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イレギュラー・リズム・アサイラム
160-0022 東京都新宿区新宿1-30-12-302
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
新しいホームページ: http://ira.tokyo
営業時間 13:00〜20:00(月・水定休)

IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
1-30-12-302 Shinjuku, Shinjuku-ku Tokyo 160-0022
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パレスチナより憎愛とアナーキーと連帯をこめて
志賀直輝

 わたしは11月の中旬から現在に至るまでパレスチナにいます
。イスラエル兵の銃口からパレスチナの子どもたちを守りたいと思って非暴力団体で活動しています。この団体には世界中からアナキストやアクティビスト、各地の変態があつまってきます。わたしの視点で見たパレスチナについて日記を書きました。かなり長いですがぜひ読んでください。いま、いったい、パレスチナでなにがおきているのか。少しでもミクロレベルで伝わるといいと思います。

 また、パレスチナにはいたるところに隔離壁があります。この壁はイスラエル政府によってつくられました。この壁によってパレスチナの人々は自由に動くことができません。そして24時間体制で管理されています。今、この壁に世界中のアーティストやアナキストがグラフティやステンシル、ポスターなどを描いています。

 この動きによって、今、パレスチナ・ベツレヘムの隔離壁がひそかな観光スポットになっています。隔離壁の観光化が進むことによって、世界中にイスラエル政府のパレスチナに対する隔離政策が少しでも伝わると思います。そして、なにより、薄暗い壁を楽しい絵でいっぱいにしてしまうのは、なんともおもしろいことだと思います。

そこでわたしたちも、この流れに乗ろうと考えています。絵やポスター、ステンシルなどを今月1月22日までにイレギュラーに届けてください!時間があまりないですが、どうぞよろしくおねがいします。

以下は、わたしがかきためた日記です。



●パレスチナ解放デモ 11月17日 

 今、パレスチナにいます。パレスチナには元々たくさんのパレスチナ人(アラブ人)が住んでいました。しかし、パレスチナ人は1948年からシオニストたち (イスラエル建国を目指す人々)によって住んでいる家、生活源の農場などを奪われ、現在にいたるまでたくさんの人々が殺されてきました。そして多くのパレ スチナ人は難民として周辺国へ逃げてゆきました。

 わたしはパレスチナのビリーンという農村の村へいってきました。元々、オリーブをとって生活していたところに、ある日、イスラエル軍がやってきて、オリーブ畑や家を踏み潰して土地を奪ってしまいました。

 そこで、ここの農民や地元民はイスラエル軍の行為を国際法に違反しているという理由から、裁判をおこしました。2年半以上に及ぶ裁判闘争の末、彼らは、勝訴しました。
 しかし、勝訴したにもかかわらず、今でもイスラエル軍は出てゆきません。
 そして、この村では毎週金曜日、イスラエル軍に出ていけというデモをしています。

 わたしはこのデモに参加してきました。デモは、パレスチナ人、それを支持するイスラエル人。また世界各地の人達がいました。

 平和的に非暴力で行進しているデモ隊に対して、イスラエル軍はすぐにたくさんの催涙弾を撃ってきます。催涙弾によって、呼吸は苦しくなり、目が あかなくなってしまいます。催涙弾やゴム弾もかなり飛んでくるのでこれにあたる人もいます。また、威嚇するためにサウンドボムもたくさん使われます。たく さんの負傷者(軽度)がでます。それでも、デモ隊はめげずに進みます。

 これに対して、パレスチナ人は石をくるくるまわして投げて抵抗(インティファーダ)します。しかし全くあたりません。それでも、彼らはいつまでも抵抗をやめません。

なぜなら、彼らにはオリーブが命だからです。オリーブは生活源であり、重要な栄養源でもある。そして、デモ隊を催涙弾やゴム弾から守ってくれる。(最終的には囲まれて撃たれます、インターナショナルに対してはめったに撃たない、だから、インターナショナルがパレスチナ人の盾になる。)

パレスチナには、あちらこちらに壁があります。イスラエルはパレスチナ人を自由に動けなくしています。そして、至る所にゲートがあり、そこでかなりの時間の間、待たされたりする。日常生活のありとあらゆるところから管理してゆく。イライラさせ、無力化させてゆく。

