地図拡大

イレギュラー・リズム・アサイラム
160-0022 東京都新宿区新宿1-30-12-302
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
新しいホームページ: http://ira.tokyo
営業時間 13:00〜20:00(月・水定休)

IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
1-30-12-302 Shinjuku, Shinjuku-ku Tokyo 160-0022
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
website: http://ira.tokyo
Opening Hours 13:00〜20:00 (Closed on Mondays and Wednesdays)


先週22日にやった「Lumaban at Mabuhay (フィリピン・ソリ・ナイト)」はたいへんいい感じの集まりとなりました。報告はそのうち。

で、その次の日の23日、「ソリ・ナイト」の中でも取り上げられた「日比経済連繋協定 (JPEPA)」という、9月に小泉前首相とアロヨ大統領との間で交わされた協定について、フィリピン・ダヴァオの友人たちが、ダヴァオの日本領事館に対して抗議行動をしました。その時の写真を送ってもらったので、ここに載せます。

JPEPAでは、日本からフィリピンに輸出される物品の関税撤廃リストに、焼却灰、残渣、医療廃棄物、都市廃棄物、下水汚泥、化学品廃棄物、中古衣類、中古品、などが含まれているということで、「フィリピンを日本のゴミ箱にする気か!」とフィリピンの人たちはとても怒っているのです。

リンク:
フィリピンは日本の有害ごみ溜め?」Jong Pairez (indymedia)




SUBSCRIBE
今週土曜日(12月1日)は以下のイベントに参加のためIRAはお休みです。会場でブース出してるんでそこか、あるいは路上で会いましょう。







反戦と抵抗の祭<フェスタ>2007
——生きのびる

http://blog.livedoor.jp/r_festa/

-------------------------------------------------------
12月1日(土)(開場 12:30)13:00-21:00 千駄ヶ谷区民会館
JR原宿駅から徒歩10分 神宮前 1-1-10(資料カンパ500円)
-------------------------------------------------------

04年から続けられている反戦と抵抗の祭。今年は農業から原発、労働問題などたくさんのテーマが登場します。話しを聞きたい方、話したい方、話とかいいから楽しみたい方も(?)、歓迎ですのでどしどしいらしてください。

第1部 ========================================
(1) 反グローバリズム 13:00~13:45
反G8
[報告] 成田圭祐(Irregular Rhythm Asylum、NO! G8 Action)×木下茅(NO! G8 Action)
農と食
[報告] 相川陽一(社会学・農業見習い)と若手農業者×抵抗食の会(仮)
[司会] ペペ長谷川(不安定雇用層)

(2) 死刑 14:00~14:30
死刑廃止─わたしの立場
[話し手] 永井迅(統一獄中者組合)

(3) 原発 14:40~14:55
[報告] アツミマサズミ(平和の白いリボン行動東京グループ)

(4) 反戦 15:05~15:50
[報告] 外間三枝子(沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック)×大西一平(立川自衛隊監視テント村)
[司会]茂木遊(戦争に反対する中野共同行動)

第2部 ========================================
デモ 16:15~17:40
能書きタラタラこくのにうんざりしてるんだったらオモテに出ればいいじゃない。
【進路】 千駄ヶ谷区民会館前→明治通り→青山通り→表参道→原宿駅前→千駄ヶ谷区民会館前 (MAP)
【バンド】 aiena, 赤い疑惑, 宇宙ファイターズ (from 宇宙連絡帳+穴水ファイターズ), THE HAPPENING, VOĈO PROTESTA
【DJ】 meenie (from エスコーラ・ヂ・サラヴァ・オベヤ), ラマダン (from エスコーラ・ヂ・サラヴァ・オベヤ), MIXNOISE (from FZRK), A&M (from 325collective, Marginal Profit), ∞+∞=∞ (from RLL)

第1部 (5) ========================================
労働 18:00~18:45
[報告] 日雇い派遣現場で働く仲間+関根秀一郎(派遣ユニオン)
[司会] 梶屋大輔(グッドウィルユニオン委員長)

第3部 ========================================
プレカリ討論 19:00~20:30
「戦争は貧者を求める。貧者は戦争を求めるか」
[提起] 赤木智弘(フリーター、双風舎『若者を見殺しにする国』)×海妻径子(岩手大教員、作品社『近代日本の父性論とジェンダー・ポリティクス』)×植本展弘(賃金労働者、『アナキズム』誌編集委員)
[司会] 雨宮処凛(作家)、山口素明(フリーター全般労働組合)

主催:反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉2007実行委員会
連絡: 東京都新宿区新宿1-30-12-302 新宿事務所気付
TEL: 070-5587-3802 E-mail: war_resisters_fes(at)yahoo.co.jp
http://a.sanpal.co.jp/r-festa/ http://blog.livedoor.jp/r_festa/

【お知らせ】当日は各種取材が入ります。顔を撮影されたくない方は適宜ご対応ください。

SUBSCRIBE


アナキズム文献センター」のカレンダー、2008年度版できました。ぜひ買って下さい。今年はポストカードサイズの卓上カレンダー。500円。ご注文はこちらから。


協力=白仁成昭、近藤千波、戸田三三冬、IRREGUAR RHYTHM ASYLUM/デザイン=成田圭祐/編・発=アナキズム文献センター

※ハガキ大カード(×12カ月)です。/1 Januaro 山鹿泰治のアルバムから/2 Februaro コペンハーゲンの自主管理スペース「Ungdomshuset」/3 Marto 大杉栄/4 Aprilo フィリピンの「Food Not Bombs」/5 Majo 岩佐作太郎旧蔵写真より 花巻メーデー/6 Junio 山鹿泰治のアルバムからスペインのアナキスト/7 Julio ドイツ、ロストックにて/8 Augusto デヴィット・ロヴィックス/9 Septembro 大杉栄遺児・伊藤ルイ姉妹/10 Oktobro シドニーのアナキスト・ブックストア/11 Novembro 伊藤ルイ/12 Decenbro ロストック反G8行動/




SUBSCRIBE


Lumaban at Mabuhay
-Philippine Soli-Night

「ともに抵抗して生存する」
フィリピン・ソリ(連帯)・ナイト!

