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イレギュラー・リズム・アサイラム
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「アナキズム誌 オンライン編集委員会」より転載。

叛乱を組織する方法
原文:How to Organize an Insurrection (Crimethinc.)

12月6日に Exarchia のアナキストが多く住む地域で15歳の Alexandros Grigoropoulos が警察に殺害されて以降、ギリシャを震撼させた暴動の参加者からの内部報告の一つをここに謹んで示す。これは、ギリシャの同志から最初に受け取った解答に過ぎない。すぐに、ギリシャ暴動に参加した他の分子からさらに多くの見解を受け取ることになると思われる。そのことで、今回の叛乱の文脈とダイナミクスを包括的に示すことができるようになるだろう。これらの質問に自分なりの答えを示すことができるなら、また、示すことができる人を知っているなら、 rollingthunder@crimethinc.com にその答えをメールして欲しい。


  • 都市の内部で行動をどのように調整したのですか?諸都市の間ではどうだったのでしょうか?

完全に身内だけの親和グループ——積年の友情と100%の信頼関係に基づいたグループ——が何百もあり、アテネにある三つの大きなスクウォットとテサロニキにある三つのスクウォットから来た人々のようなもっと大きなグループが幾つかあります。

ギリシャには50以上の社会センターがあり、この国の全ての大学にアナキストの政治スペースがあります。また、「反権威主義運動」は全ての主要都市に支部を持っており、ブラックブロックの親和グループのネットワークがギリシャの全都市で、個人的な関係と電話とメールでのコミュニケーションに基づいて、能動的に活動しています。これら全てにとって、インディメディアは、有用な情報を収集し、共有するための戦略的ポイントとして非常に重要です。何処で闘争が行われているのか、警察が何処にいるのか、秘密警察が何処で逮捕を行っているのか、瞬間瞬間に全ての場所で何が起こっているのかを収集し、共有しています。また、政治的レベルでも有用で、デモや行動の告知と呼びかけを公開してくれます。

もちろん、現実に、主要な調整方法は、携帯電話を使って友人同志で行われていることも忘れてはなりません。これは、若い学生達がそのイニシアティヴ・デモ・直接行動を調整する際に使っている主要アプローチでもあります。

  • どのような組織構造が現れたのですか?

1)あらゆる類のちょっとした友人との交際関係全てが、街路での自発的決定を行い、行動を計画し、無秩序で統制不可能なやり方でそれらを実行していました。何千という行動が同時に国中あらゆるところで行われました。

2)毎日午後に、占拠された学校・公共の建物・大学で全体会議がありました。

3)インディメディアが告知と行動の戦術的調整を行うために使われました。

4)様々な共産主義政党も、自身の学生連合を組織しました。

5)特に影響力のある連合の一つは、アレクシスの友人たちが組織したもので、デモと行動・学校の占拠を組織し、学生闘争からの一般的告知を公開していました。

  • 組織を作るために人々が利用した既存の構造があったのですか?

初めて街路に出た若い学生達にとって、また、参加した移民たちにとって、電話は最重要でした。これが、情況に完全に無秩序で予測不可能な要素を生み出したのです。一方、アナキストと反権威主義者にとって、全体会議は過去30年間にわたりあらゆる運動で使ってきた組織作りツールです。親和グループ・スクウォット・社会センター・大学占拠などのあらゆる組織は、同様に、自身の集会を持っています。参加者の中には、左翼政治組織・左翼とアナキストの大学政治スペースも含まれていました。闘争の最中、新しいブログが数多く現れ、高校生の新しい調整ネットワークができていました。


  • どのような人々が行動に参加したのですか?

大多数がアナキストでした。半分は昔ながらのアナキストであり、前に告発された事があり、逮捕されると拘留されてしまう危険を持っている人もいました。その人たちの他には、16歳~18歳の学生が何千といました。こうしたグループと同時に、移民や何千もの大学生がいましたし、多くのジプシー(ロマニ)の子供たちもいて社会的抑圧と人種差別主義の復讐をし、他の社会闘争の経験を持つ昔からの革命家もいました。

  • どのような行動が行われたのですか?