わたしはたった数日だけでも嫌気がさしてしかたなかった。なんと居心地の悪いことか。それに引き換え、パレスチナの町は、本当にあたたかい。なにか日向ぼっこをしているような。街の人は本当に親切で私達を迎えてくれる。笑顔と礼を尽くしてくれる。

この正反対の状態に本当に鈍器で撃たれたような感覚を覚えました。
居心地の悪い壁やゲートがあるからこそ、居心地のよい村、コミュニティを作るのかもしれません。

わたしは、ここにいれる限り、できる限りのことをしたいと思います。また、来週もデモへゆきます。オリーブ狩りの手伝いもしようと思います。


● パレスチナチェックポイント反対デモ 11月20日

 今日は、パレスチナに無数におかれたチェックポイント(検問)に反対するデモへいってきた。チェックポイントは空港のパスポートチェックと同様で、ID チェック、荷物検査などがイスラエル軍によって行われている。これがパレスチナの主要交通機関の間に無数(限度はあるけど)に置かれている。

 このチェックポイントの問題点は、無数におかれた検問を一日に何度も通らなくては目的地にたどり着かないことだ。
 時間帯によっては、1時間から2時間、検問所で待たされる。やっと通れるかと思うと回転式のゲートが開くと思いきや、わざと閉じたりと、地味な嫌がらせもある。
 またラッシュアワー時は、夕飯をつくらなくてはいけない女性たちが、時間に焦りぎゅうぎゅにおしあっている。男性たちからはイライラがつのり罵 声があがる。待ちくたびれた幼い子どもが泣いている。年寄りがいつまでもぎゅうぎゅに挟まれている。時には、チェックポイントを閉じることもあり、みんな 家に帰れないこともある。
 こうして、365日24時間体制でパレスチナ人はイスラエル軍に管理されている。

 そのチェックポイントに反対するデモは、若いパレスチナの学生、イスラエル・アナキスト、人間の盾のメンバー、世界中からの活動家によって行われた。平和的なデモなため、銃口を向けた兵士の数回の警告ですぐに解散せさざるおえなかった。

 パレスチナははっきりいって、刑務所の中と同じだ。塀に囲まれ、自由に動けない。行きたい場所にもいけず、帰る故郷にも帰れない。これが、毎日、毎日懲りることもなく続いている。

 帰りのチェックポイントで、イスラエル兵に質問してみた。兵が終わったら何するか?タイやインドへいって、イスラエル旅行者たちのようにマリファナでも吸うか? 
 すると彼は、苦笑いして、家族のために働くよといっていた。デモやパレスチナ人に対して厳しい彼らも、家族のためにはまったく違った顔をもっている。当然なことだろう。

 いつになれば、家族のために思う奴が他の家族のためを思う奴を思いやれるようになるのだろうか。わからない。

 明日から、人間の盾になるためのトレーニングを受けに行く。そして、イスラエル軍によってオリーブの収穫ができない農家の手伝いにいってきます。私にとってもよい収穫になるとよい。


●パレスチナの投石はイスラエル兵の頭上を越えてゆく 11月25日

 昨日、イスラエル兵の侵略に抵抗しつづけるビリン村の農民の闘いに参加してきた。しかし、なんとも情けないことに、わたしはデモ前夜に今激しく恋しているポーランド人の彼女と飲みすぎてデモに遅刻してしまった。

 このあたりが、リアルに生活がかかっている農民と、一時の「正義感」に駆られている自分との差かもしれない。しかし、このあたりはどうしよもない気がする。けど、それでいいのかという疑問も残る。

 そんな感情の中、催涙弾やゴム弾(鉄を硬いゴムでコーティングした弾)が飛び交い、サウンドボムが農民や活動家たちを威嚇しつづける。中には、兵士に殴られて流血している人もいる。
 でも、わたしはゴム弾や催涙弾がかすめる中、恋する彼女をのことばかり考えていた。

 一体、わたしの頭はどうなってるのだろうか?これでいいのか??