11/22(木)19時~22時
@poetry in the kitchen
(飯田橋駅東口から徒歩約15分)
東京都文京区水道1-2-6 タトルビル2F
TEL:03-3812-6434
FAX:03-5684-0139
Email: poetryinthekitchen(at)y5.dion.ne.jp


☆10月にフィリピンを訪れたIRA・成田氏によるフィリピン訪問のフォト・レポート。フィリピンの路地裏でストリートチルドレンと食べ物を用意するパンクス、FOOD NOT BOMBSコレクティヴの感動的な闘いや、ダヴァオの日本・欧米輸出用のバナナ農園訪問のこと、各地域のアナキストの活動について紹介。

☆在日フィリピン人の仲間による日本での日々の闘いについてのトーク。
(日本の職場における人種差別の現状や、フィリピーナ問題についてなど、トピックは未定。主に交流。)

抵抗食の会(仮)によるフィリピン「風」なフードの提供あり。フィリピンのpoor people's野菜を中心とした料理を食べて、国際連帯!

★フィリピンで抵抗して生存する仲間に送るカンパ歓迎!(←フィリピン・ソリ (連帯)・グッズもいろいろ販売/配布する予定)

SUBSCRIBE
香田くん

ヨルダンのアンマンにはかつて、イラクで殺された香田証生くんが泊まっていた宿がある。今から3年前この宿から、ひとりのバックパッカーが自力でイラクへ旅立った。
湾岸戦争時から現在に至るまでイラクはアメリカ軍に侵攻されている。この侵攻によって、アメリカ軍は数え切れない程のイラクの人々を殺してきた。また、日本政府はアメリカ軍の支援のために自衛隊をイラクへ派兵している。当然、これらの侵略軍に抵抗するゲリラ(アメリカはゲリラをテロリストと呼ぶ)がイラク国内にはたくさんいる。    
そんな中、三年前、香田くんはアメリカ軍の侵攻に抗していたゲリラに捕ってしまった。ゲリラは彼の解放の条件として自衛隊のイラク撤退を日本政府に要求した。

日本全土に香田くん人質のNEWSが流れた。しかし、日本政府はゲリラの要求を受けいれなかった。そして、彼は殺された。殺される以前はマスコミや世論は彼に同情的だった。しかし、殺された途端、政府をはじめマスコミや世論は手のひらを返し、勝手にイラクにいった彼が悪いと叩きだした。仕舞いには「自己責任」という言葉で彼の存在すべてを抹殺しようとした。

あの日からわたしは、どうしても彼の死が忘れられない。もちろん忘れていることもある、けどつねに胸のどこかにひっかかっている。
それはなぜか。彼がわたしと同じ年だからか?それとも同じ旅人であるからか?アメリカ軍をはじめあらゆる戦争に反対していたからか?彼に対する日本政府の対応にか?死んでしまった彼になおも侮蔑をはき続けたマスコミや世論にか?

おそらくすべてにひっかかっている。大半のマスコミは彼が「なぜ」イラクへ行ったのかなんて語らなかった。香田くんは一体、イラクでなにをしたかったのか?
KODAホテル(香田くんが泊まっていた宿の従業員、サメール氏が香田くんに追悼の意を込めつけた名)に置いてあるノートにその「なぜ」の答えが記されていた。

香田くんは戦争によって傷ついたイラクの子どもたちを助けたいと思った、テレビでは流されない現実を自分の目で見ようと思った。そして行動した。
ノートにはイラクへ行く前に香田くんがサメール氏に渡した写真が貼ってある。この写真にはアメリカ軍の爆撃によって傷ついたイラクの子どもたちが写っている(この写真は後日香田くんの家族がコピーしてサメール氏に送ったもの)。
わたしはアンマンの宿「KODA ホテル」に来るまでは、香田くんがイラクへなんのために行こうとしたか知らなかった。だから、わたしのようにそれらを知らない人のために、ここにそれを紹介したい(香田くんがなぜイラクへ行こうとしたかなど、一部の本や雑誌で言及されている)。


 どうしたって、私には香田くんの死が忘れられない。私は、KODAホテルに飾られた香田くんの遺影に炊き立ての飯とウォッカを供えた。そしてお経をあげて供養した。この遺影は香田くんの家族がサメール氏に渡したものだ。
しかし偽坊主だろうが高僧だろうがいくら供養したからってなにか変わるわけではない。変わるのは私の気持ちだけだ。私は、彼の遺志を勝手に引き継ぐだけだ。彼がしたかったイラクの子どもたちを助けたいという気持ちを。そして、彼が残していったイラクの爆撃で傷ついた子どもたちの写真、このような状況をこれ以上作らないための行動をすること。そして、彼の分も生きること。そう勝手に思う。

 このアンマンの宿には、なんだか旅中の香田くんがいるような気がしてしかたない。そして彼は彼と同じように世界を旅する私たちの背中のリュックを後押ししてくれるような気がする。錯覚かもしれないが、そう思う。






(このビラは、KODAホテルのサメールさんが話したものを旅人がまとめたものです。うまく読めるといいのですが。)


追記1 ヨルダンやシリアには多くのイラクの住む場所を奪われた難民が逃げてきている。私の話したイラク人の医師はアメリカ軍が多くの人々を殺してきたことについて話してくれた。悲しみか怒りのせいか言葉がつまり話が途中で中断してしまった。
そして、その晩、私と数人の日本人とイラク人とアメリカ人とオーストラリア人とドイツ人で、パレスチナ人がアメリカでタクシードライバーとして働くという映画「THE ZIGIZIGI LAND」を観にいった。映画自体はパレスチナ人のタクシードライバーが乗客とのやり取りを通して、アメリカ社会全体の病理をシニカルに鋭く切り開き、イスラエル政府によるパレスチナ人へのアパルトヘイト(隔離政策)を痛烈に批判している。
ひとつの映画を通してパレスチナ問題をイラク人、アメリカ人、日本人、オーストラリア人、ドイツ人、○○人という括り、国家や民族、立場を越えて、一個人として語り考えることは意義あることに思った。これは、映画や芸術が持つ力にも思う。
それに、厄介な立場を除いてしまえば、個人としてはみんな戦争に反対している。ここから、パレスチナ人隔離政策、イスラエルの侵略、米軍のイラク侵略、それを支援する日本政府をはじめ各国の政府のやり方を変えてゆく第一歩になると思う。あとは、日々の生活の中に実践として取り入れてゆければ、ゆっくりとでも、草の根はぶっとく地に根をはると思う。

追記2 レバノンのパレスチナ難民地区へいってきた。銃痕が残る下町を粋のいい子どもたちが走り回っていた。町はさまざまな店でにぎわい活気に溢れていた。町中にパレスチナの旗が揚げられ、そこいらじゅうにパレスチナ解放のポスターが貼ってあった。まだまだ、パレスチナへの帰還への道は終わっていない。世間が勝手に忘れても、彼らはアスファルトを突き抜ける雑草のように生きている。






そこでわたしは一軒のパレスチナ解放グッツ屋にいってきた。さっそくTシャツやパレスチナストールなど数点購入しました。そのうち、IRAに届くと思うので興味のある方是非購入ください!!(届きました! -IRA


THURSDAY, NOVEMBER 15, 2007
"Koda-kun" by Naoki Shiga
translated by Shiori Yamazaki

There is an inn in Amman in Jordan, where Shosei Koda, who was killed in Iraq, had once stayed. One backpacker set out for Iraq by himself from this inn three years ago.

