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イレギュラー・リズム・アサイラム
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イスラエル兵から逃げよう! 逮捕逃走編
志賀直輝

 私は、パレスチナのヘブロンで勝手に観光ガイドをやっている。週2、3本ぐらいやる。一回7、8人ぐらい。観光の主要目的場所は、イスラエル軍が元々パ レスチナ人の住宅地・農地だった土地を強制的に追い出して作ったイスラエル入植地。この入植地の真横で暮らし、毎日イスラエル入植者から投石を受けている パレスチナ人民家訪問。入植地と入植地に挟まれて農作業が禁止されているパレスチナ農家訪問。パレスチナ民家の屋上に非合法で点在するイスラエル兵の基地 見物。イスラエル入植者の建物と隣接したパレスチナの商店街アーケードの天井のフェンス。このフェンスはイスラエル入植者の建物から狙って落とされるブ ロック、巨大なコンクリートからパレスチナ人を守る。イスラエル兵に夜間に襲撃された民家。パレスチナ人住宅地なのに玄関側が入植地なため封鎖されている エリア。パレスチナ人が住んでいたのにイスラエル人に乗っ取られたマンション。パレスチナ人女性を支援するフェアトレードの店。ブッシュが来たどさくさに 間切れて新設された監視カメラ。町のいたるとこに置かれたチェックポイントツアー。金属探知機、IDチェック、パレスチナ人の老若男女、足元から腰まわ り、カバンの中までチェックされる。
 それとヘブロンの一大観光地でもあるユダヤ教とイスラム教の聖地、アブラハムモスクとシナゴークにもゆく。濃厚でハードコアなツアーを大体4時間行う。

 それから、一時的に問題が起こっている場所にもゆく。先週、ガザでパレスチナ人がイスラエル兵に20人近く殺された。この行為にパレスチナの若 者やこどもたちが怒りの行動を起こした。彼らは、イスラエル兵に3日間投石して抵抗した。しかし、ほとんど当たりもしない投石に対して、イスラエル兵は★ ゴム弾(RUBBER BULLET)、サウンドボム、催涙弾を大量に浴びせた。

ここにも勿論ツアーした。まずは、投石する若者やこどもたちのサイドへいった。みんな興奮していた。日本人が8人近く騒乱の中へ入ったせいかチャイナ!チャイナ!とパレスチナの若者が騒いでいた。
 それから、今度は、イスラエル兵のサイドへいってみた。すると、催涙弾でツーリストたちは、むせたり咳き込んでいた。
 ヘブロンの空はイスラエル兵の放つ発砲音と白い煙、パレスチナの若者の叫び声と燃えるタイヤの黒い煙が混じっていた。(余談だが、イスラエル兵 はパレスチナの若者の投石なんて簡単に潰せる。いつも一定の距離と時間をかけて対処している。簡単に潰さない点を見ると、ある種、若者に投石をさせること でガス抜きの効果を持たせているような気がする。また、激しい弾圧は国際世論から批判をうける。ゆっくりと長い時間をかけて占領してゆく心理戦にも感じら れる。それに対して、じっくりと煮込まれているのがパレスチナ人。)

 それから、ブッシュがパレスチナに来た以来、パレスチナ人の土地に座り込むイスラエル入植者のところにもゆく。イスラエル入植者はパレスチナの 女性や子どもが横を通るたびに襲撃する。カメラを回したり、パレスチナ人をサポートする活動家にも襲いかかる。一度、ツーリストに飛び掛ったこともある。

 いつもこのルートでガイドをしている。頻繁にガイドをしているせいかイスラエル兵やユダヤ教の坊さんはわたしを知っている。彼らはわたしの存在をよく思っていない。それでも、わたしを知らないイスラエルの人たちとは仲良くできる。
 余談だが、一度シナゴーク(ユダヤ教寺院)でフランス系ユダヤ人女性の肩を揉んだことがある。この女性は、マッサージが気持ちよかったらしく 「はぁはぁ」と感じだした。そこにこの女性の旦那もきた。彼は嫉妬を混ぜながら、男性器をこするジェスチャーをよこした。最後に女性にお礼のキスをもらっ た。
 彼女がフランス語で「メルシーボクー(ありがとう)」っていうから「ドヤーン(どういたしまして)」と言おうと思ったら、誤って「ピターン」 と言い返してしまった。ピターンは英語でビッチ、日本語で売春婦とかそんな感じ。普段、ピターンっていい過ぎてるせいだ。これは本当によくない過ちだ。

 話しがそれた。先週の月曜日、いつものようにツアーでイスラエル入植地の隣に住むパレスチナ人民家を日本人8人で訪ねた。毎晩、入植者からの投石に悩まされている話しなどを聞いていた。
 そこにイスラエル兵のジープがやってきた。数人の兵隊がわたしのところへ向かってきた。さらに兵隊のひとりが、「NOKIA!NOKIA!」と 私に迫ってきた。わたしは「NAOKI」という名前だけど、覚えやすいので「NOKIA」と名乗っている。ヘブロンのパレスチナの人々や一部の兵隊はわた しのことを「NOKIA」と呼んでいる。

 この兵隊は以前、イスラエル占領反対デモのとき、わたしを3回逮捕しようとしてきた彼だった。そのつど、わたしは彼から逃げた。
 
 彼はイスで談話していたわたしを逮捕しようとしてきた。しかし、わたしはなにも「非合法」なことはしていない。相手が興奮しているので落ち着い て話した。とにかく、話しは聞くからみんながいるところで話そうといってみた。しかし、わたしの言葉には耳をかさず、彼はただ怒鳴るだけだった。終いには 力づくで連れてゆこうとしてきた。わたしはそのまま地面に横になった。さらに、ツアーに同行していた同じ団体の仲間と座ってスクラムを組んだ。そこへ運の 良いことに同じ団体の仲間2人もやってきた。そして、彼らは兵隊の盾になってくれた。わたしの仲間たちは兵隊と話をしてくれた。
 わたしは隙を見て、こっそりと民家の裏口から逃げた。一時的に隣の家にかくまってもらった。仲間がそこにやってきた。兵隊がどうしても私とじかに話しがしたいいっているらしい。わたしは迷った。逃げるべきか、兵隊の前に出向くか。

