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E1プランについて
ミエコ
9月半ば、ユダヤの断食日にへブロンにでかけた。ダマスカス門前からベツレヘム行きのバスに乗れば、ベット・ジャッラで乗り換えて1時間半ほどでへブロンに到着するのだが、この日はユダヤ人住宅地を通過するバスが走らないため、別のバスで東エルサレムの分離壁の向こう側になってしまったアザリヤまで行き、本数の少ないラマーラから来るへブロン行きのバスを待って乗り換えるという遠回りをしたために3時間半かかった。遠回りをしても良いと考えたのには理由がある。アザリヤ行きのバスに乗るとヘブライ大学の麓にあるトンネルをくぐった後に、からっとした青空の下に砂漠のこんもりとした山々が連なり、山の麓にはベドウィンのテントがあり、テントの傍には給水用タンクがあり、羊の群と羊飼いの少年が遊牧する姿があちこちに見える。バスの中からただ瞬間的に見るだけだが、短いトンネルをひとつくぐるだけで別世界になるのが私の気持ちを和らげ、この景色を見るのが好きだから、あえて断食の日に遠回りをしてもへブロンに行こうと決めたのだ。
しかしこの日、バスの窓から見える光景に私は目を見張り、ショックと怒りで一杯になった。死海やエイラットに行くときも、マアレ・アドゥミムの親戚の家に行くときも、ジェリコーに行くときも、バスに乗ってトンネルをくぐるといつも見えていたベドウィンのテントが、ひとつもない。ここには遊牧民であるベドウィン達が住んでいた。彼等はその昔、北アフリカからアラビア半島までの広域を遊牧しながら、季節ごとに移動して生きてきた。パレスチナがイスラエルに占領されてからは、山羊や羊の遊牧に適したヨルダン渓谷及び死海北部全域が軍閉鎖地区とユダヤ人専用地区(C地区)になってしまい、その移動に厳しい制限がつけられるようになった。もはやシナイ半島に渡ってエジプトに抜けることも、アラビア半島に抜けるためにヨルダンに渡ることも出来なくなってしまったのである。足止めを食らった彼等は狭い範囲で遊牧を続けるしかなくなった。ここはそんな過酷な状況に追われてしまったベドウィン達が、西岸地区全域に建設された分離壁や入植地周囲を囲む金網や電流網に移動を妨げられ、更に動物達に草を食べさせる範囲を狭められ、閉ざされた土地で足止めを食った状態の中で、なんとか山の麓にそれぞれテントを張り、移動可能範囲で遊牧をしながら生きてきた土地だった。
へブロンに行った数日後、ユダヤ祭の食事に誘われ、マアレ・アドゥミムに住む義姉の家に行った。トンネルをくぐると見えるはずの光景をバスの窓越しに探した。今まで何度も壊されて、その度に国際人権団体やイスラエル家屋崩壊反対運動の協力で、建て直されてきたテントはないまま、岩肌の土地をならすブルドーザーの姿が見えた。E1プランが本格的に実行され始めたのだ。
E1プランとは、東エルサレムの北東部とマアレ・アドゥミム入植地の間にある土地に12キロメートル平米の新たな入植地を建設する案のことを言う。ここに豪華で住み心地の良い住宅三千件、工場、ホテル、ごみ処理場、大規模な警察署、エルサレム及びマアレ・アドゥミムの住民の墓地が建てられる予定である。
この案は1995年に故イツハク・ラビン首相により発案されたものであるが、政府による建設許可がおりなかったこととアメリカの強い反対を受けてきたことで、これまで工事に手がつけられていなかった。2002年、ベン・エリエゼル国防長官は、軍法によってE1プラン実行命令を出したが、当時のナタニヤフ政権による建設許可が下りず、実際に建設準備作業に踏み込むことはなかった。2004年、建設許可も下りず、正確な町つくりの計画もないまま、建設省はここに住んでいたベドウィン達のテントを壊し、岩だらけの土地を平らにする工事を開始した。これはイスラエルの法律にさえ、違反するものである。テントを壊された彼等は国際協力を受け、同じところに新たなテントを建て直した。その後、何度も壊され、建て直すの繰り返しが今夏まで続いた。
2012年、国連がパレスチナをオブザーバーとして認定すると、ナタニヤフ首相はパレスチナに対するお仕置きだとでも言うかのように、「E1地区に住宅三千件の新入植地を建てる」と発表した。国際法を違反しているにも関わらず工事を開始することの理由として、公式発表の場での説明は以下の通りであった。「従来交わされてきた“E1地区には建設しない”というアメリカとの約束は、既に有効ではなくなった。パレスチナ自治政府の反抗的な態度が原因である。テロ行為は増加している。ここに入植地を建設することは、セキュリティ上絶対必要である。」
この発表は平和を望むパレスチナやイスラエルの人々を怒涛のごとく怒らせた。ブッシュさえ、この計画には反対していた。パレスチナ自治政府は、E1地区でのベドウィンの追放及び建設工事に対し、国際裁判所に国際法違反及び人権侵害として訴えている。
E1地区に入植地ができると、東エルサレムにあるピスガット・ゼエブ入植地とマアレ・アドゥミム入植地がひと繋がりになり入植地間の交通が便利になるだけでなく、エルサレムの土地不足と住宅難がかなり解消されることが予想される。
このE1地区入植予定地をくるりと囲い込む形で、更なる分離壁の建設が進められている。この分離壁が出来ると、現在使用されているラマーラとベツレヘムを結ぶ道路をパレスチナ人は使えなくなる。その為、パレスチナ北部と南部間の移動は、マアレ・アドゥミムの外北部、ジェリコーの手前付近まで大きく迂回しなければならなくなる。地図で見ると非常に近く、本来20分ほどで行き来できる距離でも分離壁や入植地を迂回する為に所要時間は1時間半になったが、今後は3時間かかるようになる。パレスチナは事実上、北部と南部に分かれてしまうのである。
国連の報告によると、イスラエルによる占領が開始された1967年以降、これまで2万4千件のパレスチナ民家が崩壊されており、1家族あたりの損害は約1千万円から512万円である。これら金銭的損害以外に、更に注目されているのは土地を追われた人々の精神的衝撃、健康破壊、トラウマ、と計り知れないものがある。
現在、和平交渉の条件としてパレスチナ政治犯がイスラエルの刑務所から数回に分けて釈放されている。しかし釈放されても、出身地に戻ることは許されず、強制的にガザに行かされる。
イスラエルは力ずくでパレスチナの人々の土地を奪い、更に移動の自由、行政管理力を奪い、計り知れないあらゆるものを奪い続けている。しかし、和平は力ずくで手に入れられない。E1プランの実行はイスラエル政府の力ずくの悪あがきを更に激しく表すものと言える。
*イスラエルには国防省が決める軍法と、国会が決める民法の2種類ある。
参考:
Save the children http://www.savethechildren.org.uk/
Israeli committee against house demolition http://icahd.org/
http://www.ochaopt.org/results.aspx?cx=014863140215069478854:9rq_pupjc4c&cof=FORID:9;NB:1;BIMG:http://
www.ochaopt.org/images/googleback.jpg;&ie=UTF-8&q=E1%20plan&sa=Search
http://www.ochaopt.org/documents/E1_Jerusalem_Graphic_Barrier_August05.pdf
http://en.wikipedia.org/wiki/E1_Plan
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131030/mds13103009150000-n1.htm
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