オランダのBLACK FALCONから、新しいタイプのパッチが届きました。絵柄は刺繍でアイロンでくっ付けるタイプのものです。下に載せた以外のデザインもあります。あわせて、いままで在庫切れだったヘンプ&オーガニック・コットンのパッチも入荷しました。近日中にカタログにアップしますが、すぐに欲しいという人は直接お店まで。
イレギュラー・リズム・アサイラム
160-0022 東京都新宿区新宿1-30-12-302
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
新しいホームページ: http://ira.tokyo
営業時間 13:00〜20:00(月・水定休)
IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
1-30-12-302 Shinjuku, Shinjuku-ku Tokyo 160-0022
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
website: http://ira.tokyo
Opening Hours 13:00〜20:00 (Closed on Mondays and Wednesdays)
カンボジアにいるシガちゃん(愚痴)から、前記のつづき。
・・・・・・・・・・・・・・
どうもです。昨日、米を20ドル分買ってきました。1キロ=1500リアル(1ドル=4100リアル)で、トータル54キロの米が買えました。自分が初めて米を買ったときよりも、いっぱい買えました。おそらく初めてのときはピンはねされたみたいです。
一日、30キロの米が必要なようです。二日弱、114人の子供たちがご飯を食べれます。校長も前歯のない口を大きく上げて喜んでました。こどもたちもとても喜んでました。
一応、証拠に写真をとりました。笑
それと、こどもたちがブレイクダンスをしてる写真も送ります。
ヘッドスピンやチェアーなどをやってました。
日本のNGOが日曜日に日本語の授業をやってまして、いろいろと話がきけました。
写真を撮ってる日本の人にも会えました。
あした、スモーキーマウンテンへいってきます。
それでは
・・・・・・・・・・・・・・
← IRREGULAR RHYTHM ASYLUMからの差し入れ(米54kg=$20)。
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どうもです。昨日、米を20ドル分買ってきました。1キロ=1500リアル(1ドル=4100リアル)で、トータル54キロの米が買えました。自分が初めて米を買ったときよりも、いっぱい買えました。おそらく初めてのときはピンはねされたみたいです。
一日、30キロの米が必要なようです。二日弱、114人の子供たちがご飯を食べれます。校長も前歯のない口を大きく上げて喜んでました。こどもたちもとても喜んでました。
一応、証拠に写真をとりました。笑
それと、こどもたちがブレイクダンスをしてる写真も送ります。
ヘッドスピンやチェアーなどをやってました。
日本のNGOが日曜日に日本語の授業をやってまして、いろいろと話がきけました。
写真を撮ってる日本の人にも会えました。
あした、スモーキーマウンテンへいってきます。
それでは
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← IRREGULAR RHYTHM ASYLUMからの差し入れ(米54kg=$20)。
カンボジアにいるシガちゃん(愚痴)からのメール。
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お元気ですか? あたくしは元気です。彼女はアメリカへ帰りました。一週間はなにもやる気が起きませんでした。しかし、ポルポトの虐殺跡地に行き、触発さてれきました。物乞いやストリートチルドレンもたくましく生きてるしね。ぐだぐだも飽きたし、なにかしようと思って、バイクの兄さんに日本語学校へ行きたいといったら、知らないといわれました。そこで彼の知っている、スラム街にあるストリートチルドレンや孤児のための自主学校へいってきました。お土産に米を30キロ持っていってきました。そして、今日、ただただ働きを兼ね、学校を見学してきました。自主学校の内情は最低でした。
政府の支援は一切なく、バイクの兄さんたちが連れてくる旅行者の支援が主らしい。
一応、アメリカに支援者がいるということだけど、それもごくわずからしい。それは、学校の設備を見ればわかりました、明らかに崩壊寸前のバラックでした。一番の問題は、一日、US25ドル分のおかずと米30キログラムで114人をまかなってるらしく、火の車だといってました。それでも、みんな元気に勇ましくやってました。
授業内容は、英語とカンボジア語、週一回日本語。それから、ボクシング。民族音楽と舞踊。この民族音楽と舞踊をパーティなどで披露して若干の収入を獲ているらしいです。
日本の団体にも呼ばれて来日したこともあるらしい。
と、ここまでは、ここの校長から聞きました。お互い英語がお粗末なので、行き違いもあると思います。しかし、直に学校の活動に参加させてもらったので、そこまで行き違ってはないと思いました。
でも、なんだか完全には鵜呑みできないので、そのスラム街の近くにある、日本語学校を訪ねてみた。そこには、日本から来た青年がボランティアで教師をしていました。
彼にストリートチルドレンの学校の内情を聞いたところ、校長がいってたとおりでした。
さらに、自体は最悪で、今月か来月にも、このスラム街(主にボディンマンションという不法占拠されたアパート)が政府によって強制撤去されてしまうらしい。もちろん、お金がないためにそこに住むしかないわけです。
そして新しいマンションを作っているが、そこはとても高くて誰も住めないらしい。
政府は、打開策にスラム街の人々をプノンペンの奥地へ強制移住させようとしている。しかし、その移転先は都市部から遠れすぎて、みな仕事にいけないとマンションやスラムに住みつづけている。(バスはあまりみない。バイクが主ということはバイクをもてない人は通えない)
この厳しい状況下で、自主学校は食費のやりくりに苦労していました。一緒に買い物にいきました。