 そうこうしているうちに、民家の家主に早く逃げろといわれた。言われるままにわたしはさらに隣の家に逃げた。すると兵隊がさっきまでかくまって もらっていた家を調べはじめた。このままでは民家にも迷惑をかけてしまう。わたしはオリーブの畑に横になって隠れた。すぐ側を兵隊がわたしを探していた。

 反対側からパレスチナの子どもたちが「NOKIA!」「NOKIA!」と叫んでいる。「あー兵隊にばれるからやめてくれー」と思いながら、息を ひそめた。すると、数人の子どもたちがこっちへ来いと呼んでいる。兵隊が背を向けた瞬間わたしは子どもたちのところへ走った。そして、子どもたちに逃げ道 を案内してもらった。
 わたしたちは走った。とにかく走った。焦りと不安を振り切るように。宛てもなく逃げるように。わたし自身の旅のように。

 そして、わたしはたまに農作業の手伝いをするパレスチナの農家の家へいった。するとそこに同じ団体のパレスチナ人メンバーがいた。ことの行きさ つを話した。彼らは大丈夫だといっていた。そして、わたしを守ってくれた仲間と連絡をとった。兵隊はもうわたしを追っていないということだった。

 その晩、わたしはヘブロンを離れるべきか、留まるべきか迷った。しかし、万が一、また同じ兵隊にあったら、なにが起きるかわからない。それに仲間に余計な世話をかけるのも好かない。だから、わたしは荷物をまとめ、チェックポイントを通らない裏道からヘブロンを離れた。

 ヘブロンを離れるのは本当に悔しい。いつもヘブロンの町を歩くと、みんなが声をかけてくれる。ここはわたしにとって故郷でもある。だから、必ずまた戻る。


 そして、わたしはアズンという村へゆき、活動に参加した。この村は数日前にイスラエル兵がパレスチナの子どもを撃ったり、パレスチナ人民家に押し入ったりしている。夜中にサウンドボムを叩きつけたり、村をジープで走り回ったり、兵隊のやり方は一段と激しい。


 金曜日はビリン村のデモに参加してきた。ビリン村はオリーブの農園が一面に広がる。そこにある日イスラエル兵がやってきて勝手にフェンスを引い たり、オリーブを切り倒した。農民はイスラエル兵の占領を国際法に訴えた。数年に渡る裁判のすえ農民は勝訴した。しかし、イスラエル兵は敗訴したのにも関 わらずパレスチナの土地から出てゆかない。だから、毎週金曜日に非暴力デモが行われている。
 わたしのヘブロンツアー参加者の多くが、このデモにも参加している。日本人と韓国人合わせて10人以上参加していた。このデモは、非暴力にも 関わらず、いつもイスラエル兵はサウンドボム、催涙弾、ゴム弾を大量に使う。わたしたちはイスラエル兵が勝手に作った「立ち入り禁止線」を越えて前進す る。そこにすかさず、イスラエル兵は手榴弾型のサウンドボムを投げてくる。この時、サウンドボムの暴発で飛び散った石が日本人の眉間に当たった。彼は出血 しすぐに救急車で運ばれた。

 わたしはずっと前線にいた。まわりを見ると以前イスラエル兵に襲撃されて障害者になってしまった車イスのパレスチナ男性がいた。わたしがいれ ば、彼は狙われないだろうと思っていた。しかし、イスラエル兵はわたしたちに手榴弾のサウンドボムを投げてきた。サウンドボムはわたしたちの足元で爆発し た。この衝撃で障害者の彼は激しい痛みをうけていた。
 さらに追い討ちをかけてイスラエル兵はわたしたちを追ってきた。今度はゴム弾を撃ちだした。わたしたちは走って逃げた。横に、韓国人と日本人 のツーリストがいた。まさか、ゴム弾は直接撃たないだろうと思っていたら、ひとりの日本人の腹が撃たれた。一気にやばい空気になった。わたしは兵隊に背を 向けて逃げた。するとわたしの隣にいた日本人が背を向けようとしたその瞬間、ゴム弾が彼のメガネを打ち破り目のあたりに直撃した。彼は出血していた。わた しは兵隊に撃つのをやめろと叫んだ。しかし彼らは撃ち続けた。そして、わたしも撃たれた。しかし、わたしの場合はたいしたことはなかった。すぐに救急隊が 負傷した彼の手当てをした。不幸中の幸いでぎりぎり眼球には当たってないようだった。そのまま彼は病院に運ばれた。

彼の目は今、内出血のせいで見えない。

わたしは、催涙弾やサウンドボムを大量に打ち込む兵隊たちに質問をしてみた。「一体この武器はひとついくらするんだ?」「この武器はどこから来たのか知っているか?」彼らは黙っていた。
 この武器は、アメリカ産だし、アメリカ政府の支援だ。またアメリカ政府を一番に支援しているのが日本政府だ。わたしには、パレスチナでイスラエ ル兵に武器を捨てろという権利がある。義務もある。なぜなら、日本政府に回収されたわたしの金の一部がめぐりめぐって、この村で使われているかもしれない からだ。


逃げて、逃げて、逃げて、一発当てて、また逃げる。これゲリラの戦術なり。



★ゴム弾 (rubber bullet)
 弾頭を硬質ゴムで作成した弾丸。多くの場合、弾丸は切れ目の有る円筒状で先端にくぼみがあり、発射されると先端のくぼみが受ける風圧で切れ目に 沿って十字形に開いて飛翔する。弾丸の重量やその構造上、有効射程が短く、目標に対して弾丸が貫通することがないので非致死性兵器として扱われる。しか し、至近距離では十分な殺傷力があり、目標にヘビー級プロボクサーのパンチ並みの衝撃を与えるうえ、数m以内では皮膚を貫通する威力のものがほとんどのた め、当たり所によっては目標が死亡することも十分あり得る。この特性を生かして大型獣の撃退、警察や軍隊による暴徒鎮圧などに用いられる。 Wikipediaより


