さらに多くの予備役兵が招集されることになっている。圧倒的な軍事力の差は地上部隊の人員数にとどまらない。イスラエル陸軍はイスラエル海軍とイスラエル空軍に掩護されている。地上部隊には大砲があり、戦車があり、工兵隊があり、諜報機関のサポートがある。イスラエル兵は最新鋭の武器と情報機器を装備している。
一方のパレスチナの戦闘員はと言うと、イスラエルの軍事力に抗して自分自身とガザの人々を守るのに、手作りのロケット砲と最少限・最低レベルの武器で間に合わせなければならないのだ。
この今、攻撃のただ中にあっては、現在の状況を正しく判断することも今後を予測するのも難しい。死んだ人、怪我をした人の数も、私たちが失ったものがどのくらいなのかも把握するのが困難になっている。食べ物や水や暖かさや陽の光といった、生きていくための最低限の必需品が贅沢なものではなかったのがいつのことだったのか、それを思い出すのさえ難しい。今、この時点で機能しているのは、人間としての最低限の本能だけ。愛するものを守りたいという欲求、シェルターを確保したいという欲求、闘う本能、逃げようとする本能。私たちはもう長い間、逃げつづけてきた。ガザは私たちの最後の避難所、今イスラエルと呼ばれているものに取って代わられてしまったのちの、私たちの最後の家だ。このすべてが60年前に起こった。イスラエルは、これ以上、いったい何がほしいというのか。私たちにはもうどこにも行くところはない。イスラエルは、現在ある国際法の条項をことごとく無視してきた。今こそ、私たち自身を守る時、レジスタンスの時だ。
・・・
サファ・ジューデーは、アメリカのストーニー・ブルック大学で学び、修士論文提出資格を得た。2007年9月にガザに戻り、現在はフリージャーナリストとして活動している。
Resisting to protect our own
Safa Joudeh writing from the occupied Gaza Strip, Live from
Palestine, 5 January 2009
原文:http://electronicintifada.net/v2/diaries.shtml
エレクトロニック・インティファーダ:
http://electronicintifada.net/new.shtml
翻訳:山田和子
******
【マレーシア】クアラルンプールからの報道によると、マレーシアでイスラム教徒向けレストラン2600カ所が、イスラエルによるガザ攻撃を米国が支援していることに抗議し、コカ・コーラをメニューから削除するなど全国規模の抗議運動を9日から開始する。
抗議活動はマレーシア・ムスリム消費者協会が主催するもので、他にもスターバックス、コルゲート(練り歯磨き)、マクドナルドなども対象となる見通しだ。
抗議先
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エフード・オルメルト・イスラエル首相
Prime Minister Ehud Olmert
The Office of the Prime Minister,
3 Kaplan St. Hakirya, Jerusalem 91950
Fax: +972-2-566-4838, Tel: +972-2-670-5555
Email: pm_eng@pmo.gov.il
エフード・バラク・イスラエル国防大臣
Minister of Defence Ehud Barak
Ministry of Defence, 37 Kaplan Street, Hakirya,
Tel Aviv 61909, Israel
Fax: +972-3-691-6940
Tel: +972-3-569-2010
Email:info@mail.idf.il or sar@mod.gov.il
ニシム・ベンシトリット駐日イスラエル大使
Ambassador Nissim Ben-Shitrit
〒102-0084東京都千代田区二番町3番地
Fax:03-3264-0965, Tel:03-3264‐0911
Email:information@tky.mfa.gov.il
ジョージ・W・ブッシュ米大統領
President George W. Bush
The White House, 1600 Pennsylvania Avenue NW,
Washington, DC 20500, USA
Fax: +1-202-456-2461
Email: president@whitehouse.gov
麻生太郎首相
〒100-0014千代田区永田町2-3-1 首相官邸
Fax:03-3581-3883 Tel:03-3581-0101/03-5253-2111
web投稿ページ: http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
【例文−オルメルト首相宛】
ハガキで出す場合、70円切手を貼って、送って下さい。
Dear President,
I am writing to express my grave concern about the recent massive attacks on Gaza Strip which resulted so many victims.
I respectfully urge you to observe international humanitarian law, to stop all military actions and inhuman closure policy in Gaza Strip immediately.
Respectfully yours,
(日本語訳)
ガザ地区に対する最近の大規模攻撃によって、多くの犠牲が出ていることについて深い憂慮を表明いたします。国際人道法を順守し、これらの地域における軍事行動と封鎖政策をただちに停止するよう、謹んで要求します。

「アナキズム誌 オンライン編集委員会」より転載。
叛乱を組織する方法
原文:How to Organize an Insurrection (Crimethinc.)
12月6日に Exarchia のアナキストが多く住む地域で15歳の Alexandros Grigoropoulos が警察に殺害されて以降、ギリシャを震撼させた暴動の参加者からの内部報告の一つをここに謹んで示す。これは、ギリシャの同志から最初に受け取った解答に過ぎない。すぐに、ギリシャ暴動に参加した他の分子からさらに多くの見解を受け取ることになると思われる。そのことで、今回の叛乱の文脈とダイナミクスを包括的に示すことができるようになるだろう。これらの質問に自分なりの答えを示すことができるなら、また、示すことができる人を知っているなら、 rollingthunder@crimethinc.com にその答えをメールして欲しい。

- 都市の内部で行動をどのように調整したのですか?諸都市の間ではどうだったのでしょうか?
完全に身内だけの親和グループ——積年の友情と100%の信頼関係に基づいたグループ——が何百もあり、アテネにある三つの大きなスクウォットとテサロニキにある三つのスクウォットから来た人々のようなもっと大きなグループが幾つかあります。
ギリシャには50以上の社会センターがあり、この国の全ての大学にアナキストの政治スペースがあります。また、「反権威主義運動」は全ての主要都市に支部を持っており、ブラックブロックの親和グループのネットワークがギリシャの全都市で、個人的な関係と電話とメールでのコミュニケーションに基づいて、能動的に活動しています。これら全てにとって、インディメディアは、有用な情報を収集し、共有するための戦略的ポイントとして非常に重要です。何処で闘争が行われているのか、警察が何処にいるのか、秘密警察が何処で逮捕を行っているのか、瞬間瞬間に全ての場所で何が起こっているのかを収集し、共有しています。また、政治的レベルでも有用で、デモや行動の告知と呼びかけを公開してくれます。
もちろん、現実に、主要な調整方法は、携帯電話を使って友人同志で行われていることも忘れてはなりません。これは、若い学生達がそのイニシアティヴ・デモ・直接行動を調整する際に使っている主要アプローチでもあります。
- どのような組織構造が現れたのですか?