 パレスチナの若者たちはなんども、なんども、撃たれながらも当たりもしない石をイスラエル兵に投げつける。たまにイスラエル兵の足にこつりとぶつかる。兵士は気にもとめていない。それでも若者は石を投げ続ける。

 わたしにはこの石が、イスラエル兵の頭上を越え、ヨーロッパを越え、アメリカを越え、そして日本の渋谷あたりにいる同じ年頃のわたしたちの頭にいつかぶち当たるような気がする。
 わたしの場合は、さらに渋谷を経て、アジアを越え、もう一度パレスチナへ戻り、わたしの頭に何度も当たる。痛い。痛すぎる。

 恋も重要。闘争も必要。日常も重要。祭りも必要。二日酔いもたまらない。投石もたまらない。

 わたしには、わたしの生活があり、パレスチナの農民には農民の生活があるんだと思う。それでいいのだと思う。その上で互いの立場を越え、そして、連帯すること。これがパレスチナの壁を無くす行為のひとつかもしれない。
 
 ということで、思い切り恋をして、思い切り闘争したいと思う。
これから、また恋する彼女に会いに行こうと思う。


●緑のおばさんならぬ黒いおっさん 11月28日

 私は今、パレスチナのヘブロンにいます。時折街からは銃声が飛び交っています。昨日は、モスリムたちの怒りの声が街中に響き渡っていました。なぜ彼らが怒っているのか?
 ひとつは、この街のいたるところに、イスラエル軍の検問所があるからです。検問所を通るたびに、パレスチナ人は荷物をチェックされます。また、常にライフルを持った兵隊が立っています。通学に通う小学生は片道だけで一日4回も検問を通る子もいます。

 また、丘から街を見渡すと、民家の屋上に兵隊が監視しています。一軒だけではなくそれが無数にあります。重要なポイントにはイスラエル軍の基地もあります。街もいたるとことろが封鎖されています。そんな中に、ヘブロンの人々は毎日暮らしています。

 今、わたしは、こどもたちが安全に学校へ通えるよう検問所の横で、カメラを構えて兵隊の監視をしています。兵隊さんは、すぐに怒ります。だか ら、わたしは瞑想しながら、落ち着いて相手をします。兵隊さんは、とても若い。10代です。少し、気を許すといろいろ話てきます。兵隊さんも早く兵隊を終 えてどこかへ旅をしたいようです。
 
ひとりの兵隊さんは、軍が終わったら、日本やオーストラリアにゆきたいと語っていました。

 しかし、そんな彼らは命令のせいか、それとも人間の性質ゆえかアイヒマンの実験のように、任務を遂行します。だからパレスチナ人に対する態度はとても怖い。

それでも、中には、子どもと笑顔で握手をする兵隊さんもいる。この瞬間だけ、ほっとできます。

昨日は、検問所でナイフをもったパレスチナの若者が逮捕されました。わたしたちは、じっとカメラを撮影していました。そこに兵隊さんが、どうだ、 こいつはこんな武器をもっているんだぞ!とどなってきました。しかし、兵隊さんはもっとごついライフルをもっている。さらに、その横をイスラエルの若者が ライフルを携帯して横切っている。ここでは、イスラエル人の武器の所有が認められています。かわいいナイフで逮捕。いかついライフルは合法。

なんとも支離滅裂です。

それから、このあたりの道路には、黄色い線が引いてあります。黄色い線の道路はイスラエル人しか車を走らせることができません。また、普通の道路もパレスチナ人とイスラエル人と分けられています。

もともと、長いこと住んでいたパレスチナの地元の人が、後から入ってきたイスラエル軍に追い出させられ、生活空間を分けられ、壁を引かれ、カメラや兵隊に毎日監視されています。

モスリムの人たち(パレスチナの人々)が怒るのも当然だと思いました。

かといって、私自身にとっては、イスラエル人は敵ではありません。イスラエル人の中にはパレスチナ人や私たち世界中の活動家たちと共に活動する人 も多い。むしろパレスチナに集まった世界各国の活動家よりも活動しています。彼らは、自分の所属する(させられている)政府に真っ向から立ち向かっていま す。

イスラエル人の中にはパレスチナに対する占領の仕方に疑問を感じ、兵役を拒否する若者をいます。もしも兵役を拒否すると男子は刑務所へ送られます。女子は社会から冷たい目を浴びることになります。どちらも職がみつかりにくなります。

かつて、ドイツのナチスに大量殺戮を受けたユダヤ人、つまりはイスラエル人。それが今はここパレスチナで同じことをしている。人間というものは、こういうものなのか?