野菜を7キロ、肉を2キロ、調味料とか合わせてUS10$。これを114人分。 なんだか俺が出さないといけない雰囲気だったので、しぶしぶ出しました。ちなみに俺の宿は1ドル。
この光景を見て、いつもたまに来る旅行者に泣きついてるのだろうと感じました。でも、それだけじゃどうやっても厳しすぎる。ストリートチルドレンや孤児たちに飯を分け、文字を教えるこの学校はそうとうな重要なものだと思いました。そしてなにより、ここのこどもたちは、底抜けに明るく、勇ましかった。
この彼ら、彼女たちの未来には飯と言葉が必要不可欠だと痛感しました。
そこで、なにかできないだろうかと考えました。それは、100円でもいいから金を送ることだと思いました。
米や勉強道具は現地で買った方が安い。どう考えても、校長が横領できる余裕すらない。(前歯がない)
かれらは、将来の収入を獲るための職業訓練はうけている。ということは必要なのは、食費なのどのお金。少しでも余裕がある人々から、ほんの少しでもいいから分けれたらいいんじゃないかと思いました。
振込先:
cambojia asia bank ltd
a/c no 322112-10-212-007810-7
a/c name pat noun
振込先銀行の住所:
cambojia asia bank ltd
252 monivong, phnom penh, cambojia
swift bic ; cabckhpp
a/c no.000-14133-0
学校の住所:
no.b.127, v/l.15, st.sothearos, tonie basac, chamcamorn,phnom penh
cambojia light children association /poor.street children and orphan trainig center
http://www.cambokids.org/
・・・・・・・・・・・・・・
お元気ですか? あたくしは元気です。彼女はアメリカへ帰りました。一週間はなにもやる気が起きませんでした。しかし、ポルポトの虐殺跡地に行き、触発さてれきました。物乞いやストリートチルドレンもたくましく生きてるしね。ぐだぐだも飽きたし、なにかしようと思って、バイクの兄さんに日本語学校へ行きたいといったら、知らないといわれました。そこで彼の知っている、スラム街にあるストリートチルドレンや孤児のための自主学校へいってきました。お土産に米を30キロ持っていってきました。そして、今日、ただただ働きを兼ね、学校を見学してきました。自主学校の内情は最低でした。
政府の支援は一切なく、バイクの兄さんたちが連れてくる旅行者の支援が主らしい。
一応、アメリカに支援者がいるということだけど、それもごくわずからしい。それは、学校の設備を見ればわかりました、明らかに崩壊寸前のバラックでした。一番の問題は、一日、US25ドル分のおかずと米30キログラムで114人をまかなってるらしく、火の車だといってました。それでも、みんな元気に勇ましくやってました。
授業内容は、英語とカンボジア語、週一回日本語。それから、ボクシング。民族音楽と舞踊。この民族音楽と舞踊をパーティなどで披露して若干の収入を獲ているらしいです。
日本の団体にも呼ばれて来日したこともあるらしい。
と、ここまでは、ここの校長から聞きました。お互い英語がお粗末なので、行き違いもあると思います。しかし、直に学校の活動に参加させてもらったので、そこまで行き違ってはないと思いました。
でも、なんだか完全には鵜呑みできないので、そのスラム街の近くにある、日本語学校を訪ねてみた。そこには、日本から来た青年がボランティアで教師をしていました。
彼にストリートチルドレンの学校の内情を聞いたところ、校長がいってたとおりでした。
さらに、自体は最悪で、今月か来月にも、このスラム街(主にボディンマンションという不法占拠されたアパート)が政府によって強制撤去されてしまうらしい。もちろん、お金がないためにそこに住むしかないわけです。
そして新しいマンションを作っているが、そこはとても高くて誰も住めないらしい。
政府は、打開策にスラム街の人々をプノンペンの奥地へ強制移住させようとしている。しかし、その移転先は都市部から遠れすぎて、みな仕事にいけないとマンションやスラムに住みつづけている。(バスはあまりみない。バイクが主ということはバイクをもてない人は通えない)
この厳しい状況下で、自主学校は食費のやりくりに苦労していました。一緒に買い物にいきました。
野菜を7キロ、肉を2キロ、調味料とか合わせてUS10$。これを114人分。 なんだか俺が出さないといけない雰囲気だったので、しぶしぶ出しました。ちなみに俺の宿は1ドル。
この光景を見て、いつもたまに来る旅行者に泣きついてるのだろうと感じました。でも、それだけじゃどうやっても厳しすぎる。ストリートチルドレンや孤児たちに飯を分け、文字を教えるこの学校はそうとうな重要なものだと思いました。そしてなにより、ここのこどもたちは、底抜けに明るく、勇ましかった。
この彼ら、彼女たちの未来には飯と言葉が必要不可欠だと痛感しました。
そこで、なにかできないだろうかと考えました。それは、100円でもいいから金を送ることだと思いました。
米や勉強道具は現地で買った方が安い。どう考えても、校長が横領できる余裕すらない。(前歯がない)
かれらは、将来の収入を獲るための職業訓練はうけている。ということは必要なのは、食費なのどのお金。少しでも余裕がある人々から、ほんの少しでもいいから分けれたらいいんじゃないかと思いました。
振込先:
cambojia asia bank ltd
a/c no 322112-10-212-007810-7
a/c name pat noun
振込先銀行の住所:
cambojia asia bank ltd
252 monivong, phnom penh, cambojia
swift bic ; cabckhpp
a/c no.000-14133-0
学校の住所:
no.b.127, v/l.15, st.sothearos, tonie basac, chamcamorn,phnom penh
cambojia light children association /poor.street children and orphan trainig center
http://www.cambokids.org/
メーデー!メーデー!メーデー!
