▲裁判所の檻の中 ラッキーなことにカメラが持ち込めた
アナ ヤバーン・ハリーリ!!
志賀直輝
私は、パレスチナの西岸地区でイスラエル政府・兵隊・警察によるパレスチナ人への占領・隔離政策、人間以下の取り扱い、殺害、射殺、暴行、土地没収、家屋破壊、分離壁、夜間侵入、外出禁止令、交通の不自由、水道のストップ、CHECKPOINTでの長期拘束、不当逮捕、不当長期拘束、あちらこちらにしかけられたカメラ、パレスチナ人民家の屋上のイスラエル兵の基地、イスラエル入植者によるパレスチナ人民家・農地への占拠、暴行、殺害、恐喝、嫌がらせ、投石など(あげるともっと果てしなくつづく)に反対する団体・国際連帯運動(ISM)に参加している。
私が滞在しているヘブロンには、数箇所イスラエル入植地がある。他の西岸地区との違いとして、ここヘブロンにはイスラエル入植者とパレスチナ人民家が混在するエリアがある。このエリアはH2と呼ばれ、イスラエルの軍事管理下に置かれている。そのためパレスチナの行政権がいっさいない。救急車も入れなければ水道など一切の行政サービスがイスラエルにコントロールされている。また町のいたるところに検問所があり毎日パレスチナ人は検査をうけなくてはいけない。時に兵隊は罵声をあげ、反抗的な者は逮捕されひどい場合は刑務所に送られる。このエリアにはパレスチナ人を守る法や機関が存在しない。だから、パレスチナ人はイスラエル軍に従うしかない。もしも抵抗でもすれば「テロリスト」として何十年も刑務所へいれられるケースもある。
元々長年住んでいたアラブ人の土地に1948年以降、世界各地から大量にイスラエル入植者が入りこんでくる。ここヘブロンでもっとも大きい入植地キリヤットアルバは1967年以降、世界各地から入植者が流れてくる。特に貧困層のアメリカ人が多い。この背景には政府からの入植者への資金援助があるためだ。パレスチナへの占領を進めたがるイスラエル入植者(シオニスト)の多くは、パレスチナの地は神から与えられたユダヤの地だと信じ、軍隊や警察をつかって不当な追い出しをかけている。
ヘブロンの ISMは、CHECKPOINTでイスラエル兵の監視をする。イスラエル兵に長期拘束されたパレスチナ人の早期開放のためにレッドクロス(赤十字)や他国の機関団体に通報して、軍部に連絡してもらう(しかし無力に近い)。また、入植者からの襲撃の多い地区へゆき、彼らがパレスチナ人へ襲撃するさい間に入る。またビデオ撮影してメディアに流したり、イスラエル行政に訴えたりする。このためイスラエル当局や入植者から目の敵にされる。
また、南ヘブロンではパレスチナ人羊飼いの村に泊り込み、羊飼いに同行する。この南ヘブロンには、点々と羊飼いのテント村がある。羊飼いのテント村のすぐ付近に国際法に違反したイスラエル入植者のテントやコンテナハウスがある。羊飼いが遊牧する時間になると連日イスラエル入植者は羊飼いを襲撃する。投石、車でのひき殺し、恐喝、暴行、国境の変更など日に日に羊飼いの生活が狭められている。
ここ数週間、わたしたちは、南ヘブロンの羊飼いの村スシヤに滞在している。このスシヤ村に2008年6月9日月曜日、覆面したイスラエル入植者がバットや角材でパレスチナ人に襲い掛かる事件があった。この事件以降、毎日、インターナショナルの活動家が寝泊りしている。
http://www.youtube.com/watch?v=tjLetYR91nA
▲動画
朝晩、わたしたちは羊飼いに同行する。その都度、入植者が羊飼いを妨害してくる。また兵隊がきて羊飼いを追い出す。羊飼いやインターナショナルな活動家を不当逮捕することも多い。ときに兵隊が国境線を違法にも変更してくることもある。
8 月1日3時半ぐらいにイスラエル入植者がトラックで遊牧中のパレスチナ人や羊に突っ込もうとしてきた。だから、わたしはスエーデン人とイギリス人の仲間と一緒にこのトラックを必死で止めた。さらに撮影もした。入植者が兵隊に通報し、数分後イスラエル兵が来た。兵隊たちはわたしたちをジープに連れていった。その後、警察がきて理由をつけずにわたしたちを逮捕した。