1)あらゆる類のちょっとした友人との交際関係全てが、街路での自発的決定を行い、行動を計画し、無秩序で統制不可能なやり方でそれらを実行していました。何千という行動が同時に国中あらゆるところで行われました。
2)毎日午後に、占拠された学校・公共の建物・大学で全体会議がありました。
3)インディメディアが告知と行動の戦術的調整を行うために使われました。
4)様々な共産主義政党も、自身の学生連合を組織しました。
5)特に影響力のある連合の一つは、アレクシスの友人たちが組織したもので、デモと行動・学校の占拠を組織し、学生闘争からの一般的告知を公開していました。
- 組織を作るために人々が利用した既存の構造があったのですか?
初めて街路に出た若い学生達にとって、また、参加した移民たちにとって、電話は最重要でした。これが、情況に完全に無秩序で予測不可能な要素を生み出したのです。一方、アナキストと反権威主義者にとって、全体会議は過去30年間にわたりあらゆる運動で使ってきた組織作りツールです。親和グループ・スクウォット・社会センター・大学占拠などのあらゆる組織は、同様に、自身の集会を持っています。参加者の中には、左翼政治組織・左翼とアナキストの大学政治スペースも含まれていました。闘争の最中、新しいブログが数多く現れ、高校生の新しい調整ネットワークができていました。

- どのような人々が行動に参加したのですか?
大多数がアナキストでした。半分は昔ながらのアナキストであり、前に告発された事があり、逮捕されると拘留されてしまう危険を持っている人もいました。その人たちの他には、16歳~18歳の学生が何千といました。こうしたグループと同時に、移民や何千もの大学生がいましたし、多くのジプシー(ロマニ)の子供たちもいて社会的抑圧と人種差別主義の復讐をし、他の社会闘争の経験を持つ昔からの革命家もいました。
- どのような行動が行われたのですか?
1)破壊・略奪・放火が、若い人たちの主要な行動でした。若い人たちは、多くの場合、高級品の商業地区を攻撃し、豪華な高級品の店を開放し、中の品物を全て取り、空気中にまかれた催涙ガスの効果を中和しよう放火しました。多くの人々が、車をひっくり返してバリケードとして使い、警察を遠ざけ、解放エリアを創り出しました。警察は4600の催涙ガス爆弾--ほぼ4トン--を使いましたが、人々は数え切れないほどの放火をして、国家が民衆に仕掛けた化学兵器戦争の中でも充分呼吸できるように自分達のエリアを維持していたのです。
街路にいる何千という人々が、火の黒煙が催涙ガスの白煙を無効にできると実感すると、その人々は催涙ガスから身を守るために燃えるものなら何でも手に持つという戦術を使いました。ハンマーで舗装道路を叩き、何千もの石を創り出し、人々が投射物として使うというテクニックもありました。もちろん、火炎瓶を自発的に個人が作り投げつけることもありました。この戦術は、特に、機動隊にデモ参加者を恐れさせ、尊重するようにさせる方法であると同時に、攻撃と非難の場所と時間をコントロールする方法でもあったのです。
2)棒・石・火炎瓶を使った攻撃は、国中で多くの銀行・警察署・パトカーに対して行われました。小規模都市では、銀行と警察が主要な、もしくは唯一のターゲットでした。小規模の社会で、顔を付き合わせた関係があるために、幾つかの多国籍企業フランチャイズ店を除き、商店を粉砕するわけにはいかなかったのです。
3)何百もの象徴的占拠が行われました。公共施設・市役所・公益事業オフィス・劇場・ラジオ局・テレビ局などありとあらゆる施設を、50~70人が占拠しました。また、サボタージュ、街路・高速道・オフィス・地下鉄の駅・公益事業などの封鎖といった多くの象徴的行動が行われ、その際には、通常、その地域にいる人々に数多くのパンフレットが配られました。。
4)毎日、沈黙の抗議行動・ハプニングアート・非暴力行動が議会の前や全ての都市で行われていました。その大部分が警察から獰猛に攻撃され、催涙ガスを使われ、人々が逮捕されました。
5)左翼主義者は公共の場でコンサートを組織し、アンダーグラウンドのバンドと政治意識を持ったポップスターが参加しました。アテネで行われた最大のコンサートには40のアーティストが出演し、一万人が来ました。
6)共産党は統制の取れた学生デモを組織しました。その多くで、無秩序で自発的な学生デモほどの参加者を引き付けられませんでした。

- この行動の参加者の多くは、以前に、同様の行動に参加していたのですか?「初体験」だった参加者はどのぐらいいたと思いますか?
数千人の人々が、経験豊かな蜂起主義アナキスト・反権威主義者・リバータリアンのアウトノミアでした。その半分が、非常に重要な闘争の時だけ街路にやってくる昔からのアナキストで、大部分が前科持ちでした。また、何千という若い人々がおり、こうした人たちは、社会保障を求めた社会闘争・教育の民営化に反対する社会闘争・2007年夏にギリシャの自然地域のほぼ25%を焼き尽くした火事の最中に行われた大規模な自発的デモで、ここ三年間で急進化した人々でした。参加した人々の約30%が初めて暴動に参加したのだと推計しています。
- ギリシャでは以前にどの戦術が行動の際に用いられていたのですか?今回の叛乱でそれは広がったのでしょうか?そうだとすれば、それはどのように生じたのでしょうか?
この闘争で使われた戦術の大部分がギリシャではだいぶ前から使われていました。今回の闘争で最も重要な特徴は、国中で即座に様々な行動が出現したことでした。アナキスト活動の最も重要な地域で若い男の子が暗殺されたことで、瞬時の反応が引き起こされたのです。彼の死後5分で、国中にあるアナキスト小集団が活動を始めたのです。警察が民衆から攻撃された理由を知らされたのが、アナキストよりも警察の方がだいぶ遅かった場合もありました。ギリシャ社会にとって、この国の青年たちの大部分が「アナキストの暴力戦術、破壊と放火」を採用したことは驚きでしたが、これはアナキストの行動と思想が過去4年間にわたってギリシャ社会に及ぼしていた一般的影響の結果だったのです。
- これらの行動に参加した人々の間で葛藤はなかったのですか?
共産党は、自身をアナキストや左翼主義者から切り離し、別個のデモを組織しました。また、共産党が公表した告知・大企業メディアへの出演・議会へのスピーチ・全ての左翼主義組織に反対して行われた否定的プロパガンダは、共産党こそが社会変革の本当の敵だと証明しています。

- 行動に対する「一般大衆」の意見はどうだったのですか?