4.30弾圧を許すな
8.5プレカリアート@アキバ
〜やられたままで黙ってはいないサウンドデモ→集会〜
【開催のお知らせ】
集合:2006年 8月5日(土)14:30
場所:総評会館(千代田区神田駿河台3-2-11) http://www.sohyokaikan.or.jp/access/
交通:【地下鉄】千代田線・新御茶ノ水駅、丸ノ内線・淡路町駅、都営新宿線・小川町駅(いずれもB3出口/徒歩0分)
【JR】御茶ノ水駅(聖橋口/徒歩5分)
サウンドデモ:16:00—18:00(予定)
集会[総評会館]:18:00—21:00(予定)
不安定さを強いる社会を転換させよう。生きることがこれほどにも大変なのは、言われるほど自分のせいではない。おかしいのは仕事も住居も、からだもこころも、日々の暮らしのすべてを不安定さに晒すこの社会だ。
なるほど目の前には「自由」が吊り下げられている。際限のない生き残り競争の果てに、互いの生を貶め合う「自由」だけが与えられている。しかし見るからにそれは自由ではない。偽物はいらない。
プレカリアート(不安定さを強いられた人々)が自らのものとした声は、人がつながりあう場へと街路を取り戻すサウンドデモとして表現された。これを封じ込めようとして、警察は恫喝と盾と不当逮捕を持ち出した。だが、すでに発せられた声をかき消すことなどできない。誰もやられたままで黙ってなどいないからだ。
私たち自らが望むものをはっきりさせようと思う。それはただここに出会い、話し、驚かされ、喜び、生きることである。欲しいのは、考え、動き、表現することの中に、互いの生を交錯させる自由である。これらを奪うことを許さない。そのために力を尽くそう。
2006年7月
実行委一同
【実行委運営上の確認】
政治的立場の違いを暴力によって「解決」することを実践し、その行為と思想を正当化し続ける人びとの参加はおことわりします。
※「メーデー!メーデー!メーデー! 4.30弾圧を許すな 8.5プレカリアート@アキバ 〜やられたままで黙ってはいないサウンドデモ→集会〜」に賛同する団体・個人、そして何よりもこの取組みを成功させるために動いてくれる仲間を募集しています。ぜひ連絡を!
この取り組みにご賛同いただける団体・個人の方は、公表の可否を書き添えて、下記振込先に賛同費をお寄せください(団体2000円、個人1000円)。
【実行委運営上の確認】
政治的立場の違いを暴力によって「解決」することを実践し、その行為と思想を正当化し続ける人びとの参加はおことわりします。
【振込先】
○ 口座種別:郵便局「ぱるる」 ※ 郵便振替口座ではなく「ぱるる」口座です。
○ 記号:10080
○ 番号:91518311
○ 口座名:フリーター全般労働組合
※ 連絡先:mayday06q(at)yahoo.co.jp(メーデー救援会)
paff(at)sanpal.co.jp(フリーター全般労働組合)
war_resisters(at)yahoo.co.jp(戦争抵抗者の会)
070-5587-3802(抵抗電話)
http://sounddemo.nobody.jp/
4.30弾圧を許すな
8.5プレカリアート@アキバ
〜やられたままで黙ってはいないサウンドデモ→集会〜
【開催のお知らせ】
集合:2006年 8月5日(土)14:30
場所:総評会館(千代田区神田駿河台3-2-11) http://www.sohyokaikan.or.jp/access/
交通:【地下鉄】千代田線・新御茶ノ水駅、丸ノ内線・淡路町駅、都営新宿線・小川町駅(いずれもB3出口/徒歩0分)
【JR】御茶ノ水駅(聖橋口/徒歩5分)
サウンドデモ:16:00—18:00(予定)
集会[総評会館]:18:00—21:00(予定)
不安定さを強いる社会を転換させよう。生きることがこれほどにも大変なのは、言われるほど自分のせいではない。おかしいのは仕事も住居も、からだもこころも、日々の暮らしのすべてを不安定さに晒すこの社会だ。
なるほど目の前には「自由」が吊り下げられている。際限のない生き残り競争の果てに、互いの生を貶め合う「自由」だけが与えられている。しかし見るからにそれは自由ではない。偽物はいらない。
プレカリアート(不安定さを強いられた人々)が自らのものとした声は、人がつながりあう場へと街路を取り戻すサウンドデモとして表現された。これを封じ込めようとして、警察は恫喝と盾と不当逮捕を持ち出した。だが、すでに発せられた声をかき消すことなどできない。誰もやられたままで黙ってなどいないからだ。
私たち自らが望むものをはっきりさせようと思う。それはただここに出会い、話し、驚かされ、喜び、生きることである。欲しいのは、考え、動き、表現することの中に、互いの生を交錯させる自由である。これらを奪うことを許さない。そのために力を尽くそう。
2006年7月
実行委一同
【実行委運営上の確認】
政治的立場の違いを暴力によって「解決」することを実践し、その行為と思想を正当化し続ける人びとの参加はおことわりします。
※「メーデー!メーデー!メーデー! 4.30弾圧を許すな 8.5プレカリアート@アキバ 〜やられたままで黙ってはいないサウンドデモ→集会〜」に賛同する団体・個人、そして何よりもこの取組みを成功させるために動いてくれる仲間を募集しています。ぜひ連絡を!