▲トラックで羊飼いに突っ込むイスラエル入植者
警察署では取り調べが行われた。警察側の言い分は、退去命令を出したが退去しなかったから逮捕したと述べていた。しかし、彼らはわたしたちのパスポートを奪い、動くこをを禁じていたのに、退去できるはずがない。だからこの事実を告げると、警察はなぜ嘘をつくのかと怒鳴った。怒り返しても仕方がないので、ただ事実だけをのべた。警察は、わたしたちに罪を認めて、4週間ヘブロンに立ち入らないことを約束しろといってきた。だから、わたしは警察官にいった。イスラエル入植者がトラックで羊飼いに突っ込むのが罪ではなく、それを止めたわたしたちが罪だというのはどう考えてもおかしい、だからサインしないと。サインしないかわりに留置所に入れられた。部屋にはカメラがあり、クーラーが効き過ぎていた。しかし、以外と居心地がよかった。4時間に煙草一本が配給された。飯は3食。野菜とパンの時もあれば、肉と米がでるときもあった。この日は疲れていたのですぐに寝た。朝になっても解放されなかった。だから、わたしたちは歌を歌った。寿の「前を向いて歩こう」を歌った。前を向いて歩こう、涙がこぼれてもいいんじゃないか、思い出す、夏の日、ひとりぼっちじゃなかった夜。隣の牢屋のパレスチナ人がいい歌だと喜んでいた。彼らは私達以上に長いこと拘留される。
警察が私たちインターナショナルを拘束できる時間は24時間と法で決められている。しかし、警察はわたしたちを出さなかった。だから、わたしたちは叫んだ。ロッカーを叩き、声を上げた。それでも彼らは私たちの声を無視した、28時間の時点で彼らはもう一泊しろといってきた。だから、本当に怒鳴った。すると警察も怒鳴った。しかし、警察は裁判所に連れてゆくことを約束した。その後、私たちはエルサレムの裁判所につれてゆかれた。裁判所の牢屋にいれられた。そして、裁判になった。弁護士が警察のいい加減な言い分をどんどん暴いていった。ついに警察は黙り込んだ。そして裁判官はわたしたちに違法性がないことを認め、今後も活動できることになった。わたしたちは肩をとって喜んだ。
しかし、これはわたしたちがインターナショナルで他国な人間だからすんなりいったに過ぎない。パレスチナ人の場合はもっと時間がかかる。刑務所内でのパレスチナ人への警察官の対応は比べようにならない。時に数日間も狭い部屋に閉じ込め目隠しされたり、拷問されたり、激しい弾圧を受けている。これはただ兵隊に投石をしただけでも受けるという。
わたしたちは、パレスチナ人羊飼いにトラックで突っ込もうとした入植者を訴えることに決めた。結果はどうなるかまだわからない。しかし、数週間前、同じ南ヘブロンで入植者がパレスチナ人羊飼いを誘拐して暴行を加えた時、わたしたちはこの瞬間を撮影していた。この事件を警察に訴えた結果、この入植者は逮捕された。わたしたちは少しでもイスラエル入植者や兵隊からの襲撃を受け続ける羊飼いやパレスチナ人の不安が減り、ふつうの生活ができることを願い行動する。
アナ ヤバーン・ハリーリ。いつもわたしはパレスチナ人にどこから来たと聞かれるとこう答える。わたしはジャパン・ヘブロン人だと。ここはわたしの故郷でもある。だから、二度と来るなといわれてもそうもいかない。
▲美しきスシヤ
おまけ・TV報道:
「パレスチナ自治区で日本人男性がイスラエル軍の禁止区域に入った疑いで当局に拘束される」
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00137917.html
http://fnn.fujitv.co.jp/news/headlines/articles/CONN00137908.html
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