テレビ民主主義(テレ-デモクラシー)の時代に何が「一般大衆」と呼ばれるのかについては多くの論議が必要です。
一般に言って、「一般大衆」は、私たちが貧者の小売店を燃やしているとテレビが述べている時には恐怖を感じるものですが、人々は、暴動が行われている金持ち地区にどのような店が存在しているのかを充分に分かっています。人々は、怒れる移民が街路に出て略奪をしているとテレビが報じているときに恐怖を感じるものですが、同時に、移民が貧乏で絶望していることを知っており、移民は街路に出ている人々の一部に過ぎないことを知っています。多くのアーティスト・理論家・社会学者などの有名人が今回の叛乱について解説をしていました。その多くは、私たちの大義にとって有益でした。時代精神に参加する必要に捕らわれていた人もいたのでしょうが、正直に自分の本当の思想を表明する機会としてこの情況を利用した人もいました。15歳の男の子が警官に殺されたことに「一般大衆」は怒っています。そして、以前よりも遙かに警察を憎んでいます。どのみち、まずもって、警察のような人などいないのです。ギリシャの「正常な」人々の大部分は、右翼政府も過去の(多分未来の)社会主義政府も信頼していません。警察・金持ちの店・銀行を嫌いなのです。今や、新しい世論が出現しています。叛乱の社会的・倫理的正当性を示しています。これまでギリシャを支配することが難しかったとすれば、今やもっと難しくなることでしょう。
- こうした出来事の文脈に取って、ギリシャの独裁体制の遺産はどの程度重要だったのでしょうか?この場合、民衆の意見と行動にどのように影響を与えているのでしょうか?
1973年に、7年間にわたる独裁体制に対して叛乱する危険を冒したのは、青年たちだけでした。これが独裁体制を終わらせた唯一の原因ではなかったとしても、学生がギリシャを独裁者と米国の支配から救ったという集団的記憶が残っているのです。青年が万人の利益のために大きな危険に身を置くことは、共通の信念であり、このことが、希望の感情と学生の行動に対する寛容さとを生み出しています。もちろん、現在、これは昔の話であり、闘争の背景に影響してはいるものの、この闘争に関連して言及されることはありません。
もう一つの影響は、1991年と1995年の教育民営化に反対する学生闘争から出現しています。この闘争は政府の計画を変更させ、現在まで公教育を確保しています。2007年の叛乱は、今日まで、ギリシャのアナキズム運動の頂点だと思われます。国中で叛乱が起こり、社会の広範な地域で行動・スローガン・思想に多大な影響を与えました。しかし、以前の学生闘争、特に、1991年にアテネで起こったものは、もっと目立つ、もっと広範な闘争でした。
- 経済問題は、大企業メディアが述べているように、今回の出来事で重要だったと思いますか?
アテネの多くの富裕層エリアにいる青年たちも、自分達の地域の警察署を攻撃しました。つまり、生じていることを説明するときにマルクス主義者が使う階級戦争にも大きな問題があります。金持ちと貧者の分断は、平等と社会正義を求めた闘争における長年にわたる連帯と参加ほどにも重要ではなかったのです。
一方、25歳~35歳のギリシャ人は、家族を作ることも、子供を持つこともできません。経済のためです。ギリシャは欧州全土の中で最も人口不足の社会です。しかし、ここでは、これが叛乱の原因だと述べません。青年たちは怒っており、警察・資本主義のシニシズム・政府を、自然に本能的に憎んでいます。解説や政治的課題など必要ないのです。地元のメディアは、英国・仏国・米国のメディアが行っていたように社会条件について徹底的に語ろうとはしません。地元の大企業テレビ局は、思想も社会的アイデンティティもない無秩序な「覆面野郎」(masketeers)関する嘘を終わらせようとしています。何故なら、アナキストの道徳的影響力はこの社会で非常に強いため、テレビで私たちの思想を真面目に語り始めないと、社会が爆発しかねないからです。幾つかのテレビ番組と新聞を除き、大部分のマスメディアは経済的諸問題と無秩序な叛乱を分離しようとしています。
68年5月世代の左翼主義者でさえ、メディアに話をするときに、破壊と暴動は民衆のニーズと希望の政治的表現ではない、と述べています。アナキストと青年は、政治議題を表現する能力を持っておらず、民衆は他の政治的代表者を必要としている、というわけです。もちろん、こんなことは、将来の社会闘争に参加する青年にほとんど影響を与えていません。この闘争以降、青年と、あらゆる種類の政治的指導部や権威との間には大きな緊張関係と大きな隔たりが存在しているのですから。

- 警察に対する怒りと経済以外に、人々が参加した動機は何だと思いますか?
冒険を求めた個人的・集団的ニーズ。歴史を作ることに参加するニーズ。あらゆる政治・政党・「真面目な」政治思想の無秩序な否定。あらゆるテレビスター・社会学者・社会現象としてみんなを分析すると主張する専門家を憎む文化的ギャップ。自分らしく存在し、耳を傾けられたいというニーズ。権威に対して戦い、機動隊をあざ笑いたいという情熱。自分の心にある力と自分が手にする熱情。火炎瓶と石を、議会の前で、金持ちの商業地区で、自分がいる静かで小さな町で、自分の村で、自分の町内の広場で、警察に投げつけるという素晴らしい経験。
他の動機には次のものがあります。親友と共に行動を計画し、実現させ、後に他の人からその行動について凄いことだったと聞くという集団的感情。地球の反対側の新聞やテレビ番組で友達と一緒に行った行動が読まれる事に関する情熱。将来の闘争の地球規模の実例となる物語を作り、行動を作り、計画を作らねばならないという責任感。小売店を破壊し、商品を取り、燃やしてしまうという、街路で燃える資本主義の誤った展望と夢を目の当たりにする大騒ぎの楽しさ。あらゆる権威への憎しみ。自分であったかも知れない人の死の復讐という集団的儀式に参加する必要性。国全土でアレクシスの死に対して警察が報いを受けねばならないという個人的な復讐感情。警察の暴力が増加するならば、私たちには反撃する力があり、社会は爆発するぞという強力なメッセージを政府に送る必要性。社会に対して皆が起きねばならないという直接的メッセージを送る必要性。私たちは何処にでもおり、あらゆる物事を変革するのだから、私たちのことを真面目に受け止めねばならないということを当局に対して示す必要性。
- 政治政党は、暴動からエネルギーを取り込む事ができたのでしょうか?
「実際の」数で、社会党員は右翼政府よりも優位に立ち、世論調査で8%ほどリードしています。「欧州社会フォーラムの共産主義者」は、叛乱を手助けしたにも関わらず、1%を減っています。ただ、なおも彼らは12%で第三位にいますが。共産党は8%で、国民党のネオファシストは4.5%、緑の党は 3.5%で変わらずです。
「社会党」指導者は、長年、右翼の党首よりも人気がなかったのですが、今や「国を支配する能力」において第一位だと見なされているのは興味深いですね。暴動は政治シーンに大きな影響を与えました。政治政党は、莫大な暴力の波と社会のあらゆるレベルからの参加を理解することも説明することも反応することもできないようでした。政党が行った告知は、実際に起こっていることとは無関係でした。政党の人気は若い世代の間で劇的に減少しました。政治政党の論理と政策に自分の姿を投影することなどなく、政治政党が自身を代表していると感じることもありません。
- この行動を始め、継続する上でアナキストはどのような役割を演じたのでしょうか?社会にいる他の人々はアナキストの参加をどれほどハッキリ分かっていたのでしょうか?