写真:
一番上 イスラエル兵のパレスチナ人殺害に抗議するパレスチナの若者たち。それを狙うイスラエル兵。
真ん中 ヘブロンの商店街の安全ネット。隣接するイスラエル入植者のビルから落とされるブロックやコンクリートからパレスチナ市民を守る。
一番下 パレスチナ・ヘブロンの店を強制的に閉めさせるイスラエル兵


ビリン村のデモでゴム弾を撃たれて負傷する日本人: 
http://www.youtube.com/watch?v=Fum0JBUMOlg

イスラエル軍によるガザでのパレスチナ人殺害の報復を恐れて警備を厳しくするイスラエル兵。なにかあるといつもこのような調べがおこなわれている。
http://www.youtube.com/watch?v=iokMcKZa6Fc


追記 ヘブロンより

昨日、ヘブロンでは、こども6人が兵隊に難癖をつけられ、雨の中、壁に手をつけたまま3時間立たされていたという話しだ。最後はジープでどこかへ連れて行かれた。

また、わたしの所属する団体のビデオカメラがイスラエル入植者のこどもに盗まれた。

追記2 

イスラエル兵はパレスチナ各地で催涙弾を乱用している。パレスチナ・ビリン村では大量の催涙弾を浴びさせられている。そのせいか癌の発生率が急上昇しているという話し。
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G8やWTOがどこかの都市で開催される度に、それに対する反対行動のまっただ中で演奏し、街頭の抗議者たちを踊らせ勇気づけてきたアナルコ・マーチング・バンドTHE INFERNAL NOISE BRIGADEと、国境をぶっ壊すための国境を越えたサウンド・トラックを世界各地にばらまき続けるアナキストDJ・FILASTINEが、今年北海道・洞爺湖で開催されるG8に反対するネットワーク「NO G8 ACTION JAPAN」のために音源を提供。THE I.N.B.は初期の未発表音源11曲、FILASTINEは最新MIXを。これ聴いてテンション上げて、7月は皆で北海道になだれ込もう。

ぜひ買って下さい! PAYPALも使えるこのCD専用のページか、IRAの新入荷ページからご注文を。DIY草の根流通・販売の協力もよろしく!

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以下、画像をクリック、でそれぞれのウェブサイトに行けます。





興味ありましたらぜひIRA新入荷のページへ:
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RLLのホームページ

POSTED IN | , 1/25/2008
IRAでも取り扱ってるTシャツを作ってるRLLのホームページがやっと出来たようですね。覗いてみよう。




http://www.rll.jp/
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パレスチナより憎愛とアナーキーと連帯をこめて
志賀直輝

 わたしは11月の中旬から現在に至るまでパレスチナにいます
。イスラエル兵の銃口からパレスチナの子どもたちを守りたいと思って非暴力団体で活動しています。この団体には世界中からアナキストやアクティビスト、各地の変態があつまってきます。わたしの視点で見たパレスチナについて日記を書きました。かなり長いですがぜひ読んでください。いま、いったい、パレスチナでなにがおきているのか。少しでもミクロレベルで伝わるといいと思います。

 また、パレスチナにはいたるところに隔離壁があります。この壁はイスラエル政府によってつくられました。この壁によってパレスチナの人々は自由に動くことができません。そして24時間体制で管理されています。今、この壁に世界中のアーティストやアナキストがグラフティやステンシル、ポスターなどを描いています。

 この動きによって、今、パレスチナ・ベツレヘムの隔離壁がひそかな観光スポットになっています。隔離壁の観光化が進むことによって、世界中にイスラエル政府のパレスチナに対する隔離政策が少しでも伝わると思います。そして、なにより、薄暗い壁を楽しい絵でいっぱいにしてしまうのは、なんともおもしろいことだと思います。

そこでわたしたちも、この流れに乗ろうと考えています。絵やポスター、ステンシルなどを今月1月22日までにイレギュラーに届けてください!時間があまりないですが、どうぞよろしくおねがいします。

以下は、わたしがかきためた日記です。



●パレスチナ解放デモ 11月17日 

 今、パレスチナにいます。パレスチナには元々たくさんのパレスチナ人(アラブ人)が住んでいました。しかし、パレスチナ人は1948年からシオニストたち (イスラエル建国を目指す人々)によって住んでいる家、生活源の農場などを奪われ、現在にいたるまでたくさんの人々が殺されてきました。そして多くのパレ スチナ人は難民として周辺国へ逃げてゆきました。

 わたしはパレスチナのビリーンという農村の村へいってきました。元々、オリーブをとって生活していたところに、ある日、イスラエル軍がやってきて、オリーブ畑や家を踏み潰して土地を奪ってしまいました。

 そこで、ここの農民や地元民はイスラエル軍の行為を国際法に違反しているという理由から、裁判をおこしました。2年半以上に及ぶ裁判闘争の末、彼らは、勝訴しました。
 しかし、勝訴したにもかかわらず、今でもイスラエル軍は出てゆきません。
 そして、この村では毎週金曜日、イスラエル軍に出ていけというデモをしています。

 わたしはこのデモに参加してきました。デモは、パレスチナ人、それを支持するイスラエル人。また世界各地の人達がいました。

 平和的に非暴力で行進しているデモ隊に対して、イスラエル軍はすぐにたくさんの催涙弾を撃ってきます。催涙弾によって、呼吸は苦しくなり、目が あかなくなってしまいます。催涙弾やゴム弾もかなり飛んでくるのでこれにあたる人もいます。また、威嚇するためにサウンドボムもたくさん使われます。たく さんの負傷者(軽度)がでます。それでも、デモ隊はめげずに進みます。

 これに対して、パレスチナ人は石をくるくるまわして投げて抵抗(インティファーダ)します。しかし全くあたりません。それでも、彼らはいつまでも抵抗をやめません。

なぜなら、彼らにはオリーブが命だからです。オリーブは生活源であり、重要な栄養源でもある。そして、デモ隊を催涙弾やゴム弾から守ってくれる。(最終的には囲まれて撃たれます、インターナショナルに対してはめったに撃たない、だから、インターナショナルがパレスチナ人の盾になる。)