Iraq has been in a state of invasion by the US Army from the Gulf War up until the present. The US Army has killed countless Iraqis during this invasion. The Japanese government also has dispatched the SDF (Self Defense Force) troops to support the US Army. There are many guerrillas, of course, in Iraq (the US calls guerrillas terrorists), who resist these invading armies.

Under these circumstances, Koda-kun was captured three years ago by the guerillas who were resisting the US army’s invasion. The guerrillas demanded that the Japanese government withdraw the SDF troops from Iraq, as a condition of Koda-kun’s release.

The news about Koda-kun being taken as a hostage spread all over Japan. However, the Japanese government didn’t accept the guerrilla’s demand. And he was killed. Mass communication and public opinion expressed sympathy toward him before he was killed. As soon as he was killed, however, mass communication and public opinion, from the government on down, all of the sudden, started to criticize Koda, depicting him as the bad guy, who had selfishly gone to Iraq. In the end, they tried to deny his entire existence by using the word “jikosekinin [self-responsibility].”

Since that day, I’ve never been able to forget about his death. There are, of course, occasions when I forget, but it’s stuck somewhere in my heart all the time.

Why is that? Is it because I am the same age as him? Or is it because I am a traveler like him? Or is it because I’ve opposed all sorts of wars such as the one being carried out by the US army? Or opposed the Japanese government’s reaction toward him? Or opposed the mass communication and public opinions, who kept insulting him, a man who had already died?

Probably, all of these things have stuck in me. Most of the mass communication didn’t talk about such a thing as “why” he went to Iraq. What on earth did he want to do in Iraq?

The answer was written down on a note, which was left at KODA hotel (Mr. Samer, an employee of the inn where Koda-kun stayed, named it after Koda-kun to mourn him).

Koda-kun wanted to help Iraqi kids who had been hurt by the war, and he tried to look at reality with his own eyes, the reality which TV doesn’t show. And he acted.
There are pictures in the note which Koda-kun passed Mr. Samer before leaving for Iraq.

There are Iraqi children in this picture who have been hurt by the US army’s bombings. (Koda-kun’s family made a copy of this picture and sent it to Mr. Samer later.)

I had no idea for what reason Koda-kun tried to go to Iraq until I came to the inn, “Koda Hotel” in Amman. So, I want to introduce it here for those like me who didn’t know about it. (The reason why he tried to go to Iraq has been referred to in some books and magazines.)

I couldn’t for the life of me forget about Koda-kun’s death. I offered rice hot from the pot and vodka for Koda-kun’s picture, which was decorated in Koda Hotel. Also, I chanted a sutra and said a mass for him. This picture [of Koda-kun] is the one which Koda-kun’s family passed on to Mr. Samer.

Nothing changes, however, even after a fake monk or a high priest holds a mass. The thing that’d change is just my feelings. I just take over his will as I like – his wish to help Iraqi children. And I act to disallow this kind of situation [which is portrayed in the] pictures of Iraqi children, who have been hurt by bombings. I will also live his life as well. I like to think of it in this way.

I can’t help feeling that Koda-kun, who is on trip, is in this inn in Amman. I also feel that he is supporting us who are traveling around the world like him. This might be an illusion, but I feel it is so.







(These notes are the story that I gathered from what Mr. Samer of Koda Hotel told me. I hope you can read it well.)

P.S.1 Many refugees, whose homes in Iraq were taken, have been escaping to Jordan and Syria. The Iraqi doctor who I talked to told me about the many killings by the US Army. Our talk was interrupted because we were at a loss for words, because of either sadness or anger.

And on the same night, a few Japanese, Iraqi, American, Australian, Germans and I went to see a movie called “the Zigizigi Land,” which is about a Palestinian who works as a taxi driver in the US. The movie opens up the pathology of the whole American society, cynically and sharply shown through the conversation between the Palestinian driver and the passengers. It criticizes severely the apartheid toward Palestinians by the Israeli government.

I thought that it is a significant thing to be able to talk about the Palestinian problem through one movie with everyone, as individuals, beyond our nationalities, races, and situations such as being Iraqi, American, Japanese, Australian, or German. I also think that it is [because of] the power of movie or art.

Besides, we all are against the war as individuals when we get rid of our delicate positions. I think that it is the first step to change how each government deals with Palestinian apartheid, Israel’s invasion, and the US Army’s invasion of Iraq, starting with the Japanese government who supports them. Then, if we could take them into our daily lives practically, even it’s slow, I think they would have widespread grassroots support.

P.S. 2 I went to the Palestinian refugee’s area in Lebanon. Kids full of energy were running around downtown among the remains of gunfire. The city was full of life with various kinds of shops. The Palestinian flags were displayed and the posters of Palestine releases were put up all over the town. The road of returning to Palestine hasn’t ended yet. Even if the world forgets when it’s convenient, they’d live like weeds which grow through asphalt.


I went to a shop there which sells Palestine releases. I bought some T-shirts and Palestine stoles. Please purchase them when they get to IRA soon if you are interested. (They are here! IRA)

Labels: Anti-War, Palestine, shiga
POSTED BY IRA_K AT 2:57 PM

Samer notes:

There was a phone call to Cliff Hotel from an Arabian man (I think he is a Taxi driver.) at around 4 in October 19th, 2004.

“There is a Japanese person who wants to go to your hotel. Can you tell me the address?” he said.

Koda came to Cliff Hotel with the driver 5 minutes later.

He didn’t even mention about Iraq at first, but said “I want to stay at a dormitory,” so I took him to his room and was writing his name (check-in). (The interaction around here is a little different from the book by Yuji Shimokawa, but I’ve just recorded the story of Samer himself.) [Yuji Shimokawa wrote a book called “Why Shousei Koda was killed?”]