1)破壊・略奪・放火が、若い人たちの主要な行動でした。若い人たちは、多くの場合、高級品の商業地区を攻撃し、豪華な高級品の店を開放し、中の品物を全て取り、空気中にまかれた催涙ガスの効果を中和しよう放火しました。多くの人々が、車をひっくり返してバリケードとして使い、警察を遠ざけ、解放エリアを創り出しました。警察は4600の催涙ガス爆弾--ほぼ4トン--を使いましたが、人々は数え切れないほどの放火をして、国家が民衆に仕掛けた化学兵器戦争の中でも充分呼吸できるように自分達のエリアを維持していたのです。

街路にいる何千という人々が、火の黒煙が催涙ガスの白煙を無効にできると実感すると、その人々は催涙ガスから身を守るために燃えるものなら何でも手に持つという戦術を使いました。ハンマーで舗装道路を叩き、何千もの石を創り出し、人々が投射物として使うというテクニックもありました。もちろん、火炎瓶を自発的に個人が作り投げつけることもありました。この戦術は、特に、機動隊にデモ参加者を恐れさせ、尊重するようにさせる方法であると同時に、攻撃と非難の場所と時間をコントロールする方法でもあったのです。

2)棒・石・火炎瓶を使った攻撃は、国中で多くの銀行・警察署・パトカーに対して行われました。小規模都市では、銀行と警察が主要な、もしくは唯一のターゲットでした。小規模の社会で、顔を付き合わせた関係があるために、幾つかの多国籍企業フランチャイズ店を除き、商店を粉砕するわけにはいかなかったのです。

3)何百もの象徴的占拠が行われました。公共施設・市役所・公益事業オフィス・劇場・ラジオ局・テレビ局などありとあらゆる施設を、50~70人が占拠しました。また、サボタージュ、街路・高速道・オフィス・地下鉄の駅・公益事業などの封鎖といった多くの象徴的行動が行われ、その際には、通常、その地域にいる人々に数多くのパンフレットが配られました。。

4)毎日、沈黙の抗議行動・ハプニングアート・非暴力行動が議会の前や全ての都市で行われていました。その大部分が警察から獰猛に攻撃され、催涙ガスを使われ、人々が逮捕されました。

5)左翼主義者は公共の場でコンサートを組織し、アンダーグラウンドのバンドと政治意識を持ったポップスターが参加しました。アテネで行われた最大のコンサートには40のアーティストが出演し、一万人が来ました。

6)共産党は統制の取れた学生デモを組織しました。その多くで、無秩序で自発的な学生デモほどの参加者を引き付けられませんでした。


  • この行動の参加者の多くは、以前に、同様の行動に参加していたのですか?「初体験」だった参加者はどのぐらいいたと思いますか?

数千人の人々が、経験豊かな蜂起主義アナキスト・反権威主義者・リバータリアンのアウトノミアでした。その半分が、非常に重要な闘争の時だけ街路にやってくる昔からのアナキストで、大部分が前科持ちでした。また、何千という若い人々がおり、こうした人たちは、社会保障を求めた社会闘争・教育の民営化に反対する社会闘争・2007年夏にギリシャの自然地域のほぼ25%を焼き尽くした火事の最中に行われた大規模な自発的デモで、ここ三年間で急進化した人々でした。参加した人々の約30%が初めて暴動に参加したのだと推計しています。

  • ギリシャでは以前にどの戦術が行動の際に用いられていたのですか?今回の叛乱でそれは広がったのでしょうか?そうだとすれば、それはどのように生じたのでしょうか?

この闘争で使われた戦術の大部分がギリシャではだいぶ前から使われていました。今回の闘争で最も重要な特徴は、国中で即座に様々な行動が出現したことでした。アナキスト活動の最も重要な地域で若い男の子が暗殺されたことで、瞬時の反応が引き起こされたのです。彼の死後5分で、国中にあるアナキスト小集団が活動を始めたのです。警察が民衆から攻撃された理由を知らされたのが、アナキストよりも警察の方がだいぶ遅かった場合もありました。ギリシャ社会にとって、この国の青年たちの大部分が「アナキストの暴力戦術、破壊と放火」を採用したことは驚きでしたが、これはアナキストの行動と思想が過去4年間にわたってギリシャ社会に及ぼしていた一般的影響の結果だったのです。

  • これらの行動に参加した人々の間で葛藤はなかったのですか?