パレスチナには、あちらこちらに壁があります。イスラエルはパレスチナ人を自由に動けなくしています。そして、至る所にゲートがあり、そこでかなりの時間の間、待たされたりする。日常生活のありとあらゆるところから管理してゆく。イライラさせ、無力化させてゆく。

わたしはたった数日だけでも嫌気がさしてしかたなかった。なんと居心地の悪いことか。それに引き換え、パレスチナの町は、本当にあたたかい。なにか日向ぼっこをしているような。街の人は本当に親切で私達を迎えてくれる。笑顔と礼を尽くしてくれる。

この正反対の状態に本当に鈍器で撃たれたような感覚を覚えました。
居心地の悪い壁やゲートがあるからこそ、居心地のよい村、コミュニティを作るのかもしれません。

わたしは、ここにいれる限り、できる限りのことをしたいと思います。また、来週もデモへゆきます。オリーブ狩りの手伝いもしようと思います。


● パレスチナチェックポイント反対デモ 11月20日

 今日は、パレスチナに無数におかれたチェックポイント(検問)に反対するデモへいってきた。チェックポイントは空港のパスポートチェックと同様で、ID チェック、荷物検査などがイスラエル軍によって行われている。これがパレスチナの主要交通機関の間に無数(限度はあるけど)に置かれている。

 このチェックポイントの問題点は、無数におかれた検問を一日に何度も通らなくては目的地にたどり着かないことだ。
 時間帯によっては、1時間から2時間、検問所で待たされる。やっと通れるかと思うと回転式のゲートが開くと思いきや、わざと閉じたりと、地味な嫌がらせもある。
 またラッシュアワー時は、夕飯をつくらなくてはいけない女性たちが、時間に焦りぎゅうぎゅにおしあっている。男性たちからはイライラがつのり罵 声があがる。待ちくたびれた幼い子どもが泣いている。年寄りがいつまでもぎゅうぎゅに挟まれている。時には、チェックポイントを閉じることもあり、みんな 家に帰れないこともある。
 こうして、365日24時間体制でパレスチナ人はイスラエル軍に管理されている。

 そのチェックポイントに反対するデモは、若いパレスチナの学生、イスラエル・アナキスト、人間の盾のメンバー、世界中からの活動家によって行われた。平和的なデモなため、銃口を向けた兵士の数回の警告ですぐに解散せさざるおえなかった。

 パレスチナははっきりいって、刑務所の中と同じだ。塀に囲まれ、自由に動けない。行きたい場所にもいけず、帰る故郷にも帰れない。これが、毎日、毎日懲りることもなく続いている。

 帰りのチェックポイントで、イスラエル兵に質問してみた。兵が終わったら何するか?タイやインドへいって、イスラエル旅行者たちのようにマリファナでも吸うか? 
 すると彼は、苦笑いして、家族のために働くよといっていた。デモやパレスチナ人に対して厳しい彼らも、家族のためにはまったく違った顔をもっている。当然なことだろう。

 いつになれば、家族のために思う奴が他の家族のためを思う奴を思いやれるようになるのだろうか。わからない。

 明日から、人間の盾になるためのトレーニングを受けに行く。そして、イスラエル軍によってオリーブの収穫ができない農家の手伝いにいってきます。私にとってもよい収穫になるとよい。


●パレスチナの投石はイスラエル兵の頭上を越えてゆく 11月25日

 昨日、イスラエル兵の侵略に抵抗しつづけるビリン村の農民の闘いに参加してきた。しかし、なんとも情けないことに、わたしはデモ前夜に今激しく恋しているポーランド人の彼女と飲みすぎてデモに遅刻してしまった。

 このあたりが、リアルに生活がかかっている農民と、一時の「正義感」に駆られている自分との差かもしれない。しかし、このあたりはどうしよもない気がする。けど、それでいいのかという疑問も残る。

 そんな感情の中、催涙弾やゴム弾(鉄を硬いゴムでコーティングした弾)が飛び交い、サウンドボムが農民や活動家たちを威嚇しつづける。中には、兵士に殴られて流血している人もいる。
 でも、わたしはゴム弾や催涙弾がかすめる中、恋する彼女をのことばかり考えていた。

 一体、わたしの頭はどうなってるのだろうか?これでいいのか??

 パレスチナの若者たちはなんども、なんども、撃たれながらも当たりもしない石をイスラエル兵に投げつける。たまにイスラエル兵の足にこつりとぶつかる。兵士は気にもとめていない。それでも若者は石を投げ続ける。

 わたしにはこの石が、イスラエル兵の頭上を越え、ヨーロッパを越え、アメリカを越え、そして日本の渋谷あたりにいる同じ年頃のわたしたちの頭にいつかぶち当たるような気がする。
 わたしの場合は、さらに渋谷を経て、アジアを越え、もう一度パレスチナへ戻り、わたしの頭に何度も当たる。痛い。痛すぎる。

 恋も重要。闘争も必要。日常も重要。祭りも必要。二日酔いもたまらない。投石もたまらない。

 わたしには、わたしの生活があり、パレスチナの農民には農民の生活があるんだと思う。それでいいのだと思う。その上で互いの立場を越え、そして、連帯すること。これがパレスチナの壁を無くす行為のひとつかもしれない。
 
 ということで、思い切り恋をして、思い切り闘争したいと思う。
これから、また恋する彼女に会いに行こうと思う。


●緑のおばさんならぬ黒いおっさん 11月28日

 私は今、パレスチナのヘブロンにいます。時折街からは銃声が飛び交っています。昨日は、モスリムたちの怒りの声が街中に響き渡っていました。なぜ彼らが怒っているのか?
 ひとつは、この街のいたるところに、イスラエル軍の検問所があるからです。検問所を通るたびに、パレスチナ人は荷物をチェックされます。また、常にライフルを持った兵隊が立っています。通学に通う小学生は片道だけで一日4回も検問を通る子もいます。

