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イレギュラー・リズム・アサイラム
160-0022 東京都新宿区新宿1-30-12-302
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
新しいホームページ: http://ira.tokyo
営業時間 13:00〜20:00(月・水定休)

IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
1-30-12-302 Shinjuku, Shinjuku-ku Tokyo 160-0022
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
website: http://ira.tokyo
Opening Hours 13:00〜20:00 (Closed on Mondays and Wednesdays)
志賀直輝

「林真須美さんはやってない、「無罪」だ!」というメールがアナキストの友人から来た。メールの内容は和歌山カレー事件の犯人として林真須美さんに「死 刑」宣告がでたという内容だった。それも林さんには事件の犯人となる物的証拠がまったくないという。物的証拠がないのに「死刑」宣告っていったい、なんな んだ!こんなことがあっていいのかあ!これは、もう我慢ならない。「ジャバスタ!もうたくさんだ!」とサパティスタのように街頭にでて叫ぶしかない。

し かし、考えてみると、日本の警察や裁判所は「無罪」を訴える人に対して簡単に「死刑」を出してきてる。私が、イラク反戦の非暴力デモで、なにもしてないの に「公務執行妨害」で19日間、留置場に入れられた。警察や検事は、まったくなにもしてないから黙秘している私に、「私が機動隊に暴力をふりました、今 後、勉学に勤しみます」と書いた彼らの「供述書」を作り、サインをしろと怒鳴りちらしてきた。やってないものはやってないから、黙秘し続けた。けど、これ が「死刑」なんて、たまったもんじゃない。シャレにもならない。

これは、日本だけじゃなく、世界中、どこの国家も同じだ。パレスチナ支援 でイスラエル警察に逮捕されたときも、やってもないことを「やった」と言えと恐喝され、「やったと言わないなら留置場にいれてやる」と言われ、入れられ た。それから、私はタイの刑務所の邦人「終身刑」者支援を細々とやってる。「終身刑」者の中には、空港でドラッグを知らないうちに誰かに仕込まれ、そのま ま逮捕されて「終身刑」になる人もいる。これは、警察とドラッグの売り子が手を組んでドラッグ検挙の報奨金目的とされている。が、たいして事件の内容を調 べられないまま、簡単に「終身刑」が出されている。

中々、犯人がみつからない、証拠はないが怪しいという理由から、たいして事件を調べもしないのに、逮捕、さらには「死刑」ってこんなおかしなことはない!!また、林真須美さんが、当然、犯人だと思い込んでしまう社会も病気としかいいようがない。

もう一度、いう。こんなもん「もうたくさんだ!」。街頭に出るしかない。

以下は、興味深いので、是非読んでみてください。

林真須美さんを支援する会
http://enzai.org/masumi_hayashi/

以下、林真須美さんを支援する会より勝手に引用。

林眞須美さんのメッセージ

2月24日、最高裁第三小法廷で午後3時からの口頭弁論を前にして、初めての東京集会に、本日は多忙な中、大勢の方々にご参加いただきまして感謝の気持ちでいっぱいです。本当に心より感謝申しあげます。
本日ご参加の皆様にお願いしたいことがあります。
皆さんが裁判官になったと考えてみてください。皆さんがそうなったら私に死刑判決を下しますか?何か証拠はありますか?
私は犯人ではないので何もありません。何もないはずです。
私はカレー事件の犯人ではないのです。ですから、私は何としてでも無罪判決を勝ちとらねばという強い決意で、毎日毎日を過ごしています。
とはいえ、獄中の私にできることなんて何もないのです。
弁護士の先生方には、上告審を手弁当で闘っていただいています。
また、支援者の方々や、集会にご参加してくださっている方々など多くの皆様が、無収入のボランティアで、私や4人の子供たちを力強く支えていくださっていることが、私の心の支えになっています。
どうか真犯人の方は、一刻も早く名乗り出てください。私は毎日今日か明日かと、今か今かと待ち続けてすごしています。