過去数年間、アナキストは、ギリシャの主要都市全てで、コミュニティ・グループ・組織・スクウォット・社会センターのネットワークを作ってきました。多くのグループはお互いを好きではありません。グループや個人の間で大きな違いが多くあるからです。しかし、このことがこの運動を助けてくれています。運動が今や非常に多くの主題をカバーできるからです。様々な人々が、自分の同志を異なるアナキズム運動の中に見つけ、一緒になって、お互いを--敵対的だったとしても、ポジティヴなやり方で--後押しして社会とコミュニケーションを取っています。このコミュニケーションには、町内集会の創造・社会闘争への参加・一般社会にとって意味を持つ行動の計画が含まれます。反社会的アナキズムの30年を経て、ギリシャのアナキズム運動は、今日、問題・限界・内部闘争を持ちながらも、アナキズムの小宇宙の外に目を向ける事ができ、すぐに目に見えるやり方で広く社会を改善する行動を起こす事ができます。もちろん、このことが目に見えるようにするためには多くの努力が必要となるでしょうが、日に日に誰も否定できなくなっているのです。
行動を開始し、継続する上でアナキストが果たした役割についてですが、特にその始まりである12月6日(土)と7日(日)、そして、12月10日(水)以降の行動継続について、その行動を実行したのは大多数がアナキストでした。この間、特に月曜日に破壊的大決戦が行われた際には、学生と移民が非常に重要な役割を果たしました。しかし、大部分の学生は、破壊行為を三日ぐらい行うと容易く満足感を得て、家に帰ったり、もっと平和主義的な雰囲気のあるデモに参加したりしました。同様に、移民は、非常に強力な反動を地元の人々から受けざるをえなくなり、街路に戻ることを恐れるようになりました。
従って、ギリシャにいる2万人のアナキストが叛乱を始め、他の人々が平常に戻ったときにも継続していたのです。言っておかねばなりませんが、平常に戻ることを恐れるが故に、私たちはさらに10日戦い続け、同志の暗殺に対する復讐行為が、私たちの空想の中で、ゼネストの準備へと変わると共に、自分達自身を大きな危険に曝しているのです。今や欧州社会は、今回で、社会的蜂起がどのようなものか、社会を数ヶ月で変革することがそれほど難しくないと分かったことでしょう。
しかし、全ての人が参加し、それぞれの役割を果たすことが必要です。ギリシャの青年は、欧州全土の全ての社会に招待状を送りました。私たちはその反応を今待っています。

- ギリシャではアナキストはどれほど一般に目立っているのですか?ギリシャの人々の大部分はどれほど「真面目に」アナキズムを受けとめているのですか?
ある意味で、アナキストが自身を「真面目に」捕らえ始めてから3年か4年しか経っておらず、もっと大きな社会からもそのように見られている、と言うこともできます。私たちが、25年間の活動を特徴付けていた反警察戦術の限界を超えてうまく拡大するようになったのはここ数年のことでしかありません。この戦術に従えば、私たちは警察を攻撃し、警察は民衆を逮捕し、私たちは連帯行動を行う、この繰り返しなのです。このルーチンから抜け出すのに25年かかりました。もちろん、反警察攻撃と戦いは続いていますし、受刑者との連帯運動は以前よりももっと強力になっています。しかし、アナキズム運動の中にある反社会的要素は意識的に自制し、今や、私たちは社会全体の利益になるように話し、気遣い、行動できます。少なくとも社会の一部がハッキリと理解できる行動と計画を使っているのです。
スーパーマーケットを襲撃し、盗んだ商品を無料で人々に配るといったような多くの行動は、非常に一般的で、充分受け入れられるものとなっています。銀行の攻撃も、特に、現在の経済危機を受けて、充分受け入れられています。警察署の襲撃は国中で高校生が採用し、活用してきました。色々な点で、過去15 日間、私たちはニュースの一番の題材だったのです。一般的に言って、学生の闘争や労働者の闘争や環境保護の闘争に私たちは参加しており、毎週、アナキストが行う何らかの行動は注目を集め、アナキズム運動の認知度を高めています。
だからといって、「アナキズム」がギリシャ民衆の大多数に真面目に受け止められているわけではありません。大部分の人々は、今も、私たちを「覆面野郎」で犯罪者だと述べているテレビの嘘を信じています。また、大多数は、アナキズム社会がどのように機能するのかについて分かっていません--大部分のアナキストもそうであり、この疑問に取り組もうとしないのです!しかし、私たちの行動・批判・思想は、左翼と進歩的な人々に今や強い影響を与えています。私たちが存在しないなどと言うのはもはや不可能です。今や、私たちの存在が若い世代の大部分を急進化しているのです。
- サブカルチャーのグループ——パンクやスクウォットなど——はこの叛乱を可能にする上でどのような役割を果たしたのですか?
1993年以後、ギリシャのアナキズム運動に強力な傾向が——多くの重大な内部闘争に付随して——ありました。運動内部で「サブカルチャー」スタイルの影響を減らそうというものでした。つまり、ギリシャのアナキズム運動において、パンクであれロックであれメタルであれ、アナキストと同一ではないという意味です。好きなようにすれば良いし、好きな音楽を聴けばよいし、好きなスタイルやファッションを着れば良いが、それは政治的アイデンティティとは違うということです。
今月の街頭闘争の中で、多くの「エモ」が参加していました。ヒッピーフリーク・レイヴァー・パンクス・メタルの男の子や女の子・トレンディーな普通の子供たち・ギリシャ音楽が好きな学生達もいました。アナキズム運動に参加しようと思わせるのは、社会的・政治的意識・社会批判・集団的理解であるべきで、ファッションではありません。もちろん、少なくとも、過去19年間、Void Network や同様のコレクティヴは、多くの文化的・政治的イベント・フェスティバル・パーティを毎年開催し、多くの人々をアンダーグラウンド文化に引き付けてきました。しかし、Void Network でさえ、サブカルチャーのアイデンティティを創り出しても、様々なサブカルチャーを分別してもいません。多くのアンダーグラウンド文化を巻き込んだイベントを開催しようとしているのです。ただ、シーンにいる人々の大多数が、DIYアンダーグラウンド文化のイベントの多くに参加していることは確かですし、多くのイベントが解放的スペースで毎月行われています。
- ギリシャでアナキズム運動が健全なのは何故なのでしょうか?
