今月の15日から、BOOM BOOM KIDというアルゼンチンのバンドが日本をツアーする。
ボーカルのCarlosは、1989年にANESTHESIAというバンドを結成、バンド名をFUN PEOPLE、BOOM BOOM KIDと変え、メンバーチェンジ経ながらもおよそ20年、ずっと変わらないスタンスで、DIYパンク・シーンで活動して来た。
自分としては、男らしさだとか男の哀愁だとか意味不明なものがポジティブな価値となってるようなパンク/ハードコアにうんざりている時に、ラディカルなメッセージを、ポップに、あっけらかんと、でも情熱的に、地球の真裏で表現しているFUN PEOPLEの存在を知ったことは、非常に大きな励みとなっただった。
前回の来日はFUN PEOPLEとして、8年前、だったかな? 一日一緒に遊ぶ機会をつくってもらったけど、とくにCarlosは本当に子供みたいで、ゴミ箱漁りで変な服をいっぱい見つけてきたり、街で無料で配ってるティッシュペーパーやらシャンプーの試供品やらを集めまくってたりしたのを思い出す。
音は基本的にパンク・ロックだけれども、Carlosは別のプロジェクトでタンゴのバンドもやっていたりして、BOOM BOOM KIDの音楽からはいろいろなジャンルの音楽の影響(映画や文学からも。とくにフランスの)がうかがえる。
速く激しいハードコアが生む一体感や連帯ってのは、たいがいがホモソーシャルなものだが、BOOM BOOM KIDは激しい曲をやるにしてもそこには陥らない。いつも逃げるようにすり抜けては、もっと広い地点に立とうとする。いまだ人工中絶が法の上でも、社会的にも認められていないアルゼンチンで、孤立してしまいがちな女性たちをひたすら勇気づける曲を、激しい曲でさんざん盛り上げたあとに、情熱的に歌ってみたり、モッシュが起きるようなハードコア・ナンバーでも、その歌詞がエディット・ピアフを讃えるものであったり、同性愛の権利を主張するものであったり、とまぁ、そういうセンスを兼ね備えたパンクということで、BOOM BOOM KID (FUN PEOPLE)は、本当の意味で幅広い層の人たちに愛されている。(→すてきな映像)
実際、BOOM BOOM KID (FUN PEOPLE)は、下に貼付けたYoutubeの再生回数でもわかるように、アルゼンチンではパンク界のマラドーナかってくらいの人気者(少し大げさ)で、世界各地をツアーで回ってもいる。メジャー・レーベルからのリリースがあるわけではないかれらがここほどまで活発に活動してこれたのは単純に、地道にDIYパンク・シーンで築き上げて来た信頼や実績によるもので、今回の日本でのツアーも、プロモーターなどを通さず、ほとんど個人でやってるレーベルProject y/Sin Valor Punxと各地のバンドの協力によって実現する。
ということはつまり、このブログを読む人であればおそらく想像できるように、今回のツアーも、より多くの小さなサポートの積み重ねが必要だってことですね。ライブに行ったり、CDを買ったりしてもらいたい(IRAでも買えます)! もちろん払った金は、つまらないビジネスマンには一切回らないから安心です。
ツアー日程:
9/15 仙台 K'S STUDIO
9/17 横浜 STUDIO24関内
9/18 東京 MOON STEP
9/19 岐阜 岐阜51
9/20 京都 京大西部講堂
9/21 大阪 地下一階
9/22 広島 BORDER
9/23 高知 CHAOTIC NOISE
9/24 福岡 UTERO
では、BOOM BOOM KIDがどんなバンドなのかを、みなさんにもっと知ってもらうために、今回の来日も前回のFUN PEOPLEとしての来日メンバーとほとんど変わらないようだし、およそ9年前に自分が作ったジンEOL #8に掲載した、FUN PEOPLEのインタビュー (Maximum Rock'n'roll #213から翻訳したもの) から、一部ピックアップしてみましょう。
・基本的な活動スタンス
「…FUN PEOPLEにもEMI、CBS、POLYGLAMなんかと契約する機会はいつでもあったよ。でも僕たちはつねに興味ないって言い続けて来た。1st LPがリリースされた時なんかは、POLYGLAMが$40,000で契約を申し込んで来たんだ。想像してみてくれよ、当時の僕たちとしたらそれはとんでもない額だよ。バンドのメンバーのうち二人はとくに経済的な問題はなかったんだけど、当時のギタリストと僕はとっても貧しかったんだ。僕は生活する場所がなくて、ホームレスというわけでもないんだけど、とにかくいろんなスクウォットを転々としていた。そのスクウォットっていうのもヨーロッパとかアメリカのものとは違って、ホントに粗末なところなんだよ。それで、もしそんな所にいるのをオマワリに見つかったら刑務所に3年。そんな感じだったんだ。もしPOLYGLAMからカネを受け取っていたら自分のアパートに住めただろうね。」
「で、僕がその契約を蹴った時、新聞で報道されたんだ。「FUN PEOPLEというパンクバンドはレコード会社との契約を断った。彼らは一体なぜそんなことをしたのか?」って。記者達は僕がその時にいた祖母の家に来て、「どうして契約しなかったのか?」って質問してきた。「自分たちの信念以上のものは何もない」って僕は答えたんだ。誰もが信じられない事だったから、強烈なインパクトになったよ。僕たちがただのロックンロールじゃない何かを生みだしているのを見て、たくさんの人がサポートしてくれ始めたんだ。他のD.I.Y.のパンクバンドもみんな機会があれば契約したんだけど、NOと言ったのは僕たちが初めてだね。」
