農家で働こう!
志賀直輝
私は、3年ちょっと、骨のないイソギンチャクみたくふわふわと海外を旅してた。日本へ戻って4カ月ぐらいがたったが、今もこれといってなんら生活に締まりなくふらふらしいる。ただ、帰って来て不思議に感じるのは、私自身がまったく焦っていないのに、周りが私の生活を見て焦ることだ。そして「あーだ、こーだ」言いたいことを親切にもいってくれる。
今は、大阪にいるけど、ここにも私の生活を見て「どうのこうの」と言ってくれる親切な方々が多い。中には丁寧に進路相談まで勝手にしてくれる。しかし、なぜにまあ、そんなに人の生活をカウンセリングしたがるのか?私に色々言ってくれる「カウンセラー」たちは、日々まじめに「労働」していない人間を見ると不安に駆られるのでしょうか?「人間は、まじめに働かなくてはいけないのだ」っていう幻想が揺らぐと、彼・女ら自身の生活になにか支障でもあるのでしょうか?それとも、「本当は自分も働きたくない」ってだけじゃないのかなんて思うけど、どうなんだろ。「ほんまは、働きたくないんや!」っていうのが本音なら付き合いやすくていいんだけど。
しかし、まあ、私も毎日、金にならない労働はしてるんだけど、このカウンセラーたちはそれを「労働」とは認めてはくれません。仕方有りません。
あんま金にならない労働といえば、最近まで、大阪の河南町にある無農薬農業をしている共同農場で働いていた。とにかく有機農業・無農薬農業はおもしろかった。なんといっても野菜が甘くてうまい。うまさの秘訣は、独自の堆肥と肥料らしいんだけど、説明を受けてもよくわからなかった。
しかし、本当に無農薬は骨が折れる仕事だった。一日中、腰を曲げて小さな葉っぱについた虫を手でつぶしたり、小麦粉を水で練ったものを串につけて取ったり、小さな雑草を一本一本手で抜いたりした。思わず、農薬や除草剤をぶちまけたくなった。農薬を使わない分、労働量が多かった。だから人件費の分、野菜自体の販売値段が高いのかと思っていた。でも、ここの農場の野菜は普通のスーパーの野菜と同じぐらいか、それ以下の値段で売っている。誰でも継続的に無農薬野菜を食べて欲しいから、手ごろな値段にしていると言っていた。
日本に帰って来て、無農薬だ、有機農業だ、田舎暮らしだ、農家レストランだ、自給自足やなんやかんや、やってる場所を巡った。おもしろいところもあったけど、ビジネスの臭いがきつかったり、ボッタくりだったり、新興宗教ぽかったり、ボランティアを異常に酷使してたりってのが多かった。しかし、金があればいい物が手に入って、安全安心なスローライフが過ごせますっていうのも、なんだか、エコならぬエゴな感じがする。河南町の共同農場みたいに金がない奴らでも、安全でうまいものが食えるっていう精神の方が断然素晴らしいと思う。(ちなみに、素人の乱界隈の松本くんの母上がやっている「気楽庵」って古民家の宿は安くて最高。)
で、さっそく、ここの農園のミニコミ「あおぞら通信」に「サパティスタ民族解放軍」のことを書かせてもらった。普段、まったく政治的なことが書かれないミニコミにサパティスタが紹介できてよかった。以下は農家ミニコミ「あおぞら通信」より。
対談「ふらふら旅。へとへと研修。」
▲石原野恵 ■志賀直輝
■野恵ちゃん、お母さんから「あおぞら通信」の原稿依頼きましたよー、なに書く?せっかくだから、旅のこと話してよ。
▲ じゃあ、そうさせてもらいますわ。私は、食品会社を辞めて2008年7月から1年間、世界旅行へ行ってん。アジア、中東、ヨーロッパ、北米、中米と14カ国を旅した。韓国で有機農業の学校でボランティアしたり、フランスでは有機農業でベジタリアンのコミュニティでボランティアした。で、キューバでは漁師をした。色んな国で、色んな人に会って、めちゃめちゃ色々考えたやけど‘食’は改めて大切やと思った。一言では語られへんわ。で、真っ先に自分の周りでの ‘食’ということで結びついたのが、うちの母親が10年くらいしている‘あおぞら農場’やった。大阪に帰ってきて、すぐに母親に研修させてほしいと頼んで、今に至るよ。そういう、直輝はどんな旅してたん?