本日は、長女と次女は仕事の都合で参加できませんでしたが、主人と長男、三女が参加しています。
思い返せば、私が逮捕された平成10年10月4日は、当時小学5年生の長男の運動会の日でした。長女 中三、次女 中二、三女はまだ4歳でした。
日 本中のマスコミが家に押しかけ、テレビも生中継で、頭上には耳が壊れてしまいそうなくらいの大騒音のヘリコプターが、10機以上も飛んでいる戦争状態のよ うな中で、取り残されてしまった4人の子供たちは、どんなに不安な思いであったのかと思うだけで、私はいつも息が詰まり、胸が張り裂けそうになります。
子供たちは、父も母もいない中で、日本中の誰もが敵としか思えない中で、私たちはもうこの4人しか信じられる人はいないんだと、兄弟で力をあわせながら成長してきてくれました。
長男が高校生の時にはバスケットクラブに入り、一日も休まずに練習に励み、二年生の時にはキャプテンとして、過ごしていた時に、近畿大会で長男のシュートが決まったときに、「死刑囚の子」と野次が飛んだということを、主人の手記を雑誌で読んで初めて知りました。
この時のことが長男にとっては今までの人生で一番つらかったことだそうで、彼はその時に笑顔で返したそうですが、私はこのことを知って以来、半年間は情けなくて、心身ともにボロボロでなき続ける毎日でした。
そのような中でも、この子供たちは母親である私への手紙は、何ひとつとして自分たちのつらいことや不平不満は言わずに、けなげにも私を励ましてくれるものばかりでした。
私は親バカです。
私はこの、愛しくてかわいくてたまらないこの4人の子供たちのためなら、何でも、少しでもできることはしてあげたいとの思いで、机の上の写真立ての子供たちの笑顔のVサインを、46時中目にしてすごしてきました。

本日は、こんな私にそれまでは、私のことをママと呼んでいた子供たちが、この時初めてお母さんと書いて、平成11年5月13日の初公判の前に、4人の子供の連名で送ってきてくれた手紙を紹介させていただきたいと思います。
 
「お母さんへ。
5月13日の初公判で、いよいよ裁判が始まりますね。
私たち4人は、毎日元気ですごしています。安心してください。
新聞、ニュース、雑誌等のマスコミは、本当にひどいことを書いたり言ってますが、世界中のみんなが敵になっても、私たち4人はいつもお母さんのことを信じています。
どんなにつらく、何十年かかったとしても、私たちは待ち続けてます。
世界でたった一人のお母さん。どんなにつらくて苦しくても、私たちがいることを忘れないでください。負けないでください。裁判に勝ってください。裁判で勝ってお母さんが帰ってくるまで、何十年でも私たちは待ってます。
お母さん泣かないでください。必ず勝ってください。お母さんに会える日を楽しみにしてます。体に気をつけて頑張ってください。離れて初めての母の日です。
おかあさん。どうもありがとうございます。」

私は、このわが子たちの力強い成長に答えるためにも、一日も一刻も早く子供たちのもとへ帰りたいのです。
どうか皆様、本当の裁判のことを知ってください。お力をお貸しください。
なにとぞお願いいたします。

平成21年2月13日
林 眞須美


高見秀一弁護士の話

  私は一審から林眞須美さんの弁護人でしたので、まずは事件と裁判の流れを簡単に説明させて頂きますが、(以下、スクリーンに事件現場の地図を写しながら) この事件が起きたのは、平成10年の7月25日のことです。それからもう10年半経ちましたけど、この「ガレージ」と書いてある所で、事件当日に自治会の 人たちが夏祭りで出すために、カレーとおでんを炊いていた。カレーの鍋は2つあり、そのうち「東側に置かれていた鍋」にヒ素が入っていたのです。
 そして、裁判では犯人だとされている林眞須美さんは、事件当日の午後0時20分ごろから午後1時ごろまでの間に、このガレージでカレーの見張りをしていました。その間に眞須美さんが、カレーにヒ素を入れたことになっているわけです。

  ただ、この事件では、眞須美さんがカレー鍋にヒ素を入れたところを見た人は誰もいません。しかし、カレー鍋が置かれていたガレージの向かいにあるお宅の、 Hさんというお嬢さんが「ガレージに眞須美さんがいて、西側のカレー鍋のフタをあけ、鍋の中をのぞき込んでいるところを見た」と証言されている。西側の鍋 というのは、要するに「ヒ素が入っていなかったほうの鍋」なのですが、この証言が裁判では、眞須美さんがカレー事件の犯人であるとする重要な間接事実の1 つとされているのです。
 このHさんの目撃証言には色々問題があるのですが、そのうち2つの問題点について、今日はお話させてもらいます。

・眞須美さんのTシャツの色を間違った目撃証言

 この証言の1つ目の問題点は、一審でHさんが眞須美さんの当日の服装について、「白いTシャツだった」と証言されていることです。というのも、事件当日に眞須美さんが着ていたのは「黒いTシャツ」だったので、ここがまず事実と違うわけです。
 もっとも、裁判では、Hさんの言う通りに事件当日の眞須美さんの服装は、「白いTシャツ」だったと認定されています。そこで、眞須美さんの服装が白と黒、本当はどっちだったのか、事件当日にカレーの調理や見張り番をされた他の地域住民の方々の証言を元に検証してみます。