 また、丘から街を見渡すと、民家の屋上に兵隊が監視しています。一軒だけではなくそれが無数にあります。重要なポイントにはイスラエル軍の基地もあります。街もいたるとことろが封鎖されています。そんな中に、ヘブロンの人々は毎日暮らしています。

 今、わたしは、こどもたちが安全に学校へ通えるよう検問所の横で、カメラを構えて兵隊の監視をしています。兵隊さんは、すぐに怒ります。だか ら、わたしは瞑想しながら、落ち着いて相手をします。兵隊さんは、とても若い。10代です。少し、気を許すといろいろ話てきます。兵隊さんも早く兵隊を終 えてどこかへ旅をしたいようです。
 
ひとりの兵隊さんは、軍が終わったら、日本やオーストラリアにゆきたいと語っていました。

 しかし、そんな彼らは命令のせいか、それとも人間の性質ゆえかアイヒマンの実験のように、任務を遂行します。だからパレスチナ人に対する態度はとても怖い。

それでも、中には、子どもと笑顔で握手をする兵隊さんもいる。この瞬間だけ、ほっとできます。

昨日は、検問所でナイフをもったパレスチナの若者が逮捕されました。わたしたちは、じっとカメラを撮影していました。そこに兵隊さんが、どうだ、 こいつはこんな武器をもっているんだぞ!とどなってきました。しかし、兵隊さんはもっとごついライフルをもっている。さらに、その横をイスラエルの若者が ライフルを携帯して横切っている。ここでは、イスラエル人の武器の所有が認められています。かわいいナイフで逮捕。いかついライフルは合法。

なんとも支離滅裂です。

それから、このあたりの道路には、黄色い線が引いてあります。黄色い線の道路はイスラエル人しか車を走らせることができません。また、普通の道路もパレスチナ人とイスラエル人と分けられています。

もともと、長いこと住んでいたパレスチナの地元の人が、後から入ってきたイスラエル軍に追い出させられ、生活空間を分けられ、壁を引かれ、カメラや兵隊に毎日監視されています。

モスリムの人たち(パレスチナの人々)が怒るのも当然だと思いました。

かといって、私自身にとっては、イスラエル人は敵ではありません。イスラエル人の中にはパレスチナ人や私たち世界中の活動家たちと共に活動する人 も多い。むしろパレスチナに集まった世界各国の活動家よりも活動しています。彼らは、自分の所属する(させられている)政府に真っ向から立ち向かっていま す。

イスラエル人の中にはパレスチナに対する占領の仕方に疑問を感じ、兵役を拒否する若者をいます。もしも兵役を拒否すると男子は刑務所へ送られます。女子は社会から冷たい目を浴びることになります。どちらも職がみつかりにくなります。

かつて、ドイツのナチスに大量殺戮を受けたユダヤ人、つまりはイスラエル人。それが今はここパレスチナで同じことをしている。人間というものは、こういうものなのか?

わたしにはわからない。

毎日、わたしは、こどもたちの安全に通学できるように見守る「緑のおばさん」ならぬ、「黒いおっさん」であります。なぜなら、わたしは全身真っ黒い服を着た、どこの政府も支持しないアナキストだからです。

PS 毎日、パレスチナの子たちと空手や柔道や相撲をしている。たいしてできないのに、かなりできるふりをしている。それから、パレスチナや世界 中の活動家のための家をつくっている。これがなかなか楽しい。今の活動の相棒は自称フランス・ラスタマン・フリーダムファイター。


●買うことと回収されることの意味 11月29日

 毎日、パレスチナのこどもたちに向けられたイスラエル兵の銃口の出元は、アメリカ政府からの無償の軍事援助であって、そのアメリカ政府を一番に援助してい るのは日本政府であって、日本政府の収入源は日本の人々の肉税であって、また同時に日本企業が世界各地で儲けてきた金であって、、、そんなわけで、こうし てめぐりにめぐって、わたしが働いて回収された金が、もしかすると、今、ここ、パレスチナのこどもたちに向けられたイスラエル兵の銃口の一部かもしれない わけで、なんとも嫌な話であると同時に、どうも黙って金を回収されるわけにもいかない。

といっても、今は納税してないから、できることといったら、イスラエル製品のボイコットしかない。商品バーコードが「7 29」だとイスラエル製 品。しかし、パレスチナ製品も同番号の場合もあるので、ヘブライ語(イスラエル)かアラビア語(パレスチナ)で判断するしかない。

パレスチナ人によるイスラエル製品ボイコット運動は盛んだ。なぜなら、買った分だけ、その金が自分たちの首をしめる資金になるからだ。

物を買うということの、もうひとつの意味。回収される肉税の行く先。これを今、まじまじと戦場で思い知らされる。

わたしは忘れていた、世界中、一度だって戦争は終わっていなかったし、いつどこへいっても、わたしも戦争に関わっていることに。


●イスラエル兵に拘束されて瞑想しよう 特典拘束映像付き  12月14日

http://www.youtube.com/watch?v=O-nnGrJQbxs

ヘブロンの街にはいたるところに、検問所がある。私も毎日、移動するのに何度も検問を通過しなくてはいけない。そのたびに金属類を身体から取り外して金属 探知機のゲートをくぐる。兵隊とわたしは、いい加減顔なじみのくせに毎回パスポートを見せ、荷物チェックをうける。ちょっと、ゴミを捨てにゆくだけでも、 チェックされる。そしてたまになぜか怒鳴られる。パレスチナのこどもたちの登下校をいつもカメラをもって見守っているせいか、彼らはわたしたちのことをよ く思っていない。

この間、わたしたちは農家の手伝いに行く用事があった。パレスチナの農園では昔からオリーブの収穫をやっている。しかし、元々オリーブ農園だった 土地のほとんどが、後から来た入植者のイスラエル軍や武装したイスラエル市民に根こそぎ奪われてしまった。今でも、残っている農園の中には常に武装したイ スラエル兵やイスラエル市民が農民を取り囲んでいるところが多い。わたしたちは、そのイスラエル兵が取り囲んでいるオリーブ農園に向かった。