サブカルチャーのアイデンティティポリティックスと分離したことで、人々は、自分をアナキストだと呼ぶならば、もっと真面目に参加・計画・創造・行動をすることになるのだと理解するようになりました。単に、反キリストが描かれたTシャツを着るとか、ビールと催眠剤を飲みながらパンクのコンサートを彷徨くとかではないのです。今や、アナキストと自分呼ぶのなら、デモにやってきて、断幕や黒旗・赤黒旗を持って街路に出て、スローガンを一緒に叫び、アナキストの存在を示さねばならないのです。同時に、自分をアナキストだと言うのならば、毎週、様々な行動・計画・闘争を一つか二つか三つの準備をするために一つか二つか三つの集会に参加しなければなりません。危険なことを計画するために自分が100%信頼する人たちと友人にならねばなりません。この世界で起きていることを意識し、それを知らされ、適切な行動方法は何かを決めなければなりません。クレイジーで情熱的にならねばなりません。凄いことをやれるんだと感じなければなりません。自分の人生・時間・歳月を終わることなき闘争に捧げる用意がなくてはなりません。期待を持たない事が健全です。持たなければ失望しないのですから。勝利を期待しないのです。出現し、戦い、再び消滅することに慣れるのです。個人として透明になり、集団的力として出現する方法を知るのです。自分が世界の中心なのではなく、いつでも社会の中心になることができることを知るのです。

- どのようにして、ギリシャのアナキズム運動はより良く、より強力になると思いますか?
私たちは、自分達の思想を人々に説明する際のもっと知的なやり方を見つけねばなりません。私たちは、社会全てと政治的コミュニケーションを行うテクニックを必要としています。私たちの行動の「政治的翻訳」を行い、社会文脈に闘争全体をおくもっとうまい、もっと強力な方法が必要です。テレビ民主主義では、政治家はテレビのスーパースターに他なりません。マスメディアとのコミュニケーションやマスメディアを使ったコミュニケーションを私たちが拒絶しているのは健全ですが、マスメディアの「世論の現実」を、私たちに対するメディアのプロパガンダを克服する新しい方法を見つけねばなりません。そして、社会に対して私たちの行動の大義を説明する方法を見つけねばなりません。テレビのショーが何であれ「存在」する以上、そして、テレビに映されないものは何であれ「存在しない」以上、私たちは、テレビ番組の平常さを破壊するためにクレイジーな思想・危険な行動・街路での闘争と共にあり続けます。私たちは、私たちの行為に対する否定的広告を利用して、一般大衆の空想と夢を誘拐します。しかし、私たちの建設的な思想を万人にどのように説明すればよいのでしょうか?人々がメディアを信じるのを止めるようにさせるのはどうすれば良いのでしょうか?何百万もの人々とコンタクトを取るにはどうすれば良いのでしょうか?
何百万というポスターと無料のパンフレットが街路で手から手へと渡されることでしょう。何百万もの招待状が持ち込まれ、デモと社会闘争への参加を求めていくでしょう。政府が望まない部門や政府がカバーできない部門で無料の公共事業が--無料のアナキスト医師と教師・無料の食べ物・無料の宿泊施設・情報・アンダーグラウンド文化など--行われるでしょう。このことで人々が私たちの思想に近づくことができるようになるでしょう。もっと多くのスクウォットと社会センターが必要となるでしょう。あなたがスクウォットを始めることができるなら良いでしょうが、自分の町でスクウォットすることが不可能であっても、友達と一緒に建物を借りて、お役所に気を付けながら、コレクティヴを作り、集会を始め、黒旗や赤黒旗を入り口に掲げることができます。町に住む人たちに、人種差別・家父長制・ホモ恐怖症のない世界の、平等な場所・自由・違いの尊重の、愛と共有の世界の生きた実例を示すことから始めましょう。新しい社会生活傾向のパラダイムとして光り輝くために、メトロポリスでこの新しい方法論を証明するために、ギリシャのアナキズム運動の蜂起主義にはもっと「アウトノミア」が必要なのです。
- 警察の弾圧は、アナキズム運動を封鎖する上でどれほど効果があったのでしょうか?人々はどのようにそれに抵抗したのでしょうか?
蜂起主義者の夢と計画は現実になりました。莫大な参加者の波がアナキストを「乗り越えた」のです。無秩序な日々に、人々は移動し、これまでなかったようにその都市で、不案内な時間と場所で戦いました。
もちろん、同じ日々に、蜂起の限界に直面しました。人々は今や多くの時間を使って、民衆の理解を拡大する方法について長い議論をし、実践・行動・方法を発明しています。これが闘争を継続させ充実させるでしょう。多くの人々は、この叛乱の様々な分子が非常に近しくなるやり方を考えています。警察の弾圧は、肉体的疲労がそうである程にも、暴動の最後に重要な役割を演じることなどありませんでした。私たちは皆、完了と始まりの感情を共有しています。これらは、警察には触れることのできない感情なのです。
- 12月の出来事の最終結果はどのようになると思いますか?
闘争の継続です!政治的・社会的・経済的平等を求めた終わる事なき闘争です!自由の継続的拡充です!
将来、ギリシャと欧州全土の新自由主義政府は、経済的・社会的変革を実行しようとする前に、非常に真面目に考えるでしょう。アテネの暴動と経済危機は当局・銀行・大企業のシニシズムを終わらせ、ギリシャの新しい世代を急進化し、未来の大規模な社会闘争との対話を開く機会を私たちの社会に与えたのだ、と。
アテネと Exarchia の2008年12月のスローガンのように:
私たちは未来からのイメージだ
WE ARE AN IMAGE FROM THE FUTURE
Questions answered by Void Network (Theory, Utopia, Empathy, Ephemeral Arts)

17日、大学の企業化に反対するニュー・スクール大学の学生たちが、ギリシャ、イタリア、フランス、スペインの大学・ストリートの占拠行動に連帯を示すとともに、大学の占拠を開始。ボブ・ケリー学長、ジェームス・マーサ副学長、理事会の会計係ロバート・ミラードの解任を要求している。
この行動を、今後ニューヨークおよび合衆国全土で頻発するであろう反乱の数々、この経済危機の中で来るべき占拠、封鎖、ストライキの波の始まりとしたい、とかれらのコミュニケにはあります。
http://www.newschoolinexileblog.blogspot.com/
http://www.newschoolinexile.com/
「いちご白書」が、もう一度!!(イルコモンズのふた。)
「ニューヨーク、ニュースクール大学も占拠!」 (Indymedia Japan)

We liberate this space for ourselves, and all those who want to join us, for our general autonomous use. We take the university in explicit solidarity with those occupying the universities and streets in Greece, Italy, France, and Spain. This occupation begin as a response to specific conditions at the New School, the corporatization of the university and the impoverishment of education in general. However, it is not just this university but also New York City that is in crisis: in the next several month, thousands of us will be losing our jobs, while housing remains unaffordable and unavailable to many and the cost of living skyrockets.