「何でもコントロールしたがるような中流のロック・ビジネスマンなんかの手を借りなくたって、自分たちでレコードを作れるし、世界中をツアー出来るし、ショーにはたくさんの人が来てくれるってことを僕たちは実際に証明出来たから素晴らしいと思うんだ。君が憶えているかわからないけど、君もいた2000人もの人が来たLOS CRUDOSとのショーの、あの入り口にいた人たちは雇った警備員なんかじゃないんだ。みんな僕たちの友人だよ。僕たちはすべての機材、それから場所を借りて、僕たち自身ですべてやったんだ。僕たちはいつも自分たちでやる。それがFUN PEOPLEがアルゼンチン・シーンに与えた最も有益なことじゃないかと考えてる。誰かがやってくれるのを待つことなく、どっかの契約書にサインすることもなく、自分たち自身で出来るんだってことを僕たちは示したんだ。何かに頼ることなく出来たのは本当に最高だよ。」
・「汚い戦争」(1976年から1983年にかけて、アルゼンチンのホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍の軍事政権によって、約3万人の市民が誘拐、拷問、殺害された)について:
「幼い頃、僕は自分の住んでいるこの国のことが良くわかったんだ… 近所の人に… 僕はよく尋ねたんだ。「誰々のお父さんはどうしたの?」って。人々の間に奇妙なことが起こっていて、そしてそのようにいなくなってしまった人たちは決して戻ることはないということを僕は知ったんだ。僕の父親も政治的にアクティブな人で、音楽もその頃禁止されていた反体制的な歌手のものを聴いていたから、そのことは僕に多大な影響を及ぼしたよ。」
「ヤツらはみんなを殺すことは出来たけど僕たちの思想は生き残るから、圧政者どもは失敗したんだと僕は思っているんだ。その辺は、Madres de Plaza de Mayo (五月広場の母たち)から独立したグループHIJOSで証明されていて、彼らの「スクラッチ」っていう行為を見るとすごいんだよ。彼らは前大統領とか軍の秘密諜報員の住所を手に入れるんだ。それからそいつらの家に出向いていって「スクラッチ」する。つまり、その人物の写真に「あなたの近所にいる殺人者!」って書いたものを掲げたり、それを壁に書いたり、ビラを貼ったりするんだ。それで、近所の人はみんな、そこに住んでいる人物が殺人犯なのだと知ることになって、ヤツらは近所の店にパンを買いにも、もう何処にも行けなくなるんだ。ああいうヤツらが拘束されることはなくて、政府は全く変わらずいつでも同じ。裁判でヤツらを有罪に出来ないのなら、民衆の手でやるまでだよ。」
*ついでに。前回の来日した時にCarlos教えてもらった映画『オフィシャル・ストーリー(1985)』はおすすめ。「汚い戦争」について知るにはいちばん。
「一度、アルゼンチン唯一の全国放送のテレビ局の、エド・サリバン・ ショーみたいな番組に出演する機会があったんだ。「FUN PEOPLEです!」って紹介されて、スタジオには観客がいた。僕たちは演奏を始めたけど、結局半分もやらなかったんだ。それはなんでかって言うと、僕が とても「はっきり」とLOS CRUDOSの歌詞である「このファシスト国家が倒れるまで、僕たちはみんなで力を合わせよう!」って言ったからなんだよね。そのチャンネルはすぐに放送 を中断したんだけど、それまでの少しの間、スタジオの取っ組み合いの一部が観れたんだ。雇われた警備員が僕たちを見にきたキッズを襲い始めて、それを見た 僕もそこに飛び込んだ。30秒のうちに何人か捕まって、連行されてしまったよ。ちょっとマズかったね(笑)。」
・パンクって? そしてスケボー。
「行方不明にされた 30,000人もの人々の事をつねに心に留めておく事。そしてつねに政府や圧政に立ち向かわなきゃならない。つねにそれに対して声をあげていかなきゃなら ない。その状況に参加し、援助すること。忍耐力を持たなきゃならない。ヤツらのクソに耐えられるということは「おれたちを騙すのは無理な事だぜ!」ってこ とを示す一つの手段だよ。そしてヤツらが押し込めようとするシステムから逃れる事。それがアルゼンチンのパンクロックなんだ。僕のいまの友達はみんな、パ ンクとスケボーを通して知り合った。アルゼンチンではサッカーがすごい人気で、もしサッカーが好きじゃないなんて言おうものなら、オカマとかスノッブ呼ば わりなんだ。でも僕はいつでもスケボーが大好きだった。それは身体の一部だったし、外でメシ食うときのテーブルでもあったりした。群衆と僕自身との違いを 認識する事が出来るようになった。それから僕は誰かの私有地とされているような場所をかき乱してやるのが好きなんだよね。スケボーは自分を束縛から解放す る為の一つの手段で、音楽でやる事と同じ事なんだ。サーフィンもまた、スケボーや音楽と同じく、太陽、空気、大地、水、そして愛のように、この世界で欠か せないものの一つなんだ。」
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