志賀直輝
9月の半ばに、佐藤レオさんが亡くなった。レオさんは、パレスチナ西岸地区・ビリン村の非暴力抵抗運動を描いたドキュメンタリー映画『ビリン・闘いの村』 をつくった。最近は、ビリン村でイスラエル兵に殺されたパレスチナ人・バッセムの追悼DVDの日本語版を作り、私と一緒にバッセムの家族へのカンパ集めや 上映会をしていた。
レオさんがやってる「HAMSAFilms」の「ハムサ」は、パレスチナ人とイスラエル人が共通して使っている魔除けのお守りだ。レオさんは、この「ハムサ」が好きだった。パレスチナ人もイスラエル人も双方が使ってるから好きだった。
レオさんは、俺がつくったまずい蕎麦を「うまい」いって、うれしそうに、すすっていた。
レオさんは、本当にやさしい人だった。やさしすぎる人だった。そんな人が生きられない社会なんてあっていいわけがない。そんな社会なら、わたしは喜んで全身で反逆しつづけたいと思う。本当に悔しい。彼の意思も勝手についでいこうと思う。
news23とレオさん
「ビリン・闘いの村」公式サイト
http://hamsafilms.com/bilin/index.html
▼レオさんが書いた文章。
私とパレスチナ、そしてイスラエルとの関わりは2004年に遡ります。当時、長期旅行中だった私は、ヨーロッパ各地を転々とし、トルコ・シリア・レバノンを経て、聖地エルサレムへと向かいました。
まず、イスラエル入国で待っていたのは過剰なセキュリティでした。レバノンやシリアのビザを持っていた私は半日ほど待たされ、ようやくイスラエルに入国できました。
たまたま泊まった安宿には、普通の旅行者だけでなく、ジャーナリストや活動家がたむろしていました。そのなかに、八木健次さんという写真家がいて、ちょうど分離壁に関するドキュメンタリーを作っているのだと聞きました。
私自身、日本を旅立つ前にビデオ編集を仕事としていましたので、そのプロジェクトに興味を持ち、同行取材するようになりました。そこで目にしたのが、美しい旧市街とは対照的な、パレスチナとイスラエルを分断する壁やチェックポイントでした。
それまで40以上の国を見てきましたが、ここまでの紛争を目の当たりにすることはなく、少なからず衝撃を受けました。
アザウィア村の壁建設反対デモの取材では、初めて催涙ガスを経験しました。
パレスチナ人に混じって兵士たちに涙ながらに抗議するアメリカ人女性に心を動かされました。
また、ヘブロンの元兵士たちが主催した写真展「ブレイキング ザ サイレンス」も取材し、元イスラエル兵士の中にも自分たちの行いに疑問を投げかけている人々がいるのだな、ということを知りました。
そうして私は、このプロジェクト「THE WALL」の編集・助監督をすることに決め、日本に帰りました。それが2004年7月のことです。
「THE WALL」が数ヶ月をかけて完成し、小規模ながら上映を何度か手伝ったりもし、そして一年以上が経ち、今度は自分で何か出来ないかとカメラを買って、2006年の5月から6月にかけて、パレスチナに再訪問しました。
現地の人々の協力と、半年ほどの翻訳と編集を経て出来たのがこの作品「ビリン・闘いの村」−パレスチナの非暴力抵抗−です。
彼らの非暴力の闘いはすでに3年以上続いており、2007年9月には村の分離フェンスのルートを変更するようにとのイスラエル最高裁の判決がありましたが、それが本当に実行されるのかどうかはまた別の問題だと聞いています。
イスラエル政府は、国際社会が決めたグリーンラインを無視し、パレスチナに与えられたはずの西岸の土地に120以上の入植地を建設し、主な入植地を分離 壁・フェンスでさらに囲み、チェックポイントを設けてパレスチナ人たちの行動を制限しています。この政策は、国際司法裁判所から停止勧告を受けています。 そういった見えにくい土地収奪、水資源の確保などが民族浄化の一手段として継続的に行われており、そういった日常が、パレスチナ人の困難をさらに難しいも のとしているということを、この映像を通して広く理解されるきっかけになればと思います。
▼追悼文
レオさんへ
以前も直接お伝えしましたが、レオさんに会えてよかったです。
初めて会った年、テルアビブでレオさんと喧嘩しましたね。
それももう懐かしいばかりです。
レオさんがサポートしてくれたおかげで、
バッセム追悼映画の上映が実現しました。
レオさんはいつも自分のことを犠牲にして
私の願いを実現してくれました。
感謝しています。そして心痛いです。
これからもずっといいパートナーでいてくれることを祈っていました。
レオさん、さようなら。安らかに眠ってください。
10月5日 エルサレムより 美恵子
▼今後も、佐藤レオ監督作「ビリン・闘いの村」とバッセム追悼DVDの上映と販売をしていきたいと思います。東京では、IRAや模索舎で購入できます。売上は、バッセムの家族にカンパします。
ウィキに佐藤さんのエントリーをたてました。最低限のことしか書いてありません。関係者の方で、情報をお持ちの方は、補筆をお願いいたします。ある程度のきちんとした分量があれば、YouTubeへのリンクをはって、佐藤さんの遺作となった作品の紹介等、見てもらうことができると思います。