この取り組みにご賛同いただける団体・個人の方は、公表の可否を書き添えて、下記振込先に賛同費をお寄せください(団体2000円、個人1000円)。
【実行委運営上の確認】
政治的立場の違いを暴力によって「解決」することを実践し、その行為と思想を正当化し続ける人びとの参加はおことわりします。
【振込先】
○ 口座種別:郵便局「ぱるる」 ※ 郵便振替口座ではなく「ぱるる」口座です。
○ 記号:10080
○ 番号:91518311
○ 口座名:フリーター全般労働組合
※ 連絡先:mayday06q(at)yahoo.co.jp(メーデー救援会)
paff(at)sanpal.co.jp(フリーター全般労働組合)
war_resisters(at)yahoo.co.jp(戦争抵抗者の会)
070-5587-3802(抵抗電話)
http://sounddemo.nobody.jp/
クルド人難民デニズ・ドーガンさんの収容・送還の停止を求める緊急行動
クルド人難民デニズ・ドーガンさんは、6月24日の入管への出頭日に、入管職員から「カナダ行きについて進展がないと、来月は仮放免を考え直さないといけない。」 と言われたそうです。次回出頭日には収容や送還の危険も考えられます。
そこで、以下の行動を呼びかけることになりました。
(1)デニズさんへの在留特別許可を求める署名
(2)出頭日に集まってください!
+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
(1)デニズさんに在留特別許可が与えられるように、皆さんの共感を求め、署名を集めています!
第1次集約を7月24日(月)夜中12時までにします。
署名用紙は下記URLからダウンロードしてください。
http://www.mkimpo.com/diary/2006/deniz_sign.html
(2)出頭日に集まってください!
日時:2006年7月25日(火)9時45分集合 10時手続き開始
場所:東京入国管理局前
108-8255 東京都港区港南5-5-30 03-5796-7111
アクセス:JR品川駅港南口(東口)から都バス「品川埠頭循環(品99)」で
「東京入国管理局前」下車すぐ。品川駅からバスで約15分。
http://www.immi-moj.go.jp/soshiki/iten.html
クルド人難民二家族を支援する会
クルド人難民デニズ・ドーガンさんは、6月24日の入管への出頭日に、入管職員から「カナダ行きについて進展がないと、来月は仮放免を考え直さないといけない。」 と言われたそうです。次回出頭日には収容や送還の危険も考えられます。
そこで、以下の行動を呼びかけることになりました。
(1)デニズさんへの在留特別許可を求める署名
(2)出頭日に集まってください!
+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +
(1)デニズさんに在留特別許可が与えられるように、皆さんの共感を求め、署名を集めています!
第1次集約を7月24日(月)夜中12時までにします。
署名用紙は下記URLからダウンロードしてください。
http://www.mkimpo.com/diary/2006/deniz_sign.html
(2)出頭日に集まってください!
