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赤瀾会は、一九二一年四月、前年秋の日本社会主義同盟の結成を契機に、当時政治結社への参加を禁止されていた女性たちが、堂々と実名を名乗り、社会主義を標榜して結成した、日本初の婦人団体です。
結成直後に開催された第二回メーデーに手製の会旗を掲げて參加、労働運動、思想団体の同志たちの喝采をあび、またそれだけに二人の会員が長期拘留されるなど、警察の厳しい弾圧をあびることになりました。そうした弾圧にめげず、六月には婦人問題講演会を、七月には五日連続の夏期講習会を開催、また随時ブックデーと称して新聞やパンフレットを頒布するなど活発な運動を繰り広げました。
この年秋の陸軍大演習に際して、民家に分宿した兵士たちに反軍反戦ビラを配布したことを秘密出版とされ、軍隊赤化事件と世に騒がれ、中心メンバーを長期拘留され、毎月の例会を開催することも困難となり、わづか八ヶ月の活動で自然解散となりました。
しかしながら、顧問の山川菊榮、伊藤野枝をはじめとし、会員の秋月靜枝、足立篤子、伊吹貞子、岩佐しげ、貝原たい、片岡さつき、北川千代、九津見房子、堺爲子、堺眞柄、高津多代子、高野千代、竹内ひで、丹野せつ、永倉テル、仲宗根貞代、中名生いね、中村しげ、中村ふく、中村みき、橋浦はる、橋浦りく、堀保子、森崎智惠子、山口小靜、吉川和子、渡邊幸等の各氏は、惜しいことに若く亡くなられた方もいましたが、日本の社会運動、婦人運動、反戦運動に生涯をかけて取り組みました。
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