Then, he suddenly said “I want to go to Iraq. Can you tell me where I can use a service?”

“It is too dangerous to go there by a service,” I said because the people who use a service are only tourists and there is a risk of being targeted.
And Koda said “I have to go.”

I asked the reason, and he said “I want to help Iraqi children. I want to go to Iraq, look at what is going on with my own eyes, and tell the Japanese people when I return to Japan.”

I answered “you can only go by bus if you really want.” He said “OK. Please make a reservation now.” I could have made a reservation if I wanted to, but I thought there’d be a chance that I could stop him, so I lied saying “it’s too late to make a reservation today.” He returned to his room saying “then please make a reservation on tomorrow’s bus.”

It was around 4:30pm when Koda came out from his room and went out to buy a sandwich and ate it at the balcony in the back of reception.

After that, he went back to his room, and after a while, he was looking at an information note standing in front of the bookshelf in the lobby. And he went back to his room right after that.

He looked different from other tourists. (he seemed like he was thinking about something.)

After half an hour, he came out from his room, sat on a chair for a long time in the balcony, and was looking out the street. I was worried about him, so I went out to the balcony and talked to him asking “do you still want to go to Iraq?” He just answered “yes” with a serious face. I asked a guy who was staying at the Cliff hotel at that time to talk to Koda. I wanted him to quit thinking about going to Iraq by talking to a Japanese person.

That guy went out to the balcony, and talked with Koda. I tried to make him comfortable by telling some jokes “haven’t you changed your mind? If you really go to Iraq, you will be on Aljazirra (a news program of a satellite TV company in Qatar.)”
The other guy laughed at it, but Koda didn’t show a smile. He seemed upset.

After that, Koda and that guy talked for a long time. After they finished talking, the Japanese person said “He’s insisting on going to Iraq. No one can stop him.”

Koda woke up at around 10 the next morning (October 20th), asked me “did you make a reservation?” I answered saying “I did it for the bus leaving 6pm,” but it was a lie, because I thought there was a chance I could still stop him. He checked out at noon and was sitting the couch in the lobby, and I asked him many times “you haven’t changed your mind about going to Iraq?” but he said “no, I haven’t.”

I had to make a reservation by 2pm if I needed to make a reservation, so I asked him once again before 2. But he didn’t change his mind about going to Iraq. So, I had to make a reservation for a bus. I couldn’t stop him.

Koda passed me one thing at around 2 or 3 pm saying “please keep this until I get back from Iraq.” It was a stone that he picked up at the Dead Sea, a towel, and pictures of Iraqi children. There were about 10 pictures, and portrayed children who hurt by the war. Koda said “I got them from a Japanese person.”

After he died, I sent them to his family, and they sent me back one copy of the pictures and Koda’s picture. (they are in Samer’s book.)

The picture of children who they sent me was ok. Those pictures were the children who were hurt much worse than that. I think Koda wanted to do something for these kids.

Koda kept reading the information note until the departure, except for a time when he went out. The Japanese man (who talked with Koda last night) and I went to the bus terminal with Koda to see him off at around 5pm. He said “Assalam/Good-bye,” and took off on the bus.

2 hours after we saw him off, I decided to make a phone call to the Japanese Embassy. I said “A Japanese person, who is called ‘Shousei Koda’ left for Iraq 2 hours ago. I don’t think he has reached the border yet. I want you to stop him if possible.” The embassy said just “Thank you for your call. Please let us know if you get some more information.”

After that, I called someone who I know working at a hotel in Bagdad and asked if a Japanese person came or not, but I was told that he hadn’t. I was sure that Koda would go to the hotel because I told him about it, so I called again after a while. Then hft let him stay.”

A person from United Nation, who Mr. Samer knows, called the hotel at around midnight on 26th and said “A Japanese person was captured as a hostage in Iraq. Please watch either Aljazeera or NHK.” I turned on TV, and found Koda, who was surrounded by an armed group. I was so surprised and shocked.

When I found that Koda was captured by the element of al Qaeda lead by Zarqawi, I felt desperate like “if the Japanese government didn’t do anything during the time al Qaeda is demanding, he will be killed for sure.”

After that, people came from the Japanese government (foreign ministry) to Cliff Hotel, and asked me about various kinds of things concerning Koda. But when the three including Takato-san [and Imai-kun] were captured as hostages in Iraq a half years ago [2004], various kinds of people like the foreign ministry, the SDF, the Jordan government, came many times, and asked me many more things, and it was chaos.
But, this time with Koda wasn’t like that.

I’m wondering if they were thinking that he would be rescued like the three, and not be killed. I thought, however, “this is dangerous.” The al Qaeda group who caught Koda was too dangerous.

Later, there were two reports saying “Asian’s dead body was found,” but it wasn’t Koda. But I learned that he was found dead at 10pm on the 30th by the news. There was a phone call from the Japanese government that told me that he had been killed.

2 days later, I received a phone call from his family, and I apologized. They said “it’s not your fault.” When I found out that Koda was killed, I swore that I would name the hotel after Koda when I own it- which is my dream- and never forget about him.

A few months later, I called the Japanese Embassy, and asked them to tell Koda’s family “I want to name the hotel ‘KODA HOTEL’.” 1 week later, his family sent me a fax saying “thank you very much. When you make a hotel, please use his name, either KODA or SHOUSEI is fine.”

But, I was told that the City of Jordan can’t allow me to use “KODA HOTEL.” (I wonder if that was because it’s a personal name or because of the incident.) Actually, there are some procedures to change the name of the hotel which I will take over, and it takes time and money. It is too much, so I will start with the hotel’s name as it is now, but when I have more time and money, I will try to change it to ‘KODA HOTEL.’

But if I could open a hotel, I’ll write ‘KODA HOTEL’ in Japanese under the hotel’s name (so that the city wouldn’t know it.) try not to forget about him ever, and I don’t want people to forget about him.

[the translator’s note: Mr. Samer did open his own hotel whose name is KODA HOTEL on October 1st this year.]
SUBSCRIBE


今週末17日、18日は、札幌でおもしろいことがいろいろあるので、IRAはお休みします。札幌に来て下さい。





映画「素人の乱」札幌上映会 11/17(土) (1)15:00~ (2)19:00~


アナーキーでハートフルでコミカルな
革命後の世界ドキュメンタリー
映画「素人の乱」札幌上映会
http://trio4.nobody.jp/keita/info/movie.html

■日時:11月17日 (1)15:00~ (2)19:00~
■会場:ATTIC(札幌市中央区南3西6 長栄ビル4F)
tel 011-676-6886 http://www.a-yaneura.com/
(地図:http://www38.atwiki.jp/rebootcamp/pages/26.html#id_62c283ce
■料金:800円(前売500円)



高円寺北中通り商店街を拠点に
「PSE法反対デモ」、「家賃をタダにしろ!デモ」、「三人デモ」、
「高円寺一揆」など街中でとんでもない大暴れをくり返してきた<素人の乱>。

その狂乱と騒動の軌跡を記録した映画「素人の乱」が完成した!!!!
秋の夜長に"革命後の世界"を!!!