わたしは時間に追われ急いでいた。だから、カバンの中をしっかりチェックするのを忘れていた。いつものように検問所で荷物検査をうけた。すると、兵隊が急に怒りだした。

兵隊「なんだ!これは!ナイフじゃないか!!!(英語)」

わたし「ああああ、やべええ、かばんから出すの忘れてた!(もちろん日本語)」

わたしは、旅でいつも愛用しているジュットクナイフ(小さいナイフとドライバーや栓抜き、缶きりなどがついたナイフ)をかばんから出すのを忘れていた。さらに、この間ナイフを携帯していたパレスチナの若者が逮捕されてたのをこの時思い出した。

わたしはすぐに、拘束された。手錠はされなかったものの、壁にむかって立たされた。それは、まるでユダヤ教徒がエルサレムの嘆きの壁へむかって拝 んでる姿にもだぶった。なおもかばんはチェックされ、今度はコンドームがとりだされた。コンドームとナイフ、最高に悪い組み合わせだ。さっそく兵隊は得意 げな顔をして、お前はテロリストだなぁとか、これとこれでお前は女をRAPEする気だなぁと説教しはじめた。さらにナイフをわざと見せびらかし、パレスチ ナの人々にこいつは武器をもっているんだ、というアピールをしはじめた。国際非暴力団体がナイフ所持とコンドームときたら、これはバツが悪い。

何度となくわたしは兵隊に対して、そんな小さなナイフじゃ人は殺せやしない、それは野菜を切るためのものだ、俺のナイフよりお前のライフルの方が よっぽど危険じゃないか、といってみた。が、それは怒りを増幅させるだけで、兵隊はもっと怒りだした。そしてついに、壁にむかって座らされた。兵隊は長期 の放置プレイに持ち込もうとしていた。兵隊がわたしたちを拘束できるのは3時間と聞いている。その後、警察に移管され24時間の拘束。しかし24時間の拘 束は非常に不安を感じた。なぜなら今日は農園の後、デートの約束があったからだ。なによりも兵隊に奪われたコンドームを今晩大いに膨らまして世界一周しよ うと思っていた。

 しかし、拘束されたら逃げるわけにもいかない。ひそかな不安に襲われながら、じっとすることにした。それに、仲間のフランス・ラスタファイが少し離れたところからカメラをまわしてくれていた
わたしは、少し冷静を取り戻しあることに気がついた。そうだ、ここで、わたしは毎日の日課にもしている座禅を組もう。

わたしは兵隊の見張る中、座禅を組んだ。

座禅するわたしの横を、パレスチナの人々は興味津々な顔でこちらをみていた。だからわたしも必要以上に神秘的ぶって、ヨガのポーズなどもとりいれてみた。するとみんなもっとよろこんでいた。これはなかなかいいパフォーマンスなことに気がついた。

兵隊も、ヨガに興味を持ち出した。そして一時間ぐらいたった頃に、兵隊はわたしに今回だけは見逃してやるみたいなことを言い出した。開放に喜びを 感じたわたしは兵隊に投げキッスをした。すると、ヘブライ語でかつてないほど怒りだした。こちらも向こうの言葉をなぞって言い返してみたら彼はもっと怒っ た。これで今日は終わったなぁと思った。デートも世界一周もお預けだなと思った。

それ以降、一言も口を利くなのと命じられ仕方なく、瞑想にふけることにした。

いろいろ考えてみた。

なぜ、わたしはここにいるのだろうか???

なぜか、、、わたしは、パレスチナで決起ではなく勃起がしたいのかもしれない。武装した兵隊に囲まれて、生きてる実感が欲しいだけなのかもしれな い。戦場カメラマンが、戦場の真実を伝えたいという表すじの裏側は、カメラマン自身の裏すじを舐められたいという欲求かもしれない。

危険や死の匂い、権力、欲望の中から生の匂いを嗅ぎだしたいのかもしれない、そして、自分の股間をまさぐり射精したいのかもしれない

わたしはこの快楽を素直に受け入れようと思う。

パレスチナやさまざまな土地で活動する団体の多くは、人権や理念を守らなくてはいけないという。そうだ、まったくその通りだ。かといって、人権を 守ろうという人間たちの考えが全て正しいわけではない。土地には土地のやり方がある。たとえば、人権団体からみたらその土地のやり方が人権違反にうつる場 合がある。たとえ土地のやり方がうまくいっているにも関わらず、人権団体にとっては人権違反にうつり土地のやり方をやめさせ、人権団体のやり方に切り替え たとする。この瞬間に人権団体が新たな侵略者になる。

わたしは人のためによいことをしているんだ。パレスチナの人たちのために闘っているんだ。わたしは自分のためではなく、人のために行動していると思い込んだ瞬間、わたしの陰から新たな侵略者が顔を覗かせているような気がして仕方がない。
 親鸞はいった、良いことをしてると思ってるときは、悪いことをしてると思えと。親鸞の言葉は、自分は良いと思い込んだ行為(好意)が実は相手は望んでないことかもしれない、押し付けることは、新たな権力を生む行為になるかもしれない。そういっているような気がする。

だから、わたしはあくまでも、わたしの行為は示威好意ではなく、自慰行為だと自覚しようと思った。そう思えば、わたしはもっと自由になれるかもしれない。オナニーで空を飛べるかもしれない。

それに人権第一の国が一概にいいとはいえない。福祉国家ほど、自殺率が高いのはなぜのなか?人権がほとんどないパレスチナの石を投げる若者にも つ、煮えたぎる生は一体なんなのか?けれど、そんな彼らにはなれないわたしがここにいる。そして、福祉国家に住みたくないわたしもここにいる。

そうこう瞑想していたら、イスラエル人活動家が来て、わたしをイスラエル兵士から解放してくれた。そして、わたしは農園で手伝いをしたあと、大好きな彼女のもとへむかった。革命に恋がなければナンセンス!って、わたしの敬愛する人がいっていた。