■俺?俺は、3年ちょっと、海外ほっつき歩いてたよ。アジアじゃ、出家志して仏教修行してたよ。もちろん、出家はやめたけど(笑)。それからパレスチナじゃあイスラエル軍や入植者がパレスチナ人に毎日暴力振るったり占領しててね、それを身体で止めるいうNGO活動してた。それからヨーロッパじゃあ、金ない若い奴らとかアーティストたちがみんなで空き家を占拠してて、そこを共同空間にしたり、有機農業やってたりっていう場所で生活してたよ。あとは、超貧乏な国でスラムいわれる貧民エリアでボランティアしてた。そんでもって、中南米いってグアテマラで、野恵ちゃんと運命的に会ってね。無理いって、一緒にメキシコはチアパス州のサパティスタ民族解放軍の自治区でボランティアしようって誘ったんだよね。
▲そうやね、行ってほんまにいい経験になったわ。
■うん。サパティスタ民族解放軍っていうのを説明しないといけないよね。サパティスタを簡単にいうと、メキシコに元々住む、先住民たちの農民運動なんだよね。1994年にね、米国、カナダ、メキシコの間で自由貿易協定ってのが結ばれて、三カ国間で関税なしで自由に貿易ができるようになった。そのせいでメキシコ国内に米国から大量生産の安い農作物が流れこんできた。だから農薬も買えない小規模農業してる先住民たちが更に貧乏になった。白人がアメリカ大陸に侵略してからさ、ずっと貧乏や差別から抜けにくいシステムの中で暮らしてる先住民・農民たちがさ、こんな生活は「もうたくさんだ!」いって、94年に武器をもって立ちあがったんだよね。彼・女たちは、米国や政府、大企業の介入を拒否して自治区をつくって自分たちの生活と食を守ってるんだよね。
▲村は全体的に貧乏やった。ぼろぼろの服に素足の子どもがよくお菓子ほしいとかねだってきたな。なんで、こんなにも貧乏なんやろっていっぱい考えたわ。そんな環境の中で、自分たちの土地や地域の生活、自分たちがつくる栄養価が高くて安全な食べ物を守ろうっていう動きが素直に「素晴らしい」って思った。サパティスタの農民たちは当たり前のことを率直に主張してる。だから彼・女たちは貧乏やけど、子どもも大人もすごい、みんなが明るくって健康的やった。
■そうなんだよね。自分たちの食べ物とかさ、土地を守ろうっていうのが本当に強かったよね。そこで思うのが日本の農業だったり、食べ物だったりするんだけどさ。
▲ そう、そこやねん。だから、あおぞら農場に真っ先に来たかってん。あおぞら農場は、地域密着で出来るだけ薬も使わないで、食べる人と会話しながらやってるやん。でも、その自然なことを続けていくのって、ほんまに大変やなって研修来て思ったわ。この前、にんじん葉の虫取りをやっててん。山ほど、いも虫がおって「ぶゎーって農薬かけたい〜」って衝動に駆られたで(笑)。こんな大変な作業ををずっと続けてるんやから、あおぞら農場のみんなはやっぱりすごいわ。安全で美味しい食べ物を作って土地の物を守る、自然で当たり前なことを続けていくってことは、ほんまに大変なことやって思った。
■ほんとだね。自分たちの食い物と土地・地域を守るってことが大事だよな。大型スーパーとか大企業からよくわからん食べ物買うよりも、安全でさ、地元のもん買って、地元で繋がる方がいいよな!っていうかさ、出来ることなら自分でつくるのがいいよね!やっぱり、DIYだ!
以上
PS
それから最近、社会問題にまったくかすりもしないイベントとか、社会運動とか政治にまったく興味のない人と話す機会がある。人に聞かれもしないけど、サパティスタやパレスチナ問題、グローバリゼーション、ベジタリアン、大阪には野宿者が異常に多いこと、石原都知事とオマワリは糞だとか、あんま働かないで生きてゆく方法はないのか、教えてくれませんかね?なんて話をしている。あるシンポジウムの主催者には「訴えないでくれ」なんていわれたり、おばちゃんにパニくられたりもしたが、なんとなくみんな同じ方向を向いて、空気を壊しちゃいけないなんていう空気は、壊した方がいいと思うし、やっぱり、壊すことはおもしろい。みんなに理解されるのも大事かもしれないけど、オブラートに包み過ぎてたら、言いたい事もいえなくなるし、やっぱりありのままにハードコアにいきたいと思う。
ってのもあって、マシな求人があったから自己主張する政治的な履歴書を送ったら、そのまま送り返された。さらにある面接では、職務経歴にパレスチナで活動してたこととか、サパティスタとかについて書いたら、「そんなもんは書くもんやない」なんて言われた。じゃあ、いったい、なにを書けばいいのか?あっ、そうか、マスでもかいて、面接官の顔面に飛ばしてやればいいのか。忘れてた。
で、浦島太郎的な気分で帰り道、ぼーっとしてたら、知的障がいをもった兄さんに「兄ちゃん、元気かっ?」ってスポニチを渡された。だから、いろいろ立ち話をした。すると、そこへ兄さんの介助者のおっさんがやって来た。私は、兄さんに「あのおっさん(介助者)は、なにしてる人なの?」って聞いたら、その兄さんは「ギターと三味線をしてる人」と答えた。
私は、なんだかほっとした。「なにをしてる人?」っていう質問の答えが「職業とか仕事」じゃなかったことに。面接官に「今はなにをしてるの?」って聞かれて、金になる仕事以外は「なにもしていません」なんて答えるのが当たり前なんいうのは、いかれてると思う。今度からは、面接官に「なにをしているの?」と聞かれたら、顔射した上で「暴動の準備ですよ」と、にっこり答えようと思う。
▲こどもぼうどう
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