■監督:中村友紀 プロフィール
1979年生まれ。埼玉県出身。早稲田大学在学中から自主制作映画にのめりこむ。大学卒業後もフリーの助監督として、映画、テレビドラマ、ニュース番組等 の現場に携わる。2005年末、そのとき関わっていた自主制作映画の大道具探しで高円寺中のリサイクルショップをまわっている時に、リサイクルショップ <素人の乱>5号店店主・松本哉と知り合う。「自主制作でしょ?貧乏人から金なんてとらないよ!」。「自分たちから発生した文化しか信じない!」と言う松本哉の考え方に強く心を打たれ、撮影開始。2007年秋、映画「素人の乱」完成。

■出演:松本 哉 プロフィール
1974年世田谷区生まれ、亀戸育ち。1994年に法政大学入学。野宿の会に入部。北海道耐寒野宿、東北一周ママチャリレース、天安門前現地集合 現地解散合宿等を決行。数々の伝説を残す。1997年<法政大学の貧乏くささを守る会>結成。学食が20円値上がりしたことに怒り、集会を開き、貧乏学生 の群集が神輿をかついで学食に乱入。学費値上げやキャンパス再開発等に反対し、学内に突如コタツなどを出してキャンパスの一角で連日鍋集会。団体交渉に応 じない総長に抗議して、窓口の前でくさやを焼きまくる「くさや闘争」など様々な騒ぎを起こす。九州から北海道までの貧乏学生を巻き込んで<全日本貧乏学生 総連合(全貧連)>を結成。全国各地に騒ぎは飛び火する。2001年、法政大学内で行われた政財界の会合に乱入。某大学総長らにペンキをぶっかけるとい う、アルカイダもびっくりのテロを起こす。翌年逮捕拘留され、獄中で4ヵ月半ほど過ごす。

2005年、学生時代から始めたリサイクルショップでの修行を経て独立を果たす。友人・山下陽光らと共同で、古着屋、リサイクル屋、ラジオ・ス タジオ、飲み屋が渾然一体となった<素人の乱一号店>をオープン。以降、「俺のチャリを返せデモ」、中古家電の売買を規制する「PSE法反対デモ」、「家 賃をタダにしろデモ」などを高円寺で起こす。それぞれ数百人集まり、大パニックとなる。2007年、杉並区議会議員選挙に出馬。「革命後の世界を見せる」 という宣言のもと、1週間の選挙活動期間中、連日駅前にてとんでもないイベントを繰り広げる。1,061票を獲得。落選。現在、<素人の乱>5号店、8号 店、11号店の店主。

■映画によせて

宮沢章夫の「東京大学「ノイズ文化論」講義」でも紹介された「WE ARE THE THREE(ONLY!)」、通称「3人デモ」をYouTubeで見たことのある人なら、みんな知ってると思うが、そのムービーは「つづく。」という字幕で終わる。
警察をほとほと呆れさせ、かたや「前衛的だ」とも評された、この「3人デモ」はいったい、何のデモだったのか? そして彼らはいったい、誰なの か? あれから一年……、この謎が遂に解き明かされる。そう、その「つづき」が、この映画「素人の乱」である。この映画こそ、その待ちに待ってた本篇なの である。 

「たいへんだ!たいへんだ!とんでもない映画がはじまる」

なにがそんなに「たいへん」なのかはいずれ歴史が証明してくれるだろう。これから起きることのすべてはこの映画からはじまった、と。これがたい へんじゃなかったら、ほかにいったいなにがある。すでに伝説となってるあの「高円寺一揆」の現場に立会いそこねた人は、今からでもまだ間にあうので、今の うちに、この映画を見ておいた方が身のためだと思う。とにかく、まずは、見よ、呆れよ、そして、可笑しければ笑いたまえ、である。泣いても笑っても、これ が“革命後の世界”であり、“もうひとつの可能な世界”なら、もうとっくにそこにある。どこに?いまは、高円寺に、そしていずれはあらゆる場所に。

イルコモンズしるす

■参考:
▼WE ARE THE THREE (ONLY!) (三人デモ)
http://www.youtube.com/watch?v=-5NXX5zs5k4
▼高円寺一揆・外伝
http://illcomm.exblog.jp/5174906/
▼映画「素人の乱」公式上映会
http://illcomm.exblog.jp/6084095/
▼高円寺貧乏論説
http://www.youtube.com/watch?v=BWND80YfrYE
▼ECD "言うこと聞くよな奴らじゃないぞ" @高円寺駅前 2007.4.15
http://www.youtube.com/watch?v=8RtNZXBk8cs



トークセッション 11/17(土) 21:30~


トークセッション「素人の乱のとんでもなさについて」

■日時:11月17日 21:30~
■会場:ATTIC(札幌市中央区南3西6 長栄ビル4F)
■料金:(映画料金に含まれます)
■トークゲスト:

イルコモンズ
元・現代美術家、民族史家。数々のアートイベントや論考をジャンルを超えて展開。中央大学文学部で「文化人類学解放講座」を開講し、日本各地を巡 回して(福岡、大阪、滋賀、名古屋、東京、仙台、札幌)通算21回「イルコモンズ・トラベリング・アカデミー」を開催。映像を使ってグローバリゼーション の裏側や抵抗の表現を紹介する講義は平均して6時間から8時間行われたが、2007年夏に札幌で行われたアカデミーを最後に強制終了。「イルコモンズ・リ ブート・キャンプ」と新たな形で継続している。

成田圭祐(Irregular Rhythm Asylum /No G8 Action)
IRAは新宿一丁目で営業しているレコード/CD、本、シャツ、その他ラディカル・グッズを扱っているショップ。また、海外のオルタナティブ /DIY・カルチャーや自律的なアクティビズムとの繋がりにも力を入れており、ただ物を売る場としてだけではなく人や情報が自由に交差する場、インフォ・ ショップとしての役割にも重点を置いている。

トークゲストは随時追加します。
たいへんだ!たいへんだ!
素人の乱出演者がどんどん札幌にやってくる!