共産党は、自身をアナキストや左翼主義者から切り離し、別個のデモを組織しました。また、共産党が公表した告知・大企業メディアへの出演・議会へのスピーチ・全ての左翼主義組織に反対して行われた否定的プロパガンダは、共産党こそが社会変革の本当の敵だと証明しています。


  • 行動に対する「一般大衆」の意見はどうだったのですか?

テレビ民主主義(テレ-デモクラシー)の時代に何が「一般大衆」と呼ばれるのかについては多くの論議が必要です。

一般に言って、「一般大衆」は、私たちが貧者の小売店を燃やしているとテレビが述べている時には恐怖を感じるものですが、人々は、暴動が行われている金持ち地区にどのような店が存在しているのかを充分に分かっています。人々は、怒れる移民が街路に出て略奪をしているとテレビが報じているときに恐怖を感じるものですが、同時に、移民が貧乏で絶望していることを知っており、移民は街路に出ている人々の一部に過ぎないことを知っています。多くのアーティスト・理論家・社会学者などの有名人が今回の叛乱について解説をしていました。その多くは、私たちの大義にとって有益でした。時代精神に参加する必要に捕らわれていた人もいたのでしょうが、正直に自分の本当の思想を表明する機会としてこの情況を利用した人もいました。15歳の男の子が警官に殺されたことに「一般大衆」は怒っています。そして、以前よりも遙かに警察を憎んでいます。どのみち、まずもって、警察のような人などいないのです。ギリシャの「正常な」人々の大部分は、右翼政府も過去の(多分未来の)社会主義政府も信頼していません。警察・金持ちの店・銀行を嫌いなのです。今や、新しい世論が出現しています。叛乱の社会的・倫理的正当性を示しています。これまでギリシャを支配することが難しかったとすれば、今やもっと難しくなることでしょう。

  • こうした出来事の文脈に取って、ギリシャの独裁体制の遺産はどの程度重要だったのでしょうか?この場合、民衆の意見と行動にどのように影響を与えているのでしょうか?

1973年に、7年間にわたる独裁体制に対して叛乱する危険を冒したのは、青年たちだけでした。これが独裁体制を終わらせた唯一の原因ではなかったとしても、学生がギリシャを独裁者と米国の支配から救ったという集団的記憶が残っているのです。青年が万人の利益のために大きな危険に身を置くことは、共通の信念であり、このことが、希望の感情と学生の行動に対する寛容さとを生み出しています。もちろん、現在、これは昔の話であり、闘争の背景に影響してはいるものの、この闘争に関連して言及されることはありません。

もう一つの影響は、1991年と1995年の教育民営化に反対する学生闘争から出現しています。この闘争は政府の計画を変更させ、現在まで公教育を確保しています。2007年の叛乱は、今日まで、ギリシャのアナキズム運動の頂点だと思われます。国中で叛乱が起こり、社会の広範な地域で行動・スローガン・思想に多大な影響を与えました。しかし、以前の学生闘争、特に、1991年にアテネで起こったものは、もっと目立つ、もっと広範な闘争でした。

  • 経済問題は、大企業メディアが述べているように、今回の出来事で重要だったと思いますか?

アテネの多くの富裕層エリアにいる青年たちも、自分達の地域の警察署を攻撃しました。つまり、生じていることを説明するときにマルクス主義者が使う階級戦争にも大きな問題があります。金持ちと貧者の分断は、平等と社会正義を求めた闘争における長年にわたる連帯と参加ほどにも重要ではなかったのです。