So we stress that the general nature of these intolerable conditions exists across the spectrum of capitalist existence, in our universities and our cities, in all of our social relations. For this reason, what begins tonight at the New School cannot, and should not, be contained here.
Thus: with this occupation, we inaugurate a sequence of revolt in New York City and the United States, a coming wave of occupations, blockades, and strikes in this time of crisis.
Be assured, this is only the beginning,
With solidarity and love from New York to Greece, To Italy, France and Spain,
To the coming insurrection.
-New School Occupation Committee
パレスチナの友人の家が今、イスラエル政府に崩壊されそうです。エルサレム在住の私の姉弟のミエコさんが送ってくれたものをまとめました。
以下、ジャバル・モカベル・サワヒに土地と家を持ち、崩壊予告を告げられているパレスチナ人のアマル君とその家族に関する報告。

▲イスラエル政府に破壊されたアマル君の兄弟の家
アマル君は、母親と妻と、乳児を含む3人の子どもとシルワン村のジャバル・モカベル・サワヒ地区に住んでいる。この家は、イスラエルがパレスチナとの間に 引いた分離壁のすぐ手前の小高い丘の上にある。西岸地区のアブ・ディスへ抜けるチェックポイント(イスラエルによるパレスチナ人をチェックする検問所)の 手前の急な斜面を上りきったところに、アマル君の家だけが1件建っている。同敷地内のアマル君の弟の家は2ヶ月半前ラマダン前日にイスラエル政府によって 崩壊された。分離壁の向こう側には、イスラエルのアル・クッズ大学のサッカー練習場がある。
ちなみにこの建設許可の為の申請申し込み金額は、日 本円で約二千万円。さらに、許可なく建築した場合の罰金、一生働いても返せない額だという。また、この罰金を払った後で、再度、継続して家に住むためには 許可やお金を払わなくてはいけないという。とてもじゃないが、彼らの経済力でこんな高額は払えるわけがない。だからイスラエル政府はアマル君の家へ崩壊予 告を出した。
例え、お金があったとしても、イスラエル政府は建築の申請を受けても許可を出すことはないという。どちらにしろ、家を建てることは不可能、また建てても破壊されることになる。ここに家屋崩壊・土地没収というパレスチナ人追い出しの図がある。
家屋撤去の日が先月の11月26日に出された。この時の家を撤去するさいのブルドーザー使用料金、兵隊派遣料金、手数料は現在の家の持ち主、アマル君一家 が払わなくてはいけない。このブルドーザーの使用料金だけでも、アマル君の約1年間の給料に値する。しかし、この日は、延期の申請手続きやISM(国際連 帯運動)の手伝いもあって、家屋撤去は今月に延期された。
アマル君の父モハマッドは代々シルワン村の出身だった。もともと貧しい家庭で、アマル君の父と母は8人の子どもたちを抱えて、25件の貸家を点々とした。父はようやく16年前にありったけの持ち金を集め借金もして、ジャバル・モカベル・サワヒに土地を買った。
8人の子どもたちを連れて引越し続けてきた自分と同じうような苦労を息子たちにはさせたくない、土地さえあれば、息子たちが成長した時、自分たちで家を建 てることが出来る。6人の息子たちがそれぞれ家を建てることが出来るだけの広さもある。それは息子たちが皆で住めるようにとの父モハマッドの親心だった。 しかし父モハマッドは、1998年エルサレム市役所からの通告により、家の建設に許可が無い為いつかは崩壊されることを知らされ心臓発作で亡くなってし まった。
そして、今、イスラエル政府による家屋崩壊予定のため、彼らは家の家財道具を運び出し、別の 家を借りて住んでいる。にも関わらず、毎月250シェーケルの住民税を払い続けなくてはいけない。また、住民税を払っていても、市役所から下水パイプは通 してもらえず、配水もされないため、今でもアブ・ディスからホースで水を持ってきていた。
エルサレム市役所によると、この土地は農業用地に指定 されている為、住居を建てる許可はおりないと所書類に記載されている。この農業用地を住宅地に変更させる為にはさらに市役所に約30、000ドルの罰金を 払い、1年後に100,000ドルの住宅建設許可費を払わなければならない。
もしも家屋が崩壊された場合、土地に誰もいなければ土地を没収される可能性が非常に高い。今、彼らは土地だけは奪われないための方法を考えている。イスラ エルの法律では、オリーブの木を抜くことは禁じられている。だから崩壊された土地にオリーブの木を植えることで土地の没収を防ごうと考えている。その際は インターナショナルのボランティアの手と力が必要となる。
それから、私がパレスチナにいたとき、家屋崩壊・土地没収を防ぐために、私たちISMは東エルサレムのパレスチナ人の家に24時間で泊まりこんでいた。その家が先月11月9日に強制的に追い出されたという。
一部、現地からのメールをまとめる。
このal-Kurd一家は、1948年に西エルサレムから追い出され、UNRWAとヨルダン政府の合意によってSheikh Jarrahにパレスチナ難 民28家族のために建設された家に移り住んだ(なおこの合意には、3年以内に家の権利がこの家族に移譲されることも含まれていたという)。
しかし、1967年のイスラエルによる占領直後から、ユダヤ人入植者団体がこの家の権利の主張を始めた。そして2001年、al-Kurd一家の主人であ るAbu Kamelが心臓発作で入院した直後、入植者の一家族が一家の留守を狙い、家屋の一部を占拠しました。この占拠以降も、al- Kurd一家は占拠されなかった残りの部分に住み続けた。
しかし、午前3時半、イスラエル軍がal-Kurd家を急襲、ISMのメンバーを拘禁している間に、一家を 強制的に追い出しました。それ以降、この一家は追い出された家の近所の空き地で、テント生活をしていた。この連帯のテントと空き地を囲むフェンスは、2週 間前にイスラエル軍によって撤収・破壊されたが、テントは再建され、現在もal-Kurd一家はここで暮らしている。なお、この家の主人Abu Kamelは、撤収から約2週間後経った11 月22日に血圧の過度の上昇によって亡くなった。 今野泰三
以上が現地からのメール。