路上デモンストレーション 11/18(日) 11:30~

路上デモンストレーション「G8サミット歓迎に非ず」
11月18日(日)
■集合: 11:30 大通西4丁目
■出発: 12:00

貧乏人と有象無象がサウンドを発してデモ行進。
来年7月に開催予定の北海道・洞爺湖G8サミットを歓迎していない人なら
誰でも参加してください。

「G8サミット歓迎とか言ってる場合じゃないですよ、このご時世。
ようこそG8なんて言ってチヤホヤされておりますが、
やってこられると迷惑なんですよ、実際。
ふんぞり返ってやって来て、みんなを追っ払うなんて、
何様ですかG8。もっとやることあるでしょうG8。
G8に払う金はビタ一文ない。そもそも金がないんです。
これはもう、抗議のデモを始めるしかない。」



DIYカルチャーナイト 11/18(日) 17:00~

DIYは、Do It Yourself(ドゥ イット ユアセルフ)の略語で、「自分で作ろう」の意。
ほしいものはなるべく自分で作り、自らの力で生活空間をより快適にしようとする概念。

■日時:11月18日 17:00~
■会場:さっぽろ自由学校「遊」(札幌市中央区南1西5愛生舘ビル2F)
http://sapporoyu.org/
■料金:1000円(たべもの付)
■内容:
  • シルクスクリーンを使ったプリントのワークショップ
 /ナリタさん(Irregular Rhythm Asylum /No G8 Action)
  • 抵抗食をみんなでたべる
 /高円寺・素人の乱でベジ食堂をやってるyoyoさん
  • 映像とお話
 /イルコモンズ
■持ち物:Tシャツや布など、プリントをしたいもの



以上主催:reboot camp sapporo 2.0
連絡先:g6634580000sapporo@gmail.com
賛同と協力(敬称略):
  • NGO(No-G8 Organization)
  • ネットラジオ「G8騒乱節」
  • HLF(ひきこもり解放戦線)
  • 観光案内所 ロード・トゥ・トウヤコ
  • プロテストソングユニットHIDAMARI
  • 300人レイブ準備会
  • スカイ部
  • リブートキャンプを保存する会
  • インフォショップをつくる会
  • 素人の乱上映誘致準備会
  • オルタなデモンストレーション部
  • 個人
  • 瀧口玄米おにぎり食堂
  • Make Fair-Trade-Action
  • ジェンダー解放戦線「いねむりパンダ」
  • 2008北海道対抗文化連絡所



(関連企画)G8がやってくる~入門編~第4回「反グローバリズムの運動と文化」11/18(日) 14:00~

(関連企画)
さっぽろ自由学校「遊」
連続講座「G8がやってくる~入門編~」第4回

「反グローバリズムの運動と文化」

■日時: 11月18日(日)14:00~16:00
■講師: 成田 圭祐(Irregular Rhythm Asylum)
反G8行動は過激な面ばかりが報道されましたが、実際にドイツで見た現実はもっと多様で豊かなものでした。新自由主義的グローバリズムが拡大する中、それに対抗する運動や文化もグローバルに拡大していることを写真や映像を使って紹介します。
■会場: さっぽろ自由学校「遊」
■受講料:一般1,500円 会員・学生1,000円
http://www.sapporoyu.org/modules/sy_course/index.php?id_course=122
SUBSCRIBE


シガちゃんから、ベイルートのパレスチナ難民地区で入手したパレスチナ連帯グッズ送られてきました。買って下さい、早い者勝ち。Tシャツ、ストール、うでわ。
香田証生くんが宿泊していたアンマンの宿「KODA」のこと、僕の知り合いの米国人とベイルートで遭遇したこと(びっくり)、シリアでデヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』を観たら会場は退席&ブーイングの嵐だったこと、『THE ZIGI ZIGI LAND』という映画のこと、それから恋の話などが書きなぐられた楽しい手紙が同封されていた。どうか無事にこれからもよい旅を。
SUBSCRIBE


IRAの便所のアートワークの作者として知られる、フィリピンのJongの初めての個展、始まります。IRAで、11月10日から、3段階に分けて12月15日まで。とくに何も変わってないように見えるだろうけど。来ればわかる。いまちょうど準備してるところ。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

note: please help spread the word

Displacement Series

At: Irregular Rhythm Asylum Radical Bookshop Tokyo
Media: Photographs, Installation, Performance

"Displacement Series" is a first solo exhibition by Jong Pairez- a migrant from the Philippines.

This exhibition uses combination of various media and medium not just for presentation but also to conduct studies and observation of Displacement and Geography. Hence, this exhibition is rather a project of sorts than a mere aesthetic presentation of objects that we commonly see in art galleries.

To enable studies and observation of Displacement and Geography, the exhibition is divided into three parts, resembling the process of migration, namely, Phase One: Pre-departure, Phase Two: Departure, Phase
Three: Arrival.

Although each of these individual phases is independent from one another and will be exhibited separately, all of them will converge in the last phase- but not to conclude the whole exhibition but to simply observe how
these three phases has its own singular narrative.

Schedule: From November 10 until December 15, 2007
Exhibition Hours: 13:00-20:00 (Thursdays to Tuesdays except Wednesdays)

Website: http://jeanmakisig.blogspot.com

Admission: FREE!

Maps:
http://a.sanpal.co.jp/irregular/images/ira_map.jpg (English)
http://map.yahoo.co.jp/print?mode=1&key=5f66efacedd5cbf71416580&pass=26709f70bf4656e8
(Japanese/Yahoo)

Access:
5 Minutes walk from Shinjuku Gyoen-mae Station, Maronouchi Line

Address:
Irregular Rhythm Asylum
Open 13:00 - Close 20:00
1-30-12-302 Shinjuku Shinjuku-ku, Tokyo 160-0022, Japan
Tel/Fax: 03-3352-6916 (domestic);
+81-3-3352-6916 (from abroad)
http://a.sanpal.co.jp/irregular
SUBSCRIBE

SLINGSHOT ORGANIZER 2008

POSTED IN | 11/03/2007


SLINGSHOT ORGANIZER、今年も入荷。小さいほうは800円、大きいほうは1200円。通販でも買えますが通販だと色は選べません。店頭で直接買うことをおすすめします。上の写真は、SLINGSHOTの連中が暮らし、ORGANIZERの保管&発送所でもある「CAT HOUSE」の庭とねこ。