日時:2006年7月25日(火)9時45分集合 10時手続き開始
場所:東京入国管理局前
108-8255 東京都港区港南5-5-30 03-5796-7111
アクセス:JR品川駅港南口(東口)から都バス「品川埠頭循環(品99)」で
「東京入国管理局前」下車すぐ。品川駅からバスで約15分。
http://www.immi-moj.go.jp/soshiki/iten.html
クルド人難民二家族を支援する会
下にも書いたように「BAR 716」は、『アナキズム読本』の出版記念も兼ねたものでした。あのようなケイオティックな場に居合わせてしまったら、「で、何のイベントだったっけ?」という人もけっこういるのでは、と心配なので、改めてここで宣伝させてもらいます。
「アナーキー」は何を意味するのか? 「アナキズム」とは一体何なのか? あらゆる権威を排撃し、ヒエラルキーなき社会を目指す叛逆の思想を一問一答形式で詳細に解説する。自由を希求する人々必読の書! (ウェブサイトより)
という『アナキズム読本』は、上記のように一問一答形式で書かれているので、はじめから順序よく読むのではなく、気になった項目からランダムに読み進めると良いかと思います。「アナキストは社会主義者なのか?」とか、「アナキストは組織を容認するのか?」とか、「アナキストは『無制限の』自由を認めるのか?」とか、「アナキズムは平和主義なのか?」とか、多くの人が気になるところではないでしょうか? とはいえ、絶対唯一、アナキスト全員一致の「答え」が書かれているわけではなく、あくまで自分で考えていくための参考にしてくれ、というだけのものです。
すでにIRA店頭では販売しています。通販カタログには数日中にはアップします。どうぞよろしく。
「アナーキー」は何を意味するのか? 「アナキズム」とは一体何なのか? あらゆる権威を排撃し、ヒエラルキーなき社会を目指す叛逆の思想を一問一答形式で詳細に解説する。自由を希求する人々必読の書! (ウェブサイトより)
という『アナキズム読本』は、上記のように一問一答形式で書かれているので、はじめから順序よく読むのではなく、気になった項目からランダムに読み進めると良いかと思います。「アナキストは社会主義者なのか?」とか、「アナキストは組織を容認するのか?」とか、「アナキストは『無制限の』自由を認めるのか?」とか、「アナキズムは平和主義なのか?」とか、多くの人が気になるところではないでしょうか? とはいえ、絶対唯一、アナキスト全員一致の「答え」が書かれているわけではなく、あくまで自分で考えていくための参考にしてくれ、というだけのものです。
すでにIRA店頭では販売しています。通販カタログには数日中にはアップします。どうぞよろしく。
停電のため、IRAのサーバーが一時的にストップしてます。
明日の夜には復旧する予定です。
>復旧しました。
明日の夜には復旧する予定です。
>復旧しました。
FILASTINEのニューアルバム"Burn it"のCDがそろそろ入荷します。
昨年11月にやったパーティーSTRIKE EVERYWHERE!で聴かせてくれたような曲がこのCDで聴けます。たいへん素晴らしい出来。
ところで、FILASTINEも参加の反グロ・マーチングバンドTHE INFERNAL NOISE BRIGADEは、7月29日に誕生の地シアトルで「自殺する」ようです。シアトルの反WTO闘争での鮮烈なデビュー以来、6年に渡る彼/女らの反グロ巡業もここで一区切り。残念な気もするけど、残念に思うなら自分たちでやってしまえば良い。
昨年11月にやったパーティーSTRIKE EVERYWHERE!で聴かせてくれたような曲がこのCDで聴けます。たいへん素晴らしい出来。
ところで、FILASTINEも参加の反グロ・マーチングバンドTHE INFERNAL NOISE BRIGADEは、7月29日に誕生の地シアトルで「自殺する」ようです。シアトルの反WTO闘争での鮮烈なデビュー以来、6年に渡る彼/女らの反グロ巡業もここで一区切り。残念な気もするけど、残念に思うなら自分たちでやってしまえば良い。
前記事の続き。サッコとヴァンゼッティの手紙、英語からエスペラントへの翻訳も出来たらいいな、とのことなので、英語でも呼びかけてみる。
There is an interesting project which is trying to translate the Sacco & Vanzetti's letters from English into Esperanto. If you are interested in it, contact to the owner of the following blog:
http://d.hatena.ne.jp/Sacco_Vanzetti/about
There is an interesting project which is trying to translate the Sacco & Vanzetti's letters from English into Esperanto. If you are interested in it, contact to the owner of the following blog:
http://d.hatena.ne.jp/Sacco_Vanzetti/about
1927年8月23日アメリカで、イタリアからの移民でアナキストだったNicola Sacco(サッコ)とBartolomeo Vanzetti(ヴァンゼッティ)が、強盗犯として無実の罪を着せられ、電気椅子で処刑されました。人種的/思想的偏見に満ちた裁判によるものであり、米国裁判史上に残る最大の冤罪事件と言われ、2人が処刑されると、パリ、ジュネーヴ、ベルリン、ブレーメン、ハンブルク、シュトゥットガルト各地では暴動まで発生したんだそうです。2人は獄中から、慣れない英語で多くの手紙を書き、アメリカなどでは本とし残されているのですが、現在それを日本語訳する試みが進行中、そして停滞中…。詳しくは以下を:
http://d.hatena.ne.jp/Sacco_Vanzetti/about
英語が出来て、サッコとヴァンゼッティに興味ある方、翻訳をやってみませんか? 彼らの英語での文章は間違いだらけですが、言語が「正しくない」分、彼らと同じく英語を母語としていない日本語スピーカーにとっては、四苦八苦しながら想像力を巡らして訳せば訳すほど、彼らの逞しさ、情熱、優しさをより深く感じ取ることができるでしょう。やってみようかな、という方は、ぜひ気軽に上のブログから連絡してみてください。
サッコとヴァンゼッティについては、イレギュラーに映画『死刑台のメロディー』のコピー (VHS) があるので、興味あれば貸します。2週間以内にちゃんと返してくれることが条件です。出来れば、ついでに店で何か買ってもらえるとありがたいですが、無理にとは言いません。
http://d.hatena.ne.jp/Sacco_Vanzetti/about
英語が出来て、サッコとヴァンゼッティに興味ある方、翻訳をやってみませんか? 彼らの英語での文章は間違いだらけですが、言語が「正しくない」分、彼らと同じく英語を母語としていない日本語スピーカーにとっては、四苦八苦しながら想像力を巡らして訳せば訳すほど、彼らの逞しさ、情熱、優しさをより深く感じ取ることができるでしょう。やってみようかな、という方は、ぜひ気軽に上のブログから連絡してみてください。
サッコとヴァンゼッティについては、イレギュラーに映画『死刑台のメロディー』のコピー (VHS) があるので、興味あれば貸します。2週間以内にちゃんと返してくれることが条件です。出来れば、ついでに店で何か買ってもらえるとありがたいですが、無理にとは言いません。
6月17日に、IRAで行った高祖岩三郎さんを囲んでの、雑誌VOL出版記念イベント「ANARCHY, AUTONOMY, ART 高祖岩三郎 × IRREGULAR RHYTHM ASYLUM」は、多くの方が参加してくれ、とても有意義なものになりました。
で、その時に用意した(ヴィーガン)料理の売上げを、ニューヨークの自主運営のコミュニティースペースABC NO RIOへのベネフィットにすることにしていましたが、その額が¥13,919になり、近日中にかれらに送る予定です。ご協力ありがとうございました。
LINK:
・ABC NO RIO
・BORDERSPHERE.COM (高祖岩三郎さんのサイト)
・VOL
で、その時に用意した(ヴィーガン)料理の売上げを、ニューヨークの自主運営のコミュニティースペースABC NO RIOへのベネフィットにすることにしていましたが、その額が¥13,919になり、近日中にかれらに送る予定です。ご協力ありがとうございました。
LINK:
・ABC NO RIO
・BORDERSPHERE.COM (高祖岩三郎さんのサイト)
・VOL
ABC No Rio: we fought the law, and we won!
26 years ago, a small group of artists occupied an abandoned building on Delancy Street. They put up an art show commenting on the housing crisis in New York, focused by their actions on the quantity of abandoned properties on the Lower East Side owned by the city itself.