わたしにはわからない。

毎日、わたしは、こどもたちの安全に通学できるように見守る「緑のおばさん」ならぬ、「黒いおっさん」であります。なぜなら、わたしは全身真っ黒い服を着た、どこの政府も支持しないアナキストだからです。

PS 毎日、パレスチナの子たちと空手や柔道や相撲をしている。たいしてできないのに、かなりできるふりをしている。それから、パレスチナや世界 中の活動家のための家をつくっている。これがなかなか楽しい。今の活動の相棒は自称フランス・ラスタマン・フリーダムファイター。


●買うことと回収されることの意味 11月29日

 毎日、パレスチナのこどもたちに向けられたイスラエル兵の銃口の出元は、アメリカ政府からの無償の軍事援助であって、そのアメリカ政府を一番に援助してい るのは日本政府であって、日本政府の収入源は日本の人々の肉税であって、また同時に日本企業が世界各地で儲けてきた金であって、、、そんなわけで、こうし てめぐりにめぐって、わたしが働いて回収された金が、もしかすると、今、ここ、パレスチナのこどもたちに向けられたイスラエル兵の銃口の一部かもしれない わけで、なんとも嫌な話であると同時に、どうも黙って金を回収されるわけにもいかない。

といっても、今は納税してないから、できることといったら、イスラエル製品のボイコットしかない。商品バーコードが「7 29」だとイスラエル製 品。しかし、パレスチナ製品も同番号の場合もあるので、ヘブライ語(イスラエル)かアラビア語(パレスチナ)で判断するしかない。

パレスチナ人によるイスラエル製品ボイコット運動は盛んだ。なぜなら、買った分だけ、その金が自分たちの首をしめる資金になるからだ。

物を買うということの、もうひとつの意味。回収される肉税の行く先。これを今、まじまじと戦場で思い知らされる。

わたしは忘れていた、世界中、一度だって戦争は終わっていなかったし、いつどこへいっても、わたしも戦争に関わっていることに。


●イスラエル兵に拘束されて瞑想しよう 特典拘束映像付き  12月14日

http://www.youtube.com/watch?v=O-nnGrJQbxs

ヘブロンの街にはいたるところに、検問所がある。私も毎日、移動するのに何度も検問を通過しなくてはいけない。そのたびに金属類を身体から取り外して金属 探知機のゲートをくぐる。兵隊とわたしは、いい加減顔なじみのくせに毎回パスポートを見せ、荷物チェックをうける。ちょっと、ゴミを捨てにゆくだけでも、 チェックされる。そしてたまになぜか怒鳴られる。パレスチナのこどもたちの登下校をいつもカメラをもって見守っているせいか、彼らはわたしたちのことをよ く思っていない。

この間、わたしたちは農家の手伝いに行く用事があった。パレスチナの農園では昔からオリーブの収穫をやっている。しかし、元々オリーブ農園だった 土地のほとんどが、後から来た入植者のイスラエル軍や武装したイスラエル市民に根こそぎ奪われてしまった。今でも、残っている農園の中には常に武装したイ スラエル兵やイスラエル市民が農民を取り囲んでいるところが多い。わたしたちは、そのイスラエル兵が取り囲んでいるオリーブ農園に向かった。

わたしは時間に追われ急いでいた。だから、カバンの中をしっかりチェックするのを忘れていた。いつものように検問所で荷物検査をうけた。すると、兵隊が急に怒りだした。

兵隊「なんだ!これは!ナイフじゃないか!!!(英語)」

わたし「ああああ、やべええ、かばんから出すの忘れてた!(もちろん日本語)」

わたしは、旅でいつも愛用しているジュットクナイフ(小さいナイフとドライバーや栓抜き、缶きりなどがついたナイフ)をかばんから出すのを忘れていた。さらに、この間ナイフを携帯していたパレスチナの若者が逮捕されてたのをこの時思い出した。

わたしはすぐに、拘束された。手錠はされなかったものの、壁にむかって立たされた。それは、まるでユダヤ教徒がエルサレムの嘆きの壁へむかって拝 んでる姿にもだぶった。なおもかばんはチェックされ、今度はコンドームがとりだされた。コンドームとナイフ、最高に悪い組み合わせだ。さっそく兵隊は得意 げな顔をして、お前はテロリストだなぁとか、これとこれでお前は女をRAPEする気だなぁと説教しはじめた。さらにナイフをわざと見せびらかし、パレスチ ナの人々にこいつは武器をもっているんだ、というアピールをしはじめた。国際非暴力団体がナイフ所持とコンドームときたら、これはバツが悪い。