一方、25歳~35歳のギリシャ人は、家族を作ることも、子供を持つこともできません。経済のためです。ギリシャは欧州全土の中で最も人口不足の社会です。しかし、ここでは、これが叛乱の原因だと述べません。青年たちは怒っており、警察・資本主義のシニシズム・政府を、自然に本能的に憎んでいます。解説や政治的課題など必要ないのです。地元のメディアは、英国・仏国・米国のメディアが行っていたように社会条件について徹底的に語ろうとはしません。地元の大企業テレビ局は、思想も社会的アイデンティティもない無秩序な「覆面野郎」(masketeers)関する嘘を終わらせようとしています。何故なら、アナキストの道徳的影響力はこの社会で非常に強いため、テレビで私たちの思想を真面目に語り始めないと、社会が爆発しかねないからです。幾つかのテレビ番組と新聞を除き、大部分のマスメディアは経済的諸問題と無秩序な叛乱を分離しようとしています。

68年5月世代の左翼主義者でさえ、メディアに話をするときに、破壊と暴動は民衆のニーズと希望の政治的表現ではない、と述べています。アナキストと青年は、政治議題を表現する能力を持っておらず、民衆は他の政治的代表者を必要としている、というわけです。もちろん、こんなことは、将来の社会闘争に参加する青年にほとんど影響を与えていません。この闘争以降、青年と、あらゆる種類の政治的指導部や権威との間には大きな緊張関係と大きな隔たりが存在しているのですから。


  • 警察に対する怒りと経済以外に、人々が参加した動機は何だと思いますか?

冒険を求めた個人的・集団的ニーズ。歴史を作ることに参加するニーズ。あらゆる政治・政党・「真面目な」政治思想の無秩序な否定。あらゆるテレビスター・社会学者・社会現象としてみんなを分析すると主張する専門家を憎む文化的ギャップ。自分らしく存在し、耳を傾けられたいというニーズ。権威に対して戦い、機動隊をあざ笑いたいという情熱。自分の心にある力と自分が手にする熱情。火炎瓶と石を、議会の前で、金持ちの商業地区で、自分がいる静かで小さな町で、自分の村で、自分の町内の広場で、警察に投げつけるという素晴らしい経験。

他の動機には次のものがあります。親友と共に行動を計画し、実現させ、後に他の人からその行動について凄いことだったと聞くという集団的感情。地球の反対側の新聞やテレビ番組で友達と一緒に行った行動が読まれる事に関する情熱。将来の闘争の地球規模の実例となる物語を作り、行動を作り、計画を作らねばならないという責任感。小売店を破壊し、商品を取り、燃やしてしまうという、街路で燃える資本主義の誤った展望と夢を目の当たりにする大騒ぎの楽しさ。あらゆる権威への憎しみ。自分であったかも知れない人の死の復讐という集団的儀式に参加する必要性。国全土でアレクシスの死に対して警察が報いを受けねばならないという個人的な復讐感情。警察の暴力が増加するならば、私たちには反撃する力があり、社会は爆発するぞという強力なメッセージを政府に送る必要性。社会に対して皆が起きねばならないという直接的メッセージを送る必要性。私たちは何処にでもおり、あらゆる物事を変革するのだから、私たちのことを真面目に受け止めねばならないということを当局に対して示す必要性。

  • 政治政党は、暴動からエネルギーを取り込む事ができたのでしょうか?

「実際の」数で、社会党員は右翼政府よりも優位に立ち、世論調査で8%ほどリードしています。「欧州社会フォーラムの共産主義者」は、叛乱を手助けしたにも関わらず、1%を減っています。ただ、なおも彼らは12%で第三位にいますが。共産党は8%で、国民党のネオファシストは4.5%、緑の党は 3.5%で変わらずです。

「社会党」指導者は、長年、右翼の党首よりも人気がなかったのですが、今や「国を支配する能力」において第一位だと見なされているのは興味深いですね。暴動は政治シーンに大きな影響を与えました。政治政党は、莫大な暴力の波と社会のあらゆるレベルからの参加を理解することも説明することも反応することもできないようでした。政党が行った告知は、実際に起こっていることとは無関係でした。政党の人気は若い世代の間で劇的に減少しました。政治政党の論理と政策に自分の姿を投影することなどなく、政治政党が自身を代表していると感じることもありません。

  • この行動を始め、継続する上でアナキストはどのような役割を演じたのでしょうか?社会にいる他の人々はアナキストの参加をどれほどハッキリ分かっていたのでしょうか?