The art show was immediately shut down; the artwork confiscated. The city, by its over reaction, turned a minor event into a large scandal. To end the scandal, the city agreed to rent the first floor and basement of a building the city owned on Rivington street to the group of artists.
The space became know as ABC No Rio, taking its name from the reflection of a decayed sign across the street that once said Abagado Notorio and looked as if it said Abc No rio.
What ABC No Rio is can best be summed up by the following quote from the ABC No Rio website .
"We seek to facilitate cross-pollination between artists and activists. ABC No Rio is a place where people share resources and
ideas to impact society, culture and community. We believe that art and activism should be for everyone, not just the professionals, experts, and cognoscenti. Our dream is cadres of actively aware artists and artfully aware activists."
The artists running the space eventually took over the abandoned floors above and converted them into usable studios and living space.
The city made numerous attempts to evict ABC No Rio. Time and time again the city lost. The city's last attempt was giving ownership of the building to a non-profit housing organization, Asian Americans
for Equality. AAFE, responding to the public pressure No Rio organized, asked the City to withdraw the building from their
project.[1]
In February 1997, a protest converged on the offices of the New York City Department of Housing Preservation and Development (HPD), one of the agencies responsible for city owned property.
A crowd was marching towards the office of the Commissioner of HPD. She heard the protest coming down the hall and as she said later, realized she had a choice. She could call in the police and escalate the situation, or she could sit down and talk. She opted to talk and eventually offered a deal.
I was at home that day, waiting to do legal support for those arrested. When the phone rang, and I was told of the day's events I thought it was a joke. Later someone framed it for me with this rumor: The Head of HPD at the time had been an exchange student in Mexico in 1968 when a large student demonstration turned into a massacre because of the stubbornness of a bureaucrat; this was her chance to learn from that and do the right thing.
9 and a half years ago, as a result of that day, the City and ABC No Rio entered into an agreement. All people living in the building would move out; all the space would be converted to various community uses. ABC would have to hire architects and structural engineers; come up with plans to renovate the building and bring it back up to code. ABC No Rio would also have to raise enough money to renovate the building.
If these conditions were met, the city promised to start the procedure to transfer ownership of and rezone the building.
That process would require review and approval of: the department of Housing Preservation and Development; the land use committee of the local Community Board; the full Community Board; the City Planning Commission; the Borough President; the City Council; and the Mayor.
We kept our end of the deal. Everyone voluntarily moved out (no evictions) and most continued to participate in the project. The upper floors of the building were fixed up, which supplemented the first floor art gallery and performance space with a kitchen used to feed people in Tompkins Square by the local chapter of Food Not Bombs; a library of marginal publications and zines; a books to prisoners program, Books through Bars; a meeting room/classroom available to community groups; a fully equipped darkroom; a silkscreen printshop; video editing; and a public access computer center.
Much to our shock and surprise, the city held to its end of the deal. Even more shocking, ABC No Rio was able to raise enough money for phase one of renovation, the major structural repair.
In December, the folks from HPD called. They needed us to send a couple people to an important meeting. It seems that the process was over. They wanted us to submit revised architects plans and numbers; bank account statement; and get a lawyer so they could finalize the transfer of the building by the end of January.