何度となくわたしは兵隊に対して、そんな小さなナイフじゃ人は殺せやしない、それは野菜を切るためのものだ、俺のナイフよりお前のライフルの方が よっぽど危険じゃないか、といってみた。が、それは怒りを増幅させるだけで、兵隊はもっと怒りだした。そしてついに、壁にむかって座らされた。兵隊は長期 の放置プレイに持ち込もうとしていた。兵隊がわたしたちを拘束できるのは3時間と聞いている。その後、警察に移管され24時間の拘束。しかし24時間の拘 束は非常に不安を感じた。なぜなら今日は農園の後、デートの約束があったからだ。なによりも兵隊に奪われたコンドームを今晩大いに膨らまして世界一周しよ うと思っていた。

 しかし、拘束されたら逃げるわけにもいかない。ひそかな不安に襲われながら、じっとすることにした。それに、仲間のフランス・ラスタファイが少し離れたところからカメラをまわしてくれていた
わたしは、少し冷静を取り戻しあることに気がついた。そうだ、ここで、わたしは毎日の日課にもしている座禅を組もう。

わたしは兵隊の見張る中、座禅を組んだ。

座禅するわたしの横を、パレスチナの人々は興味津々な顔でこちらをみていた。だからわたしも必要以上に神秘的ぶって、ヨガのポーズなどもとりいれてみた。するとみんなもっとよろこんでいた。これはなかなかいいパフォーマンスなことに気がついた。

兵隊も、ヨガに興味を持ち出した。そして一時間ぐらいたった頃に、兵隊はわたしに今回だけは見逃してやるみたいなことを言い出した。開放に喜びを 感じたわたしは兵隊に投げキッスをした。すると、ヘブライ語でかつてないほど怒りだした。こちらも向こうの言葉をなぞって言い返してみたら彼はもっと怒っ た。これで今日は終わったなぁと思った。デートも世界一周もお預けだなと思った。

それ以降、一言も口を利くなのと命じられ仕方なく、瞑想にふけることにした。

いろいろ考えてみた。

なぜ、わたしはここにいるのだろうか???

なぜか、、、わたしは、パレスチナで決起ではなく勃起がしたいのかもしれない。武装した兵隊に囲まれて、生きてる実感が欲しいだけなのかもしれな い。戦場カメラマンが、戦場の真実を伝えたいという表すじの裏側は、カメラマン自身の裏すじを舐められたいという欲求かもしれない。

危険や死の匂い、権力、欲望の中から生の匂いを嗅ぎだしたいのかもしれない、そして、自分の股間をまさぐり射精したいのかもしれない

わたしはこの快楽を素直に受け入れようと思う。

パレスチナやさまざまな土地で活動する団体の多くは、人権や理念を守らなくてはいけないという。そうだ、まったくその通りだ。かといって、人権を 守ろうという人間たちの考えが全て正しいわけではない。土地には土地のやり方がある。たとえば、人権団体からみたらその土地のやり方が人権違反にうつる場 合がある。たとえ土地のやり方がうまくいっているにも関わらず、人権団体にとっては人権違反にうつり土地のやり方をやめさせ、人権団体のやり方に切り替え たとする。この瞬間に人権団体が新たな侵略者になる。

わたしは人のためによいことをしているんだ。パレスチナの人たちのために闘っているんだ。わたしは自分のためではなく、人のために行動していると思い込んだ瞬間、わたしの陰から新たな侵略者が顔を覗かせているような気がして仕方がない。
 親鸞はいった、良いことをしてると思ってるときは、悪いことをしてると思えと。親鸞の言葉は、自分は良いと思い込んだ行為(好意)が実は相手は望んでないことかもしれない、押し付けることは、新たな権力を生む行為になるかもしれない。そういっているような気がする。

だから、わたしはあくまでも、わたしの行為は示威好意ではなく、自慰行為だと自覚しようと思った。そう思えば、わたしはもっと自由になれるかもしれない。オナニーで空を飛べるかもしれない。

それに人権第一の国が一概にいいとはいえない。福祉国家ほど、自殺率が高いのはなぜのなか?人権がほとんどないパレスチナの石を投げる若者にも つ、煮えたぎる生は一体なんなのか?けれど、そんな彼らにはなれないわたしがここにいる。そして、福祉国家に住みたくないわたしもここにいる。