過去数年間、アナキストは、ギリシャの主要都市全てで、コミュニティ・グループ・組織・スクウォット・社会センターのネットワークを作ってきました。多くのグループはお互いを好きではありません。グループや個人の間で大きな違いが多くあるからです。しかし、このことがこの運動を助けてくれています。運動が今や非常に多くの主題をカバーできるからです。様々な人々が、自分の同志を異なるアナキズム運動の中に見つけ、一緒になって、お互いを--敵対的だったとしても、ポジティヴなやり方で--後押しして社会とコミュニケーションを取っています。このコミュニケーションには、町内集会の創造・社会闘争への参加・一般社会にとって意味を持つ行動の計画が含まれます。反社会的アナキズムの30年を経て、ギリシャのアナキズム運動は、今日、問題・限界・内部闘争を持ちながらも、アナキズムの小宇宙の外に目を向ける事ができ、すぐに目に見えるやり方で広く社会を改善する行動を起こす事ができます。もちろん、このことが目に見えるようにするためには多くの努力が必要となるでしょうが、日に日に誰も否定できなくなっているのです。

行動を開始し、継続する上でアナキストが果たした役割についてですが、特にその始まりである12月6日(土)と7日(日)、そして、12月10日(水)以降の行動継続について、その行動を実行したのは大多数がアナキストでした。この間、特に月曜日に破壊的大決戦が行われた際には、学生と移民が非常に重要な役割を果たしました。しかし、大部分の学生は、破壊行為を三日ぐらい行うと容易く満足感を得て、家に帰ったり、もっと平和主義的な雰囲気のあるデモに参加したりしました。同様に、移民は、非常に強力な反動を地元の人々から受けざるをえなくなり、街路に戻ることを恐れるようになりました。

従って、ギリシャにいる2万人のアナキストが叛乱を始め、他の人々が平常に戻ったときにも継続していたのです。言っておかねばなりませんが、平常に戻ることを恐れるが故に、私たちはさらに10日戦い続け、同志の暗殺に対する復讐行為が、私たちの空想の中で、ゼネストの準備へと変わると共に、自分達自身を大きな危険に曝しているのです。今や欧州社会は、今回で、社会的蜂起がどのようなものか、社会を数ヶ月で変革することがそれほど難しくないと分かったことでしょう。

しかし、全ての人が参加し、それぞれの役割を果たすことが必要です。ギリシャの青年は、欧州全土の全ての社会に招待状を送りました。私たちはその反応を今待っています。


  • ギリシャではアナキストはどれほど一般に目立っているのですか?ギリシャの人々の大部分はどれほど「真面目に」アナキズムを受けとめているのですか?

ある意味で、アナキストが自身を「真面目に」捕らえ始めてから3年か4年しか経っておらず、もっと大きな社会からもそのように見られている、と言うこともできます。私たちが、25年間の活動を特徴付けていた反警察戦術の限界を超えてうまく拡大するようになったのはここ数年のことでしかありません。この戦術に従えば、私たちは警察を攻撃し、警察は民衆を逮捕し、私たちは連帯行動を行う、この繰り返しなのです。このルーチンから抜け出すのに25年かかりました。もちろん、反警察攻撃と戦いは続いていますし、受刑者との連帯運動は以前よりももっと強力になっています。しかし、アナキズム運動の中にある反社会的要素は意識的に自制し、今や、私たちは社会全体の利益になるように話し、気遣い、行動できます。少なくとも社会の一部がハッキリと理解できる行動と計画を使っているのです。

スーパーマーケットを襲撃し、盗んだ商品を無料で人々に配るといったような多くの行動は、非常に一般的で、充分受け入れられるものとなっています。銀行の攻撃も、特に、現在の経済危機を受けて、充分受け入れられています。警察署の襲撃は国中で高校生が採用し、活用してきました。色々な点で、過去15 日間、私たちはニュースの一番の題材だったのです。一般的に言って、学生の闘争や労働者の闘争や環境保護の闘争に私たちは参加しており、毎週、アナキストが行う何らかの行動は注目を集め、アナキズム運動の認知度を高めています。