  まず、事件発生まもない98年9月、10月のころの地域住民の方々の証言をみていくと、Mさんという方が9月17日付けと10月1日付けの警察官調書でい ずれも「林の奥さんは黒っぽい服を着ていたと思います」と証言されています。このMさんという方は、事件当日の午後1時ごろにカレーの見張り番を眞須美さ んと交代した人ですが、その時に眞須美さんを見た記憶に基づいて証言されているわけです。
 それから、Tさんという方も、午前中にカレーやおでん の調理をしていた時に眞須美さんを見ているのですが、9月23日付けの警察官調書で「林さんが黒のTシャツ姿で、右手で子供を抱えるようにしてガレージに 来たのです」と供述しておられます。また、0時20分ごろに眞須美さんとカレーの見張り番を交代したOさんという方も、10月1日付けの警察官調書で「林 さんの服装は黒か紺のダボダボしたTシャツでした」と証言しておられたんです。

 また、この人たちの一審の法廷での証言をみても、Tさん とMさんは眞須美さんの事件当日の服装を「黒」だと証言されています。一人だけ、Oさんが一審の法廷では眞須美さんの服装について「白っぽいTシャツでし た」と証言し、捜査段階の「黒か紺」から証言が変わってしまったのですが、実はこのOさんは、証言を変遷させた理由として、法廷でこんなことを言っている のです。
「オリジナルの記憶は白だったんだけども、警察の方に調書をとられている時に、『他の人はみんな、林さんが黒のTシャツを着ていたと言っ ている。あなたの記憶違いじゃないか』と言われたんです。それで、みんなが黒だと言っているなら、林さんの服装が白だという私の記憶は間違いかもしれない と思って、取り調べでは黒だと言っていたんです」
つまり、眞須美さんの服装を法廷では「白」だと言ったOさんの証言によって、逆に、事件発生まもないころには地域住民のほとんどの方が眞須美さんの服装を「黒」だと証言していたことがハッキリするわけです。

・目撃者が見たのは眞須美さんではなく次女
  そして、Hさんの目撃証言に関するもう1つの問題点ですが、それは、眞須美さんがカレーの鍋のフタをあけた時、首にタオルを巻いていたと証言されているこ とです。というのも、他の地域住民の方々は誰一人、眞須美さんが事件当日にタオルを首に巻いていたとは証言していないんです。

 では、Hさんが見た「鍋をあけた人」、つまり「首にタオルを巻いていて、白いTシャツ姿だった人」は誰だったかというと、眞須美さんの次女だったのです。
 というのも、次女の方は、事件発生当時にフライデーが、眞須美さんと間違って写真を誌面に掲載したほど、眞須美さんと背格好がとてもよく似ていたんですね。それで、Hさんも次女の方を眞須美さんだと間違って証言したんだと思うのです。
  実際、次女の方は、「事件当日にはガレージでお母さんとずっと一緒にいた。その時に自分は白いTシャツを着ていて、首にタオルを巻いていた」と証言してい ます。それに、次女の方は、「お母さんと一緒にガレージにいる時にカレーの鍋のふたをあけ、味見をしました」ということを裁判が始まる前の手続から一貫し て証言しているんですね。

 それと、Hさんは「カレーの鍋のフタをあけた時、眞須美さんは首にタオルを巻いていた」と証言している一方で、「午後0時20分ごろに眞須美さんを最初に見た時には、首にタオルをかけていなかった」とも証言しています。
 そのことから、一審判決は「最初は首にタオルを巻いていなかった被告人が、鍋のフタをあけた時に首にタオルを巻いていたのは、カレー鍋の見張り番をしていた時間帯に一度、家に帰ったからだ。その際、家にあったヒ素を持ってきたのだろう」と言外に匂わせている。

  しかし、Hさんの証言を検証すると、実は事件発生まもないころの検察官調書では、「眞須美さんは、最初に見た時(つまり午後0時20分よりも前の時点)か ら、白っぽいTシャツに黒っぽいズボンをはいていて、首にタオルを巻いていました」と証言しています。ですから、Hさんが最初に見た時に首にタオルを巻い ていなかった眞須美さんが、次にHさんが見た時は首にタオルを巻いていたとされ、そのことから眞須美さんがカレーの見張り中に一度家に帰ったとしている点 も、一審判決は間違っているわけです。
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1 Response to '林真須美さんはやってない!'

  • 匿名 said...
    https://irregularrhythmasylum.blogspot.com/2009/04/blog-post_22.html?showComment=1358402857637#c3070896156811921915'> 3:07 午後

    はじめまして。ツイートTVで聞いてここにきました。この国の空気がこういった冤罪を生んできているのでしょうか。検察や裁判官の怠慢もそこに加わっているように思います。空気をとくには、真犯人を探す以外に方法はないのかもしれません。月日がたち過ぎているので、難しいかもしれませんが、でもやった人が必ずいるのですから諦めずに見つけ出すしかないのでしょう。まだ、この国に正義があるのなら、諦めないで欲しいです。
    私も、死ぬまで生きる覚悟で頑張ります。決してただで死んではいけません。

     

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