As these things go, there were delays and more delays. But, it is now reality. This past week, on Thursday June 29th 2006, the City of New York transferred ownership of 156 Rivington to ABC No Rio in exchange for a check for $1. I'm a bit sad that they would not let us give them the money in dimes and nickles (or even some glass beads and trinkets).
Yes folks. It looks like we won.
Three or four generations of artists and activists went head to head with city hall for 26 years and won. We forced them to the table; demanded they take us seriously, on our terms. As a result, we have created a permanent home for the culture of opposition.
Renovation starts in the fall.
To date, we have raised over $290,000 [2]. The majority of the donations are below $100. That's a lot of love from a lot of people.
To everyone that provided support, money, art for auction, talent, beer, etc to aid our efforts, I send my thanks and respect. We could not have done this without the thousands of you that had our backs.
I'm still in shock. Slowly the reality is sinking in. Over 9 years ago when ABC No Rio started on the fundraising push, as a joke I bet someone $10 that it would never happen.
It was my way of saying that I was going to help and I did not care how impossible our goal seemed. I can't remember who the bet is with,but I'm eager to pay up.
notes:
[1] Some have sugested that I point out the fact that 8 years later, AAFE Exec. Dir. Chris Kui had been appointed to the City Planning Commission -- one of the groups that had to approve the transfer of the building. At that City Planning Commission hearing Mr Kui was extraordinarily gracious and magnanimous, and spoke favorably of ABC No Rio to his colleagues on the commission.
[2] Total renovation costs will end up somewhere between 500,000 and 900,000 depending on labor costs, material costs and other factors beyond our control. We still need to raise the rest of that money, but now that we own the building new sources of grant funding are open to us.
ABC NO RIO: http://www.abcnorio.org/
26 years ago, a small group of artists occupied an abandoned building on Delancy Street. They put up an art show commenting on the housing crisis in New York, focused by their actions on the quantity of abandoned properties on the Lower East Side owned by the city itself.
The art show was immediately shut down; the artwork confiscated. The city, by its over reaction, turned a minor event into a large scandal. To end the scandal, the city agreed to rent the first floor and basement of a building the city owned on Rivington street to the group of artists.
The space became know as ABC No Rio, taking its name from the reflection of a decayed sign across the street that once said Abagado Notorio and looked as if it said Abc No rio.
What ABC No Rio is can best be summed up by the following quote from the ABC No Rio website .
"We seek to facilitate cross-pollination between artists and activists. ABC No Rio is a place where people share resources and
ideas to impact society, culture and community. We believe that art and activism should be for everyone, not just the professionals, experts, and cognoscenti. Our dream is cadres of actively aware artists and artfully aware activists."
The artists running the space eventually took over the abandoned floors above and converted them into usable studios and living space.
The city made numerous attempts to evict ABC No Rio. Time and time again the city lost. The city's last attempt was giving ownership of the building to a non-profit housing organization, Asian Americans
for Equality. AAFE, responding to the public pressure No Rio organized, asked the City to withdraw the building from their
project.[1]
In February 1997, a protest converged on the offices of the New York City Department of Housing Preservation and Development (HPD), one of the agencies responsible for city owned property.
A crowd was marching towards the office of the Commissioner of HPD. She heard the protest coming down the hall and as she said later, realized she had a choice. She could call in the police and escalate the situation, or she could sit down and talk. She opted to talk and eventually offered a deal.
I was at home that day, waiting to do legal support for those arrested. When the phone rang, and I was told of the day's events I thought it was a joke. Later someone framed it for me with this rumor: The Head of HPD at the time had been an exchange student in Mexico in 1968 when a large student demonstration turned into a massacre because of the stubbornness of a bureaucrat; this was her chance to learn from that and do the right thing.
9 and a half years ago, as a result of that day, the City and ABC No Rio entered into an agreement. All people living in the building would move out; all the space would be converted to various community uses. ABC would have to hire architects and structural engineers; come up with plans to renovate the building and bring it back up to code. ABC No Rio would also have to raise enough money to renovate the building.
If these conditions were met, the city promised to start the procedure to transfer ownership of and rezone the building.
That process would require review and approval of: the department of Housing Preservation and Development; the land use committee of the local Community Board; the full Community Board; the City Planning Commission; the Borough President; the City Council; and the Mayor.
We kept our end of the deal. Everyone voluntarily moved out (no evictions) and most continued to participate in the project. The upper floors of the building were fixed up, which supplemented the first floor art gallery and performance space with a kitchen used to feed people in Tompkins Square by the local chapter of Food Not Bombs; a library of marginal publications and zines; a books to prisoners program, Books through Bars; a meeting room/classroom available to community groups; a fully equipped darkroom; a silkscreen printshop; video editing; and a public access computer center.
Much to our shock and surprise, the city held to its end of the deal. Even more shocking, ABC No Rio was able to raise enough money for phase one of renovation, the major structural repair.
In December, the folks from HPD called. They needed us to send a couple people to an important meeting. It seems that the process was over. They wanted us to submit revised architects plans and numbers; bank account statement; and get a lawyer so they could finalize the transfer of the building by the end of January.
As these things go, there were delays and more delays. But, it is now reality. This past week, on Thursday June 29th 2006, the City of New York transferred ownership of 156 Rivington to ABC No Rio in exchange for a check for $1. I'm a bit sad that they would not let us give them the money in dimes and nickles (or even some glass beads and trinkets).