SUBSCRIBE
↓シガちゃんより、もう一つ。


タイの刑務所の友人から10月中頃に手紙が来ました。ぜひ、読んでください。手紙の要点を抜粋して載せています。「」は手紙から。()またはそれ以外は私の追記です。


●面会復活について

バンクワン刑務所では07年3月から家族以外の面会が禁止になっていましたが、先月9月に面会ができたという連絡がありました。

「9月はじめにYさんのところに、大学生が「FRIEND」(囚人との関係の欄に)と書いて面会ができたり、Oさんは「COUSIN」と書いて面 会できたりしていて、前より規制がゆるくなっているのかと思います。来月(現時点で今月)10月には矯正局の所長及びバンクワンの所長が変わるという噂な ので、そうなったら面会できる可能性が増えるかもしれません。」

●本の輸送について

前回の刑務所からの手紙の紹介後、滞在者からの本のリクエストに対して数人の方々が本の輸送をしてくれました。滞在者の方々は、本当に感謝してい ます。引き続き、彼らに本や雑誌など送っていただけると、助かります。滞在者は非常に、本を欲しがっています。滞在者にとっては本が人生の楽しみ、支えに なっているようです。

To Japanese Prisoner 「HANAWA MAKOTO」

Bangkwang Central Prison.
117 Nonthaburi Road,
Nonthaburi Bangkok 11000, Thailand

●カンパについて
 
 バンクワン刑務所では、刑務所内の生活費はすべて自己負担で行われています。刑務所内では労働があって給料があるというわけではなく、なにか自分で商売をするか、家族からわずかな仕送りをもらって生活しています。ごはんは一日一回、わずかな米とスープだけです。
 現在8人いる邦人滞在者のうち、3人が家族からの仕送りがないようです。3人のうち2人は病人のため働けません。

「囚人のためのカンパを進めてくれているようで、ありがとうございます。生活や薬代にもこと欠く人もいるので、本当に助かります。カンパのお金は、ここで困っている人、3人に公平に渡したいと思います。振込み先などについては次回までに考えておきます。」

●病人について

現在、バンクワン刑務所内の邦人の方2人が重い病気にかかっています。どちらも家族からの仕送りがないため、大変厳しい状態におかれています。

「病気のTさんはぜんそくの薬代(スプレー代)が月350バーツ(1050円ぐらい)かかります。Kさんは腰から下が麻痺して歩くのに苦労するこ ともままで、普通の検査ではラチがあかず、MRI検査2万バーツ(6万円)が必要といわれました。しかし、大使館はおろか、家族もお金を出さないため、大 使館が方々を当たってくれ、カトリックで刑務所の囚人を多数助けているフランス人の神父がこの2万バーツを出してくれました。MRIや血液検査を終えたと ころで、手術をどうするかなどは現在医師が検討しているようです。手術については、バンコク市内のラジャオ刑務所病院で行うならば、費用はタダとのことで す。Kさんは痛み止めでごまかしている状態で毎月のクスリ代はありません。」

●邦人以外のサポートを求める人について

Hさんの友人である、ビルマ人のKYAWさん、マレー人のLOWさん、TENさんの3名をタイ国内にある外国人囚人サポート団体にお願いしようと思います。

勿論、この方々にも面会や差し入れなどが可能です。何卒よろしくお願いします。

バンクワン刑務所
KYAW SAW WIN (BUIDING2)
TEN CHEN SIEW (BUIDING3)

ラジャオ刑務所
LOW TUCK
LARDYAO PRISON BUILDING8 33/2 NGAM WONGWAN ROAD
BANGHEN BANGKOK 10900 THAILAND 

●生活費について

「生活費は普通に自炊しておかしも買ったりできるぐらいだと、最低1500バーツから2000バーツ(4500円から6000円)かかります。こ のレベルでも、ペプシとか高くてそうそう飲めません。ちなみにほとんど全ての西洋諸国である「囚人ローン」なるものでは、毎月3000バーツから4000 バーツ借りられて、出所後返済します(日本にはこのシステムはありません)。

ここで出る食事については今年から白米が出るようになったもののスープは物凄く辛いので、かなりの外国人は胃をやられるので食べられません。Tさ んがお金がなかった時は、お金が少しあれば、インスタントラーメン、ない時には誰かに恵んでもらっていた状態です。Aさんや24年間服役しているラジャオ 刑務所のJさん(邦人)はこういった極貧の時を多くすごしてきたようです。」

●刑務所内の生活について

刑務所内では暴力を通りこした事件や人権問題を思いっきりアウトしている問題が多いようです。手紙の送り主のHさんもどこまで書いていいか、暴露することによって今後の身になにか起きはしないかなど不安を抱えています。

かといって、すべて自主規制してしまっては、劣悪な環境の改善もできません。ぎりぎりのラインで今回は一部、取り上げたいと思います。

「刑務所では(タイ全域)ふとん、毛布、せっけん、歯ブラシ、チューブ、タオル、パンツ、服など一切が支配されず、ずべて自分で買うしかありませ ん。金のまったくない人は、もらえたらもらったり、もらえない人は石鹸も使いません。大体は家族のいる人やパーセルのある人からめぐんでもらえて死なない 程度に生きられます。その他(あまり刑務所のことを書くとまずいかもしれないのですが)、部屋の掃除、扇風機や電気ETCの修理代、くみとりウンコ人夫代 (人夫は囚人)となにからなにまで自分もちでお金がないとすごく苦労します。

何年も前にチェンライ刑務所であった話で、冬で雪が降ってきたのに刑務所が(予算があるのに)毛布や支給しなかったため、一晩中寝ないでスクラム 組んだけど、じーさん達が何人も死んでしまったとか、今ではずいぶん良くなりましたが、前には、ぜんそくの人が病院で発作が起こったけど酸素のストックも なく、週末で医者も誰もいなくて死んじゃったとか。

シャワーは川の水なので、皮膚病、目の病気がすごいです。特に皮膚病は半端じゃありません。私のケツの皮膚病はどんなクスリでも治らずもう諦めています。

部屋のコンディションについては、一番ひどい女子刑務所の話で、部屋全員が横になれずに交代で寝たりとか、トイレから戻ったら寝る場所が人でつまってなくなったとか。

今は少しはましになりましたが、つい数年前までは4メートル×6メートルくらいの部屋に、最高27人くらい寝てました。

そういう状態なので、口論、喧嘩はしょっちゅうでした。私自身は避けているのです大丈夫ですが、おととしはひとりメッタ●しにされて死んだ人がいて、今年もひとり●され、その相棒もビルがえ後に●し殺されました。

