ラウンドテーブル
「米騒動」から90年
私・たちは「米騒動」から何を受け取るか?
発題:平井 玄(音楽批評/「地下大学」主宰)
08年11月23日(日)13:30〜16:30
富山県民会館 707号室
参加費+資料代 500円
テーブルをかこもう できるなら丸いテーブルを
共食するのもいい 腹が減っては 戦ができぬ
共謀できたらもっといい アセルナアセルナ 深望遠慮
なによりも共同の武器を創ろう 前代未聞の武器を
テーブルをかこもう せめてひとつなりとも席を空けて
もはやここにいない者のために
まだここにいない者のために
1918年夏──「シベリア出兵」を見越した投機などによる急激な米価の高騰の中、富山の湾岸地域では、多数の女性たち(「おっかあ」たち)を中心とする住民が、米穀商に押しかけて米の廉売を要求すると共に、県外への米の搬出を実力で阻 止しました。──いわゆる「米騒動」の始まりです。大阪といった大都市に向かうほど勢いを増しながら、米騒動は、「未解放部落」民をふくむ、いわゆる「細民」 ・「貧民」と呼ばれる「雑業」層・「窮民」など、及びなお、それら「下層社会」民と地続きに 存在しながら、他方でようやく社会的な形姿を取り始めた近代的工場 労働者との連結による、この国の近代史における最大の民衆騒乱として展開されました。
当時の新進気鋭の経済学者福田徳三は、「米騒動」に触れた論評の中で、「極窮権」 という自然法上の概念に言及しています。米騒動は、まさに彼の言う「極窮権」の行使、言い換えれば、近世以来の民衆運動における「徳義ある経世済民」(「モラルエコノミー」)を求める「世ならし」行動と、当時ようやく生まれ始めていた「生存権」感 覚に基づく直接行動との混合(アマルガム)であったという意味でも、この国の近代以降の民衆運動の歴史を画するものでした。
米騒動から90年──新自由主義「構造改革」の強行がもたらした「生の保障」の破壊/劣化に対抗して、「フリーター」などの「不安定雇用労働者」や、シングルマザー、多重債務者、ホームレスといった「保障されざる者」たちが、それぞれの抱える問題の違いを超えて互いに連携しあおうとする気運が、一定の広がりをもって生み出されつつあります。
こうした新しい時代をひらくことに向かおうとする気運の中で繰り広げられる行動は、しばしば「現代の米騒動」と自称されもするし、他称されもしています。
そうした自称/他称は、おのずと、90年前の「米騒動」とは何であったのか/私たちはそこから何を受け取るかという<問い>を立ち上がらせます。
「米騒動」の発火点となった富山という地域に生きる私・たちは、その〈問い〉の前に自らを立たせたいというやみがたい思いにかられています。
「ラウンドテーブル:『米騒動』から90年」では、そのような〈
ぜひ、ご参加下さいますよう、呼びかけます。
ラウンドテーブル
「米騒動」から90年
私・たちは「米騒動」から何を受け取るか?
●1部: 「米騒動」とは何であったか?
「民衆(史)的記憶」の再生を求めて
発題:平井 玄(*)/山口素明(フリータ全般労組書記長)/埴野謙二
●2部: 私・たちは「米騒動」から何を受け取るか?
「転形期」を生きわたるために
(*)平井 玄さん:
近著に「ミッキーマウスのプロレタリア宣言」(太田出版05)「
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