わたしがパレスチナにいた今年の夏ごろ、この亡くなったAbu Kamelさんは、いつも優しく私たちを迎えてくれていた。すぐ家の真横には、彼の家を追 い出そうとする極右のイスラエル人たちが住みつき、24時間で警備員が彼の家を監視していた。そして、すぐに兵隊や警察が彼の家に来てはプレッシャーをか けていた。
その彼が死んでしまった。彼は、わたしたちが、ヘブロンで逮捕され留置場へ入れられ、裁判所から疲れて帰ってきたとき、真夜中2時に、そっと、熱いアラビアン・コーヒーを笑顔で渡してくれた。その彼が死んだ。
それから、現在、わたしがいたヘブロンでは、パレスチナ人を一掃しようと考えるイスラエル極右のやつらが暴れている。そして、日々、パレスチナ人を襲撃し ているという。わたしがパレスチナをビザ切れで出る当日、挨拶にいった家族は、一生に一度の結婚式をイスラエル人たちに襲撃されてむちゃくちゃにされた後 だった。親友たちの顔はあざにまみれ、悲しい顔だけ残していた。
どうしたって、この人たちのことは忘れられないし、この人たちや世界中の貧困や差別、政治でおいつめられてる原因とやりあいつづけないといけないと思う。
今、わたしたちに、どこでも、できること。ひつこいけど、なんどでも言う。
イスラエルを支援する企業 をボイコット。死んでいった仲間とこれから生きてゆく俺らのために。
スターバックス、コカ・コーラ、マクドナルド、エスティ・ローダー、ネスレ、インテル、マイクロソフト、IBM、ディズニー、ダノン、ロレアル、サラ・リー、Hanes、Champion、ジョンソン&ジョンソ、ノキア、ETC、、、アメリカ合衆国。
イスラエル支援企業リスト
http://palestine-heiwa.org/choice/list.html
それから、以下へ思いを告げてやってください。また、パレスチナへ飛んで、実際にISMで働くのもいいと思う。だれでも参加できます。興味のある方は、ぜひメールください。osasimi-ichiban@hotmail.co.jp
パレスチナまたは、イスラエル内のパレスチナ人の家が日々、破壊されつづけています。デモでも抗議でも、ボイコットでも、やれるだけやるしかないと思います。
イスラエル首相(オフィス)
Prime Minister
Ehud Olmert
The Office of the Prime Minister, Kiryat
Ben-Gurion, Jerusalem, Israel
Fax: 972-2-670-5475
Fax: 972-2-651-2631
Tel: 972-2-670-5555
Email:webmaster@pmo.gov.il
or dover@pmo.gov.il
イスラエル国防相
Defence Minister
Amir Peretz
Fax: 972-3-691-6940
Fax: 972-3-608-0343
Tel: 972-3-569-2010
Email:info@mail.idf.il
or sar@mod.gov.il
イスラエル外相
Foreign Minister
Fax: 972-3-691-6940
Fax: 972-2-530-3367
Tel: 972-2-5303111
Email:sar@mofa.gov.il
駐日イスラエル大使
Ambassador
〒102-0084東京都千代田区二番町3番地
Fax:03-3264-0965(政治部)
Fax:03-3264-0794(報道・広報室)
Tel:03-3264‐0911
Email:information@tky.mfa.gov.il
アメリカ大統領
President
The White House, 1600 Pennsylvania Avenue NW
Washington, DC 20500, USA
Fax: 1-202-456-2461
Email:president@whitehouse.gov
アメリカ国務長官
Secretary of State
Fax: 1-202-261-8577
Email:secretary@state.gov
駐日アメリカ大使
Ambassador
〒107-8420東京都港区赤坂1-10-5アメリカ大使館
Fax:03-3505-1862
Tel:03-3224-5000
Email:mail-jpn@pd.state.gov
追伸:アマル君の役所から受け取った書類を確認したところ、以下のことが判明しました。
1 分離壁の100メートル範囲以内である為、
2 一家が日々食べる為の野菜を植えておけば、
ヒシャムに相談してミント、ピーマン、ほうれん草、
POLIZIA ASSASINI - ギリシャ・アテネ


12月6日、ギリシャのアテネで、16歳の青年 Alexandros Grigoropoulos が警察官に射殺された。このことに抗議するラリー、デモ、大学の占拠、暴動が、ギリシャ全土に広がっている。ギリシャ以外の国でもヨーロッパを中心に連帯行動が各地で起こり、例えば8日には、ベルリンとロンドンでギリシャ大使館が抗議者たちによって占拠された。
http://www.indymedia.org/en/2008/12/917365.shtml
http://www.indymedia.org.uk/en/2008/12/414640.html
http://balkans.puscii.nl/




ESFへゆこう

ESFへゆこう
ESF(ヨーロッパ・ソーシャル・フォーラム)は、年に一度ヨーロッパ内で行われる様々なアクティビストたちの巨大な祭典・交流の場だ。今年は、スウェーデンのマルム(Malmö)で9月17日から21日まで行われた。マルム市内各地には世界各地の社会・政治問題のセミナー会場、WORK・SHOP、アート・ギャラリー、映画上映会場、巨大テント、メディアセンター、ボランティア会場、パーティ会場、コンサート会場などが置かれた。また連日、直接行動、デモンストーレション、ロード・ブロック、RTS(リクレイム・ザ・ストリート)も行われた。私は、1ヶ月前から北スウェーデンのウメオ(Umeå)という森林に囲まれた小さな町に来ている。極フェミニスト、戦闘的ビーガン(90年代にはスウェーデンで一番巨大な肉会社「SCAN」の輸送トラックを何度も襲撃している)、グリーン・アナキスト(直接行動または戦闘的な動物保護、環境保護アナキスト)、アナルコ・クイア(新フェミニスト・あらゆるノーマルに異議を唱える人々)のコミュニティーの中で生活している。ちなみにこのコミュニティーはコレクティブ・ハウスと呼ばれている。スウェーデンではスクオッティング・空き家占拠が非常に難しい。だからみんなアパートや家をシェアして生活している。この家が様々な活動の拠点にもなっている。