そうこう瞑想していたら、イスラエル人活動家が来て、わたしをイスラエル兵士から解放してくれた。そして、わたしは農園で手伝いをしたあと、大好きな彼女のもとへむかった。革命に恋がなければナンセンス!って、わたしの敬愛する人がいっていた。


●パレスチナの隔離壁観光地化計画 12月30日

 パレスチナの隔離壁観光地化計画に対するレスポンスをかえしてくれた小田マサノリ氏ことイルコモンズ氏のブログ。ぜひ、おもしろいので必見!!
http://illcomm.exblog.jp/6829832/

それから、この間のベツレヘムの近くの村で起きたクリスマスデモの逮捕瞬間映像。デモには増え続けるユダヤ人入植地に反対する人たちが集まった。このパレスチナの村はもうじき入植地として奪われてしまうかもしれない。

デモは非暴力行動で行われた。しかし、いつものように兵隊は暴力によってデモ隊を鎮圧してきた。それに対して、パレスチナ・サンタクロースはひたすら飴玉を兵隊に配り続けた。

わたしは、イスラエル兵が非暴力でデモしていたパレスチナ人を逮捕する瞬間をずっと真横で撮影していた。さらに、逮捕の止めに入ってみた。すると すごく威嚇され、わたしを逮捕してこようとしてきた。だから、わたしは地面に寝た。すると逮捕に手こずり、隙を見て逃げれた。逮捕されそうになったら寝る のはとてもよい戦術だ。これも団体に参加する前に習った。

おととい、わたしのいるヘブロンで、ユダヤ人入植者が2人殺された。ヘブロンの重要チェックポイントは封鎖され、身動きがとれなくなった。さらに 小さいナイフを持った少年が8時間も路上で手錠をかけられ拘束されていた。また、街のいたるところに銃口に手をかけた兵隊がパレスチナ市民を監視してい る。なにか不振(兵隊から見て)だったり反抗的だと、すぐに捕まり、銃口を向けられ拘束される。今、街は静かな緊張感が流れている。ユダヤ人の殺しの報復 は何十倍にもかえってくる。だから、ヘブロン市民全体が激しい監視や抑圧をうけている。昨日は、民家に兵隊が押し入り荒らしてかえったようだ。その家に いってみた。

最初は、兵隊の荒らされた話をしていたのだが、話が途中からこどもの病院代の話になった。そして、どうやら金をくれと連れのスウエーデン活動家に 頼んでいる。彼らは困っていた。するとわたしのおなかが急に痛くなり、彼らもそれをさっし、じゃあ、帰ろうと、なんとか金の無心の話から逃げて外へ出れ た。するとお腹の痛みも消えた。

明日は、大晦日。わが友たちの健康と来年の活躍を願って!!
南無森羅万象

パレスチナ人の逮捕瞬間
http://www.youtube.com/watch?v=GLCiLUp5-dg


●イスラエルのスクウォッティングハウス 1月9日

 スクウォッティングハウス。空き家を占拠し、自分たちの空間にかきかえる。都市部には使われていない空き家がたくさん存在する。と、同時に金のない若者た ちも無数に存在する。この同時に存在するふたつをつなげる作業、これをスクウォッティングムーブメントという。たぶん。おそらく。そうあってほしい。
 つまり、金のない若者たちが空き家を好きなようにかきかえてしまう

  この運動は、ヨーロッパ各地に多い。しかし、ここ数年どこも政府に潰される傾向にたっているようだ。ここイスラエルのテルアビブにも、スク ウォッティングハウスが存在した。しかし2ヶ月前に行政によって潰されてしまった。わたしは潰されたのを知らずに、ポーランド・スクウォッターの彼女と遊 びにいった。中は荒らされていた。でも、ほこりくさい自由の匂いだけがただよっていた。彼らはいったいどこへいったのだろうか。

 表へでると、近隣住民が私たちに近づいてきた。ヘブライ語でなにかいってきた。しかし、とてもうれしそうな顔をしている。こちらがヘブライ語が わからないと察した近隣住民は、英語で、お前達帰ってきたのか!とうれしそうに語って来た。どうやら、わたしたちをイスラエルのスクウォッターだと思った ようだ。話をしてみると、近隣住民とスクウォッターの関係はすごく良好で交流もあったようだ。近隣住民は、スクウォッターがいなくなったのをさびしいと 語っていた。また、彼らに暴力をふるった警官を批判していた。