(やばい話がまだ引き続きますが、公表することに許可をとってないので差し控えます。●は私がつけたもの)

今までは、こんなことを嘆いても誰もどうすることもできないので、ここで20年以上過ごして生きて出てゆくためには、体に気をつけてもめごとに巻き込まれないように気をつけてきました。

あと、囚人でここにいて一番辛いのは、長い間服役の間に父親、母親が亡くなることで、日本人の中でも父親、母親を失った人はいます。私の母も高齢なのであと、何年元気でいてくれるか心配です。

今回、こういう我々の事情を考慮して受刑者移送協定や国王嘆願へのサポートをしてくださるこいうことで本当にうれしい限りです。」

(かなり人権問題の点でアウトなのもあり、滞在者から今後、弁護士センターや人権保護団体へのアドバイスなどが欲しいとのことです。こちらもまとまり次第、推し進めたい次第です。)

●囚人移管協定について

「日本の刑務所に移れればよいのですが、EUと日本のグループ協定の条約を読んだら、『移送後、終身刑は日本の終身刑に置きかえ、それ以下は一率 日本の20年に置きかえ』とあって仰天しました。日本でドラッグによる刑は、一キロ以下初犯だと4から5年といわれているのに、20年の判決って何なん だってショックを受けました。

(ちなみにバンクワンにいる邦人の方の大半は初犯で、一キロ以下、数グラム、よって日本に移管されても、本来なら4、5年で釈放されて良いはずなのに20年もさらに日本で刑に服さなくてはいけない。また多くの邦人の方はすでに10年近くタイで服役している。)

ちなみに協定を結んでいるイギリスを除くほかの西洋諸国は、(タイ国内で逮捕され終身刑の判決が出たとする)終身刑で8年服役後、それ以下(終身刑以外)は4年で送還され、アメリカでは送還後3ヵ月後、その他の国でも半年ぐらいで釈放されるのです。

いくらその国次第といっても、この条件では、すっかり許されのが逮捕20年後とか仮釈放すらいつもらえるのかわかりません。協定がなければ、Jさ んのように24年服役コースは確定ですが、今の協定だと日本に帰ってよいものかどうか、、、、。しかも、日本の刑務所は電話サービスなし、家族以外の面 会、手紙のやり取りが一切禁止と、タイよりもきついんで、どっちもどっちで悩みます。ここでなにかあって死ぬよりはいいかもしれません。」

(今の協定だと日本に移管されても日本の刑務所に20年は服役しないといけないことになります。移管されて日本の刑務所に20年服役するか、それ ともタイで20年以上服役するかという、どちらに転んでも希望がない状態です。今後、刑務所からの手紙を待つと共に、国王嘆願の準備をしてゆこうと思いま す。)

●マスコミ、ジャーナリストのインタビューについて

去年までは、マスコミの取材もあったようです。しかし、今の所長になってからは難しいようです。今後、矯正局長が変わるということで、そちらにアポをとれば可能かもしれないとのことです。

●面会がだめでも差し入れはできるか?について

「せっかく面会にきてくださった上に、差し入れも無理だと心が痛むので、今のところ、ムリとしておいたほうが無難かもしれません。そのかわり、郵送なら何でもOKです。(全て受け取れます)」

引き続き、食べ物や本の差し入れなどよろしくお願いします。前述しましたが、以下の住所へお願いします。

To Japanese Prisoner 「HANAWA MAKOTO」

Bangkwang Central Prison.
117 Nonthaburi Road,
Nonthaburi Bangkok 11000, Thailand


●サポートしてくださる皆様へ

「忙しい中、いろいろと支援活動して下さり、本当にありがとうございます。こんなに尽くしてもらったのは本当に初めてで、皆さんのおかげで、ここのみんなも希望が持てます。本当にうれしいです。」

●カンパのお願い

引き続き、刑務所内の邦人の病人や仕送りのない方、3名へのカンパ活動をしてゆきます。刑務所以外にも、日本にもいろいろと問題があると思います。余裕のある方、すこしでもご協力よろしくお願います。また、手紙や本、食べ物などの郵送も大変喜ばれます。

三菱東京UFJ銀行
普通
たまプラーザ支店
1511783
水口プロダクション代表水口貴裕

●最後に

ドラッグによる一度の過ちや、騙されて捕まってしまったのにも関わらず、一生を地獄のような刑務所で過ごさなくてはいけない。どんなに悔いても社 会には戻れない。こんな状況の彼らを少しでもサポートできたらよいと考えています。なによりも、滞在者の方々はみなさんとの繋がりを求めています。

問い合わせ osasimi-ichiban@hotmail.co.jp 志賀直輝 (pnキトウセイシ)
SUBSCRIBE
すこし遅れましたが、シガちゃんより。


皆様のご協力で、青空学校への振込みが無事終わりました。水口社長、IRAの成田くん、素人の乱、PUNKSの皆様、わたくしの友人たち、こころからお礼をいいたいと思います。本当にありがとうございました!

フルチンTシャツの売上げ金の詳細は以下です。

通販が22枚¥35200、ライブ物販が5枚¥8000、素人の乱(1800の7掛け1260)が4枚¥5040、加賀谷さんのカンパ¥2760(コピーや雑費などを使わせてもらった残り)  

(京都分の5枚分は別口の青空学校カンパで送ります)

合計金額¥51000です。

そこから手数料\3000を引かれまして、

振込み金額は、¥48000です。

このお金が、ブッタガヤの子どもたちの知となり血となることを願って! そして、友の健康とご活躍を願って! 南無森羅万象!
SUBSCRIBE

Twitter

自己紹介

自分の写真
Irregular Rhythm Asylum is an infoshop in Tokyo dedicated to the following "A"s.

新入荷

IAS Lexicon

IAS Lexicon
IAS LEXICON The Institute for Anarchist Studies と AK Press の共同制作語彙集シリーズの翻訳です。「アナキズム」「権力」「植民地主義」「ジェンダー」「白人優位主義」の全5冊

PANGROK SULUP訪問記

END:CIV

Archives

NU☆MAN @IRA

NU☆MAN @IRA
裁縫集会毎週火曜夜

シガちゃんの投稿

シガちゃんの投稿
IRA Blog上の"SHIGA"とタグ付けされた投稿を表示
現在のシガちゃん:大阪にいます。