そんな中よくESFの話がもちあがっていた。みんな詳しくはよくわかっていないが、とにかく各地からアクティビストやアナキストが集まるからゆこうという話だった。私にとってはパレスチナで一緒に活動していた仲間たちもゆくというし「暴動」が起きるぞなんて聞いていたからこれはゆくしかないと思っていた。ウメオからマルムまで約1300Km。私は極フェミニストのEMSと一緒に2日間かけてヒッチハイクでマルムに向かった。パレスチナでは1.2台でヒッチハイクできたがここではそうもいかない。スウェーデンの9月は日本の冬に近い。寒い中ひたすらヒッチハイクした。だいたい1時間以内でつかまえることができた。トラックや車に乗るといつも連れのEMSはパレスチナ問題、ビーガン、クイアの話をドライバーに始めた。ドライバーもそれに答えていた。イスラエル支援者には長い議論を打ち、肉食のドライバーには肉の生産方法を見極めて買うようにと勧めたり、ビーガンやベジタリアンになることの素晴らしさを勧めていた。(ビーガンを強いられている)私はときおり、煙たい目で彼女を見守った。
マルモにつくと、町中が祭りのような雰囲気だった。中央広場からは四つ打ちが響いていた。コンサート会場からはラテンな曲が聞こえた。セミナー会場やアートギャラリーが町中にいくつもあった。いろんなアクティビストやアナキストが町を徘徊し、巨漢な警察官が無数に巡回していた。アナキスト・カフェ「アイスクリーム・ファクトリー」にはヨーロッパ各地のアナキストやPUNKSがたまっていた。
初日は、難民・移民支援デモに参加した。スウェーデンは難民や移民の受け入れが他国に比べると寛容だ。しかし、2006年に政府がヨーロッパ型「社会主義」から資本主義な右派に変わってから、難民や移民の受け入れが減っている。もちろん福祉政策もカットされはじめ民営化が進んでいるという。これはヨーロッパ全体にもいえる。難民・移民支援する活動家の中には近年ヨーロッパ各地で増え続ける排外主義なナチスに対抗するアンチファのアナキストたちもいた。もちろん私はこのアンチファ、ブラック・ブロック(全身黒で覆面をしたラディカル集団)に参加した。各役所前に着くと難民、移民の人々やそれを支援する人々が抗議のスピーチが行われた。
デモの後は、ESFのボランティアに参加した。ボランティアの参加した理由は、飯がただで食えることと、セミナーが無料で受けれるということだった。町の各地に設置されたセミナー会場のスタッフをやった。私は、セミナーの通訳を受信するためのラジオを売る役になった。しかし、ラジオを売るのが嫌だった。恐らく中国で安い賃金で作られただろう格安ラジオを「ANOTHER WORLD IS POSSIBELE・もうひとつの世界は可能だ」という反グローバリゼーションのスローガンを掲げて売るのはおかしいと思ったからだ。だから、こっそりと無料で上げたり貸し出した。もちろん、このラジオを売る行為に異議をいう人もたくさんいた。
2日目は、またラジオ売りをした。主催者にラジオをしっかり売れといわれたので、慎重にラジオをあげたり、貸し出した。ラジオ売りの後は会場のゴミ拾いをした。使いふるしのコンドームを数個ひろった。気分が高揚した。その後、車社会反対・自然保護デモに参加した。このデモでは、最終的に交差点を封鎖して道路に座りこんだ。サウンドシステムも現れRTSになった。ドネーションのビーガン・バーガー屋も現れた。格安箱ワインを取り出して仲間たちと楽しく飲んだ(スウェーデンはストレッドエッジ、アルコール反対者も多い。アル中の私とストレッドエッジのアナキストはなかなかうまくゆかない。最近はストレッドエッジにアル中と呼ぶな、エンジョイ・ライフと呼べといっている)。
夜は、メイン道路のRTSへいった。道路は完全に封鎖された。ライブをやるトラックと、DJが乗ったトラックが現れた。そしてみんな踊った。しかし、覆面をしたアナキストたちが殴り合いの喧嘩を始めだした。なにかと思っていろいろ聞いてみると、ブラッグ・ブロックが銀行の窓ガラスを割り始めたらしい。喧嘩は窓ガラスを割るなという人間と割るべきだという人間の間で起こったようだった。
警察の前に座っている私に新聞記者がインタビューしてきた。「銀行の窓ガラスを割るのをどう思うか?」と聞かれた。だから私は「非暴力直接行動を信じている。私はやらないけど(やりたいけど、逮捕されると国外退去になるから)、銀行の窓ガラスを割るのは支援する。銀行は行き過ぎたの資本主義の象徴だから」と答えた。英語力がないせいで単純にしか答えられなかった。世界各地に広がる極度な貧困や激しい差別や抑圧の原因のひとつが過度の資本主義や金持ち優先の政策によることは間違えない。これは世界各地を旅し、この目でみて肌で感じてきたことだ。しかし、本当に言いたいことは、わたしもこの銀行の窓ガラスを割ってる人間の多くもキャッシュカードをもってATMから金を下ろしていること。窓ガラスを割ることは資本主義への怒りの意思表示のひとつだと思う。けど、それ以上にこの矛盾をまずは知ること、現状のシステムに依存しない方法を探さなきゃいけないと言いたかった。いつ警察が突っ込んでくるわからない状況だったので、記者はすぐにいなくなった。そしてすぐに武装した警察が動き出した。何度か腹を警棒で突付かれた。みんな石を投げながら逃げた。おかげでパーティは終わってしまった。なにか空しさだけ残った。
3日目は、ISM(国際連帯運動・パレスチナ支援団体)の行動に参加した。歩行者道路にお手製のCHECK・POINT(パレスチナ各地に置かれた検問所)を作って、偽イスラエル兵が偽パレスチナ人を激しく検査するパフォーマンスを行った。ISMの積極的な活動家やパレスチナ人がイスラエル兵役を演じた。それ以外の活動家はパレスチナ人役を演じた。最初はみんな笑顔が出ていたが、次第に慣れて真剣に演じはじめた。中には本気で兵隊になりきって怒鳴り、どついてくる奴もいた。こいつは本当に興奮(脳内勃起)していると思った。人間にはそんな性質があると思う。わたしはひたすら地面に押さえつけられ足で踏まれた。後になって「ほんとはあんなことしたくなかった」と謝ってきた。しかしそんなことよりも自分の中にある暴力の快楽性を知ること、その存在を認めることの方が何倍も大事なことかと思った。これは祭り、激しいデモ、暴動、戦争などの快楽も同じだと思う。この快楽を認めることは、快楽を意図的にコントロールしようとする権力や集団に利用されにくくなるんじゃないかと思う。
その後、ESF全体の巨大デモに参加した。「ANOTHER WORLD IS POSSIBELE・もうひとつの世界は可能だ」というスローガンを掲げたグローバリゼーションに反対する活動家、労働組合、人権運動家、動物保護・自然保護グループ、パレスチナ支援、世界各地の貧困や抑圧と闘うNGO、性差別・区別に異議を唱えるフェミニスト・クイアのグループ、社会主義者、マルキスト、平和活動家、多種多様な人々が参加していた。私はもちろん真っ黒なブラッグ・ブロックに参加した。ブラック・ブロックの歩いた後にはグラフィティが残された。警察や護送車がたくさんいるところには空き瓶や路上から剥ぎ取られたブロックが投げられた。グローバリゼーションを代表する店の窓ガラスも数箇所割られた。サウンドシステムからは攻撃的な4つ打ちが鳴り響いた。ハードコアなコールが街中に唸った。私たちは覆面しながら、安ワインに酔った。デモは7キロ続いた。みんな疲れ果てデモは終わった。