 ポーランドのスクウォッターは、空き家を大家と交渉して手にいれている。そして、文化交流センターという名前をつけて、地元の子どもたちのための保育所にしたり、ライブハウス、展示場などとして地元の人たちの交流場にしている。さらに、そこは若者たちの居住地でもある。
 
 わたしたちは、海へいって酒をのんだ。
 
 あえて、もう一度。 一体彼らはどこへいったのだろうか?

 サパティスタはいった。 WE ARE EVERYWHERE !!
 
 われわれはどこにでもいる。


●イスラエルのアナキスト・インフォショップ 1月9日

 アナキスト・インフォショップ。アングラ、アナキズム、アクティビスト、オルタナティブ、DIY、自主出版などの本やミニコミなどが置いてある店、またただ買い物をするだけでなく、交流のスペースでもあり、自由に本を読んだり、イベントがやれる空間。

そんなインフォショップがイスラエルのテルアビブにある。イスラエル政府はパレスチナ人に対して隔離政策や占領政策を日常生活から攻めかけてい る。もちろん、これに反対するイスラエル人も少数だが存在する。そんな彼らの活動の拠点にもなるのが、このインフォショップでもある。

これは、世界中のいたるところにある。もちろん、日本にだってしっかりとぶっとい草の根を生やして存在する。

なんべんもここに書くけど、なんべん書いたって書き足りるわけねーだろうが!!と、今日は少し攻撃的にせめさせていただいて。ぜひ、皆さん、日本のアナキスト・インフォショップにも足を運んでください!!

http://mixi.jp/view_community.pl?id=80422

《IRREGULAR RHYTHM ASYLUM HP》
http://a.sanpal.co.jp/irregular

《IRREGULAR RHYTHM ASYLUM BLOG》
http://irregularrhythmasylum.blogspot.com/

 数日前、パレスチナのナブロスという街でイスラエル兵によるパレスチナ人射殺があった。またアズンという小さな村でも、こどもが発砲された。どちらも、日常的に催涙弾やサウンドボムが使われているという。
 この状況を変えるための第一歩、それがこのインフォショップでもある。

 わたしは、いま、普段の活動に加えてヘブロンガイドも兼業している。英語がろくにできないかわりに、日本語だけはぺラペラに話せる。ということ で、日本人を主に無料ガイドをやっている。たいしてできないのに英語でもやる。一銭にもならんが、一戦にはなっていると思いたい。

それから、今日、ブッシュがパレスチナへやってくる。イスラエル政府を無償で支援する国のトップがどの顔さげて、パレスチナへ来れるっていうのか、、、。


●ブッシュ大統領からの贈り物 1月14日

 先週の木曜と金曜日、パレスチナにブッシュ大統領がやってきた。今日はブッシュがパレスチナにきたことによって、ミクロレベル(わたしのいる地区・ヘブロンの一地域)でなにが起きているのかを書きたい。

 ひとつは、ヘブロンのイスラエル人入植地(ヘブロンはパレスチナ地区、ここに点々とイスラエル入植地とパレスチナが入り混じっている、沖縄の米 軍基地と沖縄本島を想像するとわかりやすいかもしれない)の若者や子どもたちが、入植地を越えてパレスチナ人のオリーブ畑に、ブッシュ歓迎の意味をこめて ユダヤ教のマークを石や岩を並べて座り込んでいる(今日一月十三日ブッシュが帰国した現在も続行中)。さらにパレスチナ人地区の道路も封鎖している。ここ をパレスチナ人の子どもや女性が通るとイスラエル人の10代前半の若者の集団やこどもたちが殴りかかったり、石を投げる。
 
 また入植地の真横にすむパレスチナ人の家にも連日連夜、イスラエル入植地からの投石や追い込みがつづく。投石によって頭を打ってひどい怪我をした人もでている。夜も不安で眠れないパレスチナ住民も多い。大の大人の男が不安で泣いていた。

 わたしたちの団体は彼らの間に入りパレスチナ人女性やこどものガードにまわる。だから、当然イスラエルの若者たちはわたしたちにも攻撃をしてくる。石が飛び、罵声がとぶ。わたしはなんとか彼らと話がしたかった。