Yes folks. It looks like we won.
Three or four generations of artists and activists went head to head with city hall for 26 years and won. We forced them to the table; demanded they take us seriously, on our terms. As a result, we have created a permanent home for the culture of opposition.
Renovation starts in the fall.
To date, we have raised over $290,000 [2]. The majority of the donations are below $100. That's a lot of love from a lot of people.
To everyone that provided support, money, art for auction, talent, beer, etc to aid our efforts, I send my thanks and respect. We could not have done this without the thousands of you that had our backs.
I'm still in shock. Slowly the reality is sinking in. Over 9 years ago when ABC No Rio started on the fundraising push, as a joke I bet someone $10 that it would never happen.
It was my way of saying that I was going to help and I did not care how impossible our goal seemed. I can't remember who the bet is with,but I'm eager to pay up.
notes:
[1] Some have sugested that I point out the fact that 8 years later, AAFE Exec. Dir. Chris Kui had been appointed to the City Planning Commission -- one of the groups that had to approve the transfer of the building. At that City Planning Commission hearing Mr Kui was extraordinarily gracious and magnanimous, and spoke favorably of ABC No Rio to his colleagues on the commission.
[2] Total renovation costs will end up somewhere between 500,000 and 900,000 depending on labor costs, material costs and other factors beyond our control. We still need to raise the rest of that money, but now that we own the building new sources of grant funding are open to us.
ABC NO RIO: http://www.abcnorio.org/
BAR 716
──『アナキズム読本』出版記念&スペイン革命七〇周年記念イベント
7.16 (Sun) 15:00~
場所:新宿NOANOA
新宿区新宿6-10-2 小池ビルB1
03-3356-6686
料金:¥1000
問い合わせ:IRREGULAR RHYTHM ASYLUM | 03-3352-6916 | irregular@sanpal.co.jp
「BAR7.16へようこそ」
18世紀以来、革命の歴史において、カフェやバルは大きな役割を果たしてきた。特に、19世紀半ばはカフェ文化と革命とが密接に結び付いていた。1848年のフランス2月革命が宴会という名目で行われた政治集会の弾圧に端を発していたことは偶然ではない。そこは雑多な人々が集まる場所であり、出会う場所であり、自分の考えを述べる場所であり、気軽に議論をする場所であった。そして、共謀の場であった 。
70年前、スペイン。1936年7月。ファシストのクーデターに対して社会革命が勃発した。革命については、BAR7.16で公開されるDVDが物語ってくれよう。付言するなら、これは1868年から続く一つのプロセスだった、ということだ。ほぼ70年間にわたり、スペインはアナキズム思想・農民運動・労働運動、そして弾圧の洗礼を受け続けた。激動の中で産まれたアナキスト組織の基本構造−−親和グループ−−を生み出した場は、主として、カフェだった。1930年代のバルセロナにおける暴動の大部分が企図されたのは、「カフェ=トランキリダー」だった。
そして、70年後の現在、共謀の場はなくなりつつある。対抗文化の基盤は現代資本主義と国家に吸い取られ、他者と直に接触することはメールのやり取りに、議論することはテレビの討論会に、カフェ文化は大規模チェーン店に吸い取られた。共謀 は罪だとされる。デモするだけで逮捕される。これが絶対自由を希求したスペイン革命以後の世界の帰結なのだろうか。個人の繋がりは分断され、個人はシステムに吸収され、画一化され、受動化され、生そのものが自動化されてしまったのだろうか。人類は完成し、歴史は終焉したのだろうか。
否。否だと思いたい。人間的自由を求めた精神は、反グローバリゼーションや反戦運動に多くの人々が参加し、能動的に自分の意志を表明することに現れ続けている。1999年のシアトル以来、絶対自由の思想、アナキズムに対する関心が高まっていることもその現れではないだろうか。人間は、自由を、自己決定を、無支配を求めるのだ。
オンライン上で更新され続けているアナキズムFAQの一部がこのほど邦訳出版された。思想だけを論じるのでは評論家に過ぎぬ。行動だけでは方向性を見失う。そう、人が顔を付き合わせる場所が必要なのだ。共謀の場が必要なのだ。
BAR7.16へようこそ。私たちは一夜限りの場を設定した。君が自由になりたいと願うならば、自由になる義務がある。自由を共謀しよう。
映画:
『スペインの短い夏』
1975-77制作/日本/モノクロ/52分
『メーデー2006弾圧記録』
2006制作/日本/カラー/15分
音楽:
若林圭子 (シャンソン)
クレオソータ! (フォーク)
VOCO PROTESTA (パンク)
DJ ラマダーン
バー:
(食べ物)種類豊富な手作り料理とつまみ
(飲み物)CNTワイン、ビール、焼酎、ウイスキー、サパティスタ・コーヒー、
ブース:
ACCLAIM
IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
模索舎
★「BAR716」は、「フィリピン・アナキスト・フェスタ」と連携したイベントです。「フィリピン・アナキスト・フェスタ」のサイトもぜひご覧ください:http://afesta.blogsome.com/