●パレスチナの隔離壁観光地化計画 12月30日

 パレスチナの隔離壁観光地化計画に対するレスポンスをかえしてくれた小田マサノリ氏ことイルコモンズ氏のブログ。ぜひ、おもしろいので必見!!
http://illcomm.exblog.jp/6829832/

それから、この間のベツレヘムの近くの村で起きたクリスマスデモの逮捕瞬間映像。デモには増え続けるユダヤ人入植地に反対する人たちが集まった。このパレスチナの村はもうじき入植地として奪われてしまうかもしれない。

デモは非暴力行動で行われた。しかし、いつものように兵隊は暴力によってデモ隊を鎮圧してきた。それに対して、パレスチナ・サンタクロースはひたすら飴玉を兵隊に配り続けた。

わたしは、イスラエル兵が非暴力でデモしていたパレスチナ人を逮捕する瞬間をずっと真横で撮影していた。さらに、逮捕の止めに入ってみた。すると すごく威嚇され、わたしを逮捕してこようとしてきた。だから、わたしは地面に寝た。すると逮捕に手こずり、隙を見て逃げれた。逮捕されそうになったら寝る のはとてもよい戦術だ。これも団体に参加する前に習った。

おととい、わたしのいるヘブロンで、ユダヤ人入植者が2人殺された。ヘブロンの重要チェックポイントは封鎖され、身動きがとれなくなった。さらに 小さいナイフを持った少年が8時間も路上で手錠をかけられ拘束されていた。また、街のいたるところに銃口に手をかけた兵隊がパレスチナ市民を監視してい る。なにか不振(兵隊から見て)だったり反抗的だと、すぐに捕まり、銃口を向けられ拘束される。今、街は静かな緊張感が流れている。ユダヤ人の殺しの報復 は何十倍にもかえってくる。だから、ヘブロン市民全体が激しい監視や抑圧をうけている。昨日は、民家に兵隊が押し入り荒らしてかえったようだ。その家に いってみた。

最初は、兵隊の荒らされた話をしていたのだが、話が途中からこどもの病院代の話になった。そして、どうやら金をくれと連れのスウエーデン活動家に 頼んでいる。彼らは困っていた。するとわたしのおなかが急に痛くなり、彼らもそれをさっし、じゃあ、帰ろうと、なんとか金の無心の話から逃げて外へ出れ た。するとお腹の痛みも消えた。

明日は、大晦日。わが友たちの健康と来年の活躍を願って!!
南無森羅万象

パレスチナ人の逮捕瞬間
http://www.youtube.com/watch?v=GLCiLUp5-dg


●イスラエルのスクウォッティングハウス 1月9日

 スクウォッティングハウス。空き家を占拠し、自分たちの空間にかきかえる。都市部には使われていない空き家がたくさん存在する。と、同時に金のない若者た ちも無数に存在する。この同時に存在するふたつをつなげる作業、これをスクウォッティングムーブメントという。たぶん。おそらく。そうあってほしい。
 つまり、金のない若者たちが空き家を好きなようにかきかえてしまう

  この運動は、ヨーロッパ各地に多い。しかし、ここ数年どこも政府に潰される傾向にたっているようだ。ここイスラエルのテルアビブにも、スク ウォッティングハウスが存在した。しかし2ヶ月前に行政によって潰されてしまった。わたしは潰されたのを知らずに、ポーランド・スクウォッターの彼女と遊 びにいった。中は荒らされていた。でも、ほこりくさい自由の匂いだけがただよっていた。彼らはいったいどこへいったのだろうか。

 表へでると、近隣住民が私たちに近づいてきた。ヘブライ語でなにかいってきた。しかし、とてもうれしそうな顔をしている。こちらがヘブライ語が わからないと察した近隣住民は、英語で、お前達帰ってきたのか!とうれしそうに語って来た。どうやら、わたしたちをイスラエルのスクウォッターだと思った ようだ。話をしてみると、近隣住民とスクウォッターの関係はすごく良好で交流もあったようだ。近隣住民は、スクウォッターがいなくなったのをさびしいと 語っていた。また、彼らに暴力をふるった警官を批判していた。

 ポーランドのスクウォッターは、空き家を大家と交渉して手にいれている。そして、文化交流センターという名前をつけて、地元の子どもたちのための保育所にしたり、ライブハウス、展示場などとして地元の人たちの交流場にしている。さらに、そこは若者たちの居住地でもある。
 
 わたしたちは、海へいって酒をのんだ。
 
 あえて、もう一度。 一体彼らはどこへいったのだろうか?

 サパティスタはいった。 WE ARE EVERYWHERE !!
 
 われわれはどこにでもいる。


●イスラエルのアナキスト・インフォショップ 1月9日

 アナキスト・インフォショップ。アングラ、アナキズム、アクティビスト、オルタナティブ、DIY、自主出版などの本やミニコミなどが置いてある店、またただ買い物をするだけでなく、交流のスペースでもあり、自由に本を読んだり、イベントがやれる空間。

そんなインフォショップがイスラエルのテルアビブにある。イスラエル政府はパレスチナ人に対して隔離政策や占領政策を日常生活から攻めかけてい る。もちろん、これに反対するイスラエル人も少数だが存在する。そんな彼らの活動の拠点にもなるのが、このインフォショップでもある。

これは、世界中のいたるところにある。もちろん、日本にだってしっかりとぶっとい草の根を生やして存在する。

なんべんもここに書くけど、なんべん書いたって書き足りるわけねーだろうが!!と、今日は少し攻撃的にせめさせていただいて。ぜひ、皆さん、日本のアナキスト・インフォショップにも足を運んでください!!

http://mixi.jp/view_community.pl?id=80422

《IRREGULAR RHYTHM ASYLUM HP》
http://a.sanpal.co.jp/irregular

《IRREGULAR RHYTHM ASYLUM BLOG》
http://irregularrhythmasylum.blogspot.com/

 数日前、パレスチナのナブロスという街でイスラエル兵によるパレスチナ人射殺があった。またアズンという小さな村でも、こどもが発砲された。どちらも、日常的に催涙弾やサウンドボムが使われているという。
 この状況を変えるための第一歩、それがこのインフォショップでもある。