 わたしはよくヘブロンに住むユダヤ教の牧師(イスラエル人)に、なぜお前は反ユダヤ(反イスラエル)人活動をするのかと?ヘブロンの街をツアー してるといわれる。わたしは丁寧に、わたしは反ユダヤではないことを伝える。ただ、わたしは反戦で反軍隊で反武器なだけだと。イスラエル兵の銃口からパレ スチナのこどもたちを守りたいだけだと。日本政府がイスラエルやアメリカを支援する限り、わたしはここでこどもたちを守る義務があるんだと。しかし、すぐ に彼は、パレスチナのテロリストと戦わないといけない。ここはイスラエルなんだといって水掛け論になってしまう。

 パレスチナ人女性やこどもたちを襲うイスラエルの10代前半の若者やこどもたちと話をしてみると見事に同じ回答がかえってくる。なにをいって も、アラブ(パレスチナ)が悪い、アラブはテロリストだ、汚い、臭い、出て行け。こどもによっては、何千年も前の歴史から話を出してくる。どこか地に足の ついていない言葉で。くりかえし、くりかえし。

 わたしは、政治の話を捨てて、彼らの興味のありそうなことに切り替えて話す。みんな本当に幼い。中学生とか小学生ぐらいだ。日本製の車にすごく 興味があったり、格闘技をやりたがったり。だから、できもしないのにボクシングを教えたりした。すると彼らはすごく喜ぶ。彼らもパレスチナの子どもとなん ら変わりはない。けど、話してる横をパレスチナの子どもや女性が道を横切ろうとするとすかさず石を投げたり、殴りかかる。
 だから、わたしたちは、パレスチナ人を守る。するとさっきまで少し仲良くなって話していた彼らが、いろんな物を投げてくる。なんだか、すごく悲しくなる。
 
 わたしは、彼らに言いたい。パレスチナ人の無害な女性やこどもを追い詰めるよりも、もっとでかいものとやりあうおもしろさを。punkは素晴ら しいだぜって。アナーキーって最高に気持ちがいいんだぜって。薄暗いフェンスに囲まれた入植地を増やすより、好きな空き家でも占拠しろよって。テルアビブ の若者はそんな好きなことやってんだぞって。
 でも、聞く耳はない。それでもいい。けど、お前らのやってることは最高にかっこわるいってのだけはいいたい。

 今日も、彼らと話した。俺らはお前の敵じゃないよって、もしも、日本に来たら、家にきなよ、お前のために寿司でもつくってやるからって、いった。そしたら、いつもしかめっつらした子が、本当にうれしそうな顔をしていた。なんだか、少しほっとした。
 それでもやっぱり、パレスチナの子が来ると顔が変わる。そして罵声や石を浴びせる。パレスチナの子は泣きそうな顔になる

 いったい、イスラエルの子どもたちにこの国の大人たちはなにを吹き込んだっていうんだ。

 そのほかにもブッシュがきたことによって、監視カメラがパレスチナ人の家のの屋上に違法で取り付けられたり、街の重要ポイントに新たに設置されたりした。 

 ヘブロン以外でも、主要の道路や検問所が封鎖されたり、検問が異様に厳しくなったり、パレスチナ人の生活にただのダメージしか与えていない。

 ブッシュが滞在した2日間、ヘブロンの街の夜空には発砲音だけが鳴り響いていた。これらが、ブッシュからの贈り物だ。

 明日もイスラエルの子どもたちと話しをしにゆく。

写真:
上・イスラエル人の若者に投石されて出血するパレスチナ人
中・パレスチナの子どもとドラマ制作をしたときの写真、監督、役者など決めてチャンバラ映像を撮る。
下・イスラエル入植地前に住む農民のこどもたち 


●パレスチナ隔離壁観光地化計画に参加しませんかね?ハーポー部長より
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1 Response to 'パレスチナより憎愛とアナーキーと連帯をこめて'

  • 匿名 said...
    https://irregularrhythmasylum.blogspot.com/2008/01/blog-post_15.html?showComment=1200495840000#c9024177951474223129'> 12:04 午前

    すばらしい投稿です!!

    まだ長文を読み終わっていないけど、志賀さんがんばってください。

    Hex

     

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