だからといって、「アナキズム」がギリシャ民衆の大多数に真面目に受け止められているわけではありません。大部分の人々は、今も、私たちを「覆面野郎」で犯罪者だと述べているテレビの嘘を信じています。また、大多数は、アナキズム社会がどのように機能するのかについて分かっていません--大部分のアナキストもそうであり、この疑問に取り組もうとしないのです!しかし、私たちの行動・批判・思想は、左翼と進歩的な人々に今や強い影響を与えています。私たちが存在しないなどと言うのはもはや不可能です。今や、私たちの存在が若い世代の大部分を急進化しているのです。

  • サブカルチャーのグループ——パンクやスクウォットなど——はこの叛乱を可能にする上でどのような役割を果たしたのですか?

1993年以後、ギリシャのアナキズム運動に強力な傾向が——多くの重大な内部闘争に付随して——ありました。運動内部で「サブカルチャー」スタイルの影響を減らそうというものでした。つまり、ギリシャのアナキズム運動において、パンクであれロックであれメタルであれ、アナキストと同一ではないという意味です。好きなようにすれば良いし、好きな音楽を聴けばよいし、好きなスタイルやファッションを着れば良いが、それは政治的アイデンティティとは違うということです。

今月の街頭闘争の中で、多くの「エモ」が参加していました。ヒッピーフリーク・レイヴァー・パンクス・メタルの男の子や女の子・トレンディーな普通の子供たち・ギリシャ音楽が好きな学生達もいました。アナキズム運動に参加しようと思わせるのは、社会的・政治的意識・社会批判・集団的理解であるべきで、ファッションではありません。もちろん、少なくとも、過去19年間、Void Network や同様のコレクティヴは、多くの文化的・政治的イベント・フェスティバル・パーティを毎年開催し、多くの人々をアンダーグラウンド文化に引き付けてきました。しかし、Void Network でさえ、サブカルチャーのアイデンティティを創り出しても、様々なサブカルチャーを分別してもいません。多くのアンダーグラウンド文化を巻き込んだイベントを開催しようとしているのです。ただ、シーンにいる人々の大多数が、DIYアンダーグラウンド文化のイベントの多くに参加していることは確かですし、多くのイベントが解放的スペースで毎月行われています。

  • ギリシャでアナキズム運動が健全なのは何故なのでしょうか?

サブカルチャーのアイデンティティポリティックスと分離したことで、人々は、自分をアナキストだと呼ぶならば、もっと真面目に参加・計画・創造・行動をすることになるのだと理解するようになりました。単に、反キリストが描かれたTシャツを着るとか、ビールと催眠剤を飲みながらパンクのコンサートを彷徨くとかではないのです。今や、アナキストと自分呼ぶのなら、デモにやってきて、断幕や黒旗・赤黒旗を持って街路に出て、スローガンを一緒に叫び、アナキストの存在を示さねばならないのです。同時に、自分をアナキストだと言うのならば、毎週、様々な行動・計画・闘争を一つか二つか三つの準備をするために一つか二つか三つの集会に参加しなければなりません。危険なことを計画するために自分が100%信頼する人たちと友人にならねばなりません。この世界で起きていることを意識し、それを知らされ、適切な行動方法は何かを決めなければなりません。クレイジーで情熱的にならねばなりません。凄いことをやれるんだと感じなければなりません。自分の人生・時間・歳月を終わることなき闘争に捧げる用意がなくてはなりません。期待を持たない事が健全です。持たなければ失望しないのですから。勝利を期待しないのです。出現し、戦い、再び消滅することに慣れるのです。個人として透明になり、集団的力として出現する方法を知るのです。自分が世界の中心なのではなく、いつでも社会の中心になることができることを知るのです。


  • どのようにして、ギリシャのアナキズム運動はより良く、より強力になると思いますか?

