イレギュラー・リズム・アサイラム
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IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
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コタキナバルへ ~ビーズの魔法使い、記憶の町、海の生活~

文・Risa

ボルネオビーズの魔法使い

夜更けのライムジュースも朝ご飯の板麺もおいしかったKLを発ち、いよいよサバ州のコタキナバルへ。AirAsiaの国内線でおよそ2時間半の旅。航空券は片道約3000円。コタキナバルでは、前回紹介した版画「ビーズは死なず」のモデルになったエレノア・ゴローというビーズ・アーティストに会う。「マジック・ボルネオ・ビーズ」というボルネオ島の先住民族の古くからのビーズ文化を伝える活動を手がけているエレノアは、写真家やパフォーマンス・アーティストらと共同で借りているスタジオに案内してくれた。カラフルなビーズの魔法使いのような人。パンクロック・スゥラップなど地元のアーティストにたくさん声をかけ、社会的メッセージを表現することをだいじにしたアート・フェスティバルを次々と開いている。パンクロック・スゥラップとのコラボでは、さかのぼると2012年末にトゥアラン(Tuaran)というコタキナバルの隣り町で開かれたコミュニティ・イベントがある。これは宗教的にも民族的にも多様なトゥアランの人びとが共に生きてきたことを、町歩きなどを通じて再発見しようというもので、伝統的ビーズのワークショップとTシャツのプリント・ワークショップを一緒に行っている。路上でのワークショップはピクニックみたいで楽しそう(三つ編みの人がエレノア)。右奥にパンクロック・スゥラップの幕絵も見える。(かれらの幕絵のことは別の回でじっくり紹介するのでお楽しみに。)

エレノアの語るビーズの世界については「ビーズがつなぐ先住民族文化とコミュニティ」でも紹介。(IRAで取扱中)

自作ビーズをつけ版画のボーズを再現


記憶の町

コタキナバルでバックパッカー向け安宿が集まる地区は「オーストラリア・プレイス」という地名だ。なぜオーストラリアなのか、観光パンフレットが説明している。19世紀末から1963年までイギリス領北ボルネオであった現在のサバ州を、第二次世界大戦中に日本軍が占領していた。北ボルネオの日本軍と戦ったオーストラリア軍の駐屯地が置かれていたのがこの地区だったことに由来するという。この一角の「ボルネオ・バックパッカーズ」の1階にあるカフェ「ボルネオ1945 ミュージアム・コピティアム」に入ってみた。「コピティアム」はマレーシア華人の伝統的なカフェ兼食堂の総称で、その独特の情緒を好む人も多く、KLなどでは都市再開発で消えつつある昔ながらのコピティアムの保存運動が起きていたりする。レトロな雰囲気と地元のボルネオ・コーヒーでゆったり一服。店内の壁には「忘れないように、あなたたちの犠牲を」という文字とともに第二次世界大戦中のオーストラリア兵士たちや戦前のボルネオの写真、古い自転車が飾られ、手作りの歴史博物館になっている。別テーブルの恰幅のよいおじさんから「日本から来たのか? 自分はビジネスで日本に行ったことがある。地震と津波は大丈夫だったのか?」と気さくに話しかけられる。会計のついでにレジにいる二人の若い店員に市内観光のおすすめを聞いてみたら、海辺やレストランのほかに、地図に載っている数カ所のショッピングセンターを「ここがいい、ここはダメ」と20歳くらいの女の子目線で親身にアドバイスをくれて楽しい気分になる。

「忘れないように」(Lest We Forget)と書かれた店内。
この柄のコーヒーカップがコピティアムの定番。
コタキナバルの中心街ガヤストリートを散策していると、食料雑貨店や書店の店頭に昔の店舗や商店街の写真が飾ってあり、ミシン修理店の店頭には年代物のミシンが展示されているのが目にとまった。「ミュージアム・コピティアム」でもカフェが歴史を記憶する空間になっていたように、コタキナバルの人たちが、自分たちの土地や生活に関わりのある歴史を記憶する町づくりをさりげなく実践しているのが印象深い。もうひとつ、日本が直接関係する記憶の場所として、コタキナバル空港そばの「プタガス記念公園」(Petagas Memorial Garden)がある。第二次世界大戦中、現地の華人を中心に組織された「抗日キナバル遊撃隊」の176人が日本軍によって虐殺されたまさにその場所に追悼碑が建てられている。手入れされた園内には、ガジュマルの大木が静かな木陰をつくっていた。靖国神社を参拝して国内外に不安と不信を拡散している首相はこんな場所を知っているだろうか。

プタガス記念公園
ミシン修理店


海辺のナイトマーケット

コタキナバルの海岸は表情豊かな空間。海沿いの遊歩道を歩くと、カップル、釣り人、たむろしている若者や中年、日帰りダイビング・スノーケリングからフェリーで戻った観光客、海上警察の黒い船、複合リゾートビル建設現場の巨大クレーンと移民労働者、対岸の島の水上集落と行き来する簡素な造りのモーターボートを操る人たちなど、いろいろな海の生活が想像される。

魚のほかにアボカド・シェイクもおすすめ
海沿いで毎晩開かれるナイトマーケットはアジア的情緒にあふれる。屋台が競い合うように魚を焼いて客を呼び込んでいる。沖縄の海ぶどうと同じ海藻を発見。なまこがたくさん並んでいる。同じ東南アジアでも観光都市シンガポールのきらめくウォーターフロントとは別世界で、コタキナバルの夜の海岸には小型漁船が連なって停泊し、薄闇に浮かぶ船のデッキからの話し声やギターを爪弾く音、船と船を伝って移動している人など、海人たちの生活感が漂う。漁師の多くはインドネシアからの移住労働者で、夜市は「フィリピン・マーケット」と呼ばれるほどフィリピン人の店が多い。


いよいよラナウへ!

コタキナバルのバスターミナルからラナウ行きのハイエースの乗り合いバスに乗車。出発まで一時間も待たされ暑さに閉口する。バックパック積み込みの追加料金5リンギ(約150円)を請求され、半島部ではバスで追加料金なんて言われたことはないがサバではそういうしくみなのかと払う。あとから聞くとそれは外国人ゆえの待遇らしい。隣の席の大柄なイラクの留学生から「日本人なら分かるだろう」とタブレットの操作を助けてくれと無茶振り。ラナウの稲作調査に通っているそうだ。ファルージャから広島の原爆後遺症のことまで予期せぬ旅の会話。海の町コタキナバルから東の内陸部ラナウまで約100キロの道のりは、途中から北に標高4092メートルのキナバル山を見ながらの山道で、キナバル山のふもとに位置するラナウは海抜1176メートルの高原の町だ。

ラナウからキナバル山を眺める


次回予告

せっかくだからとコタキナバル観光案内が長くなってしまいました。次回はラナウに到着してから、パンクロック・スゥラップのメンバーのお店やスタジオ兼自宅を訪ねてのあれこれをお伝えします。木版画やTシャツをプリントしたり、こんなパンクロック・スゥラップのパッチもつくりました。

パンクロック・スゥラップのパッチ
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