 わたしは、いま、普段の活動に加えてヘブロンガイドも兼業している。英語がろくにできないかわりに、日本語だけはぺラペラに話せる。ということ で、日本人を主に無料ガイドをやっている。たいしてできないのに英語でもやる。一銭にもならんが、一戦にはなっていると思いたい。

それから、今日、ブッシュがパレスチナへやってくる。イスラエル政府を無償で支援する国のトップがどの顔さげて、パレスチナへ来れるっていうのか、、、。


●ブッシュ大統領からの贈り物 1月14日

 先週の木曜と金曜日、パレスチナにブッシュ大統領がやってきた。今日はブッシュがパレスチナにきたことによって、ミクロレベル(わたしのいる地区・ヘブロンの一地域)でなにが起きているのかを書きたい。

 ひとつは、ヘブロンのイスラエル人入植地(ヘブロンはパレスチナ地区、ここに点々とイスラエル入植地とパレスチナが入り混じっている、沖縄の米 軍基地と沖縄本島を想像するとわかりやすいかもしれない)の若者や子どもたちが、入植地を越えてパレスチナ人のオリーブ畑に、ブッシュ歓迎の意味をこめて ユダヤ教のマークを石や岩を並べて座り込んでいる(今日一月十三日ブッシュが帰国した現在も続行中)。さらにパレスチナ人地区の道路も封鎖している。ここ をパレスチナ人の子どもや女性が通るとイスラエル人の10代前半の若者の集団やこどもたちが殴りかかったり、石を投げる。
 
 また入植地の真横にすむパレスチナ人の家にも連日連夜、イスラエル入植地からの投石や追い込みがつづく。投石によって頭を打ってひどい怪我をした人もでている。夜も不安で眠れないパレスチナ住民も多い。大の大人の男が不安で泣いていた。

 わたしたちの団体は彼らの間に入りパレスチナ人女性やこどものガードにまわる。だから、当然イスラエルの若者たちはわたしたちにも攻撃をしてくる。石が飛び、罵声がとぶ。わたしはなんとか彼らと話がしたかった。

 わたしはよくヘブロンに住むユダヤ教の牧師(イスラエル人)に、なぜお前は反ユダヤ(反イスラエル)人活動をするのかと?ヘブロンの街をツアー してるといわれる。わたしは丁寧に、わたしは反ユダヤではないことを伝える。ただ、わたしは反戦で反軍隊で反武器なだけだと。イスラエル兵の銃口からパレ スチナのこどもたちを守りたいだけだと。日本政府がイスラエルやアメリカを支援する限り、わたしはここでこどもたちを守る義務があるんだと。しかし、すぐ に彼は、パレスチナのテロリストと戦わないといけない。ここはイスラエルなんだといって水掛け論になってしまう。

 パレスチナ人女性やこどもたちを襲うイスラエルの10代前半の若者やこどもたちと話をしてみると見事に同じ回答がかえってくる。なにをいって も、アラブ(パレスチナ)が悪い、アラブはテロリストだ、汚い、臭い、出て行け。こどもによっては、何千年も前の歴史から話を出してくる。どこか地に足の ついていない言葉で。くりかえし、くりかえし。

 わたしは、政治の話を捨てて、彼らの興味のありそうなことに切り替えて話す。みんな本当に幼い。中学生とか小学生ぐらいだ。日本製の車にすごく 興味があったり、格闘技をやりたがったり。だから、できもしないのにボクシングを教えたりした。すると彼らはすごく喜ぶ。彼らもパレスチナの子どもとなん ら変わりはない。けど、話してる横をパレスチナの子どもや女性が道を横切ろうとするとすかさず石を投げたり、殴りかかる。
 だから、わたしたちは、パレスチナ人を守る。するとさっきまで少し仲良くなって話していた彼らが、いろんな物を投げてくる。なんだか、すごく悲しくなる。
 
 わたしは、彼らに言いたい。パレスチナ人の無害な女性やこどもを追い詰めるよりも、もっとでかいものとやりあうおもしろさを。punkは素晴ら しいだぜって。アナーキーって最高に気持ちがいいんだぜって。薄暗いフェンスに囲まれた入植地を増やすより、好きな空き家でも占拠しろよって。テルアビブ の若者はそんな好きなことやってんだぞって。
 でも、聞く耳はない。それでもいい。けど、お前らのやってることは最高にかっこわるいってのだけはいいたい。

 今日も、彼らと話した。俺らはお前の敵じゃないよって、もしも、日本に来たら、家にきなよ、お前のために寿司でもつくってやるからって、いった。そしたら、いつもしかめっつらした子が、本当にうれしそうな顔をしていた。なんだか、少しほっとした。
 それでもやっぱり、パレスチナの子が来ると顔が変わる。そして罵声や石を浴びせる。パレスチナの子は泣きそうな顔になる

 いったい、イスラエルの子どもたちにこの国の大人たちはなにを吹き込んだっていうんだ。

 そのほかにもブッシュがきたことによって、監視カメラがパレスチナ人の家のの屋上に違法で取り付けられたり、街の重要ポイントに新たに設置されたりした。 

 ヘブロン以外でも、主要の道路や検問所が封鎖されたり、検問が異様に厳しくなったり、パレスチナ人の生活にただのダメージしか与えていない。

 ブッシュが滞在した2日間、ヘブロンの街の夜空には発砲音だけが鳴り響いていた。これらが、ブッシュからの贈り物だ。

 明日もイスラエルの子どもたちと話しをしにゆく。

写真:
上・イスラエル人の若者に投石されて出血するパレスチナ人
中・パレスチナの子どもとドラマ制作をしたときの写真、監督、役者など決めてチャンバラ映像を撮る。
下・イスラエル入植地前に住む農民のこどもたち 


●パレスチナ隔離壁観光地化計画に参加しませんかね?ハーポー部長より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=679922608&owner_id=125281&comment_count=4








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