私たちは、自分達の思想を人々に説明する際のもっと知的なやり方を見つけねばなりません。私たちは、社会全てと政治的コミュニケーションを行うテクニックを必要としています。私たちの行動の「政治的翻訳」を行い、社会文脈に闘争全体をおくもっとうまい、もっと強力な方法が必要です。テレビ民主主義では、政治家はテレビのスーパースターに他なりません。マスメディアとのコミュニケーションやマスメディアを使ったコミュニケーションを私たちが拒絶しているのは健全ですが、マスメディアの「世論の現実」を、私たちに対するメディアのプロパガンダを克服する新しい方法を見つけねばなりません。そして、社会に対して私たちの行動の大義を説明する方法を見つけねばなりません。テレビのショーが何であれ「存在」する以上、そして、テレビに映されないものは何であれ「存在しない」以上、私たちは、テレビ番組の平常さを破壊するためにクレイジーな思想・危険な行動・街路での闘争と共にあり続けます。私たちは、私たちの行為に対する否定的広告を利用して、一般大衆の空想と夢を誘拐します。しかし、私たちの建設的な思想を万人にどのように説明すればよいのでしょうか?人々がメディアを信じるのを止めるようにさせるのはどうすれば良いのでしょうか?何百万もの人々とコンタクトを取るにはどうすれば良いのでしょうか?

何百万というポスターと無料のパンフレットが街路で手から手へと渡されることでしょう。何百万もの招待状が持ち込まれ、デモと社会闘争への参加を求めていくでしょう。政府が望まない部門や政府がカバーできない部門で無料の公共事業が--無料のアナキスト医師と教師・無料の食べ物・無料の宿泊施設・情報・アンダーグラウンド文化など--行われるでしょう。このことで人々が私たちの思想に近づくことができるようになるでしょう。もっと多くのスクウォットと社会センターが必要となるでしょう。あなたがスクウォットを始めることができるなら良いでしょうが、自分の町でスクウォットすることが不可能であっても、友達と一緒に建物を借りて、お役所に気を付けながら、コレクティヴを作り、集会を始め、黒旗や赤黒旗を入り口に掲げることができます。町に住む人たちに、人種差別・家父長制・ホモ恐怖症のない世界の、平等な場所・自由・違いの尊重の、愛と共有の世界の生きた実例を示すことから始めましょう。新しい社会生活傾向のパラダイムとして光り輝くために、メトロポリスでこの新しい方法論を証明するために、ギリシャのアナキズム運動の蜂起主義にはもっと「アウトノミア」が必要なのです。

  • 警察の弾圧は、アナキズム運動を封鎖する上でどれほど効果があったのでしょうか?人々はどのようにそれに抵抗したのでしょうか?

蜂起主義者の夢と計画は現実になりました。莫大な参加者の波がアナキストを「乗り越えた」のです。無秩序な日々に、人々は移動し、これまでなかったようにその都市で、不案内な時間と場所で戦いました。

もちろん、同じ日々に、蜂起の限界に直面しました。人々は今や多くの時間を使って、民衆の理解を拡大する方法について長い議論をし、実践・行動・方法を発明しています。これが闘争を継続させ充実させるでしょう。多くの人々は、この叛乱の様々な分子が非常に近しくなるやり方を考えています。警察の弾圧は、肉体的疲労がそうである程にも、暴動の最後に重要な役割を演じることなどありませんでした。私たちは皆、完了と始まりの感情を共有しています。これらは、警察には触れることのできない感情なのです。

  • 12月の出来事の最終結果はどのようになると思いますか?

闘争の継続です!政治的・社会的・経済的平等を求めた終わる事なき闘争です!自由の継続的拡充です!

将来、ギリシャと欧州全土の新自由主義政府は、経済的・社会的変革を実行しようとする前に、非常に真面目に考えるでしょう。アテネの暴動と経済危機は当局・銀行・大企業のシニシズムを終わらせ、ギリシャの新しい世代を急進化し、未来の大規模な社会闘争との対話を開く機会を私たちの社会に与えたのだ、と。

アテネと Exarchia の2008年12月のスローガンのように:

私たちは未来からのイメージだ
WE ARE AN IMAGE FROM THE FUTURE

Questions answered by Void Network (Theory, Utopia, Empathy, Ephemeral Arts)

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