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イレギュラー・リズム・アサイラム
160-0022 東京都新宿区新宿1-30-12-302
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
新しいホームページ: http://ira.tokyo
営業時間 13:00〜20:00(月・水定休)

IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
1-30-12-302 Shinjuku, Shinjuku-ku Tokyo 160-0022
tel:03-3352-6916 | email: info@ira.tokyo
website: http://ira.tokyo
Opening Hours 13:00〜20:00 (Closed on Mondays and Wednesdays)

年末年始の営業

POSTED IN | 12/29/2007


年末は明日30日まで、年始は1月6日 (日)からの営業 (予定) です。
よろしくお願いします。
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『黄色い象』 仲光健一 (Transistor Press)  ¥750

海賊放送のラジオ局「バター・クランチ・キッド・ラジオショー」のDJが語る黄色い象の意味は? ロックンロールを愛する人たちに贈る物語。本書は、『12 water stories magazine』2000年12月発行のNO.6 winter issueに掲載された『黄色い象 - Memphis TN 38152 U.S.A.』のオリジナル・バージョン。目に見えない不安、目に見える暴力が渦巻く日々、繊細な心を失わずタフに生きるための勇気を、読む人の心にきっと伝えてくれる。英語訳つき。手作りジンのおまけ付き。



ピンバッヂ9種 各¥100

左上から、■スターバックスいらない ■非戦 ■すべての警官はクソ野郎 ■マック=殺人鬼のメシ ■戦争と戦え、反戦 ■掠 ■反ヒッピー ■レボリューション ■動物解放/人間解放





ニューヨーク市コンドーム ¥カンパで

ニューヨーク市が無料配布してるコンドーム。



NU☆MAN」パッチ ¥50 ~ ¥300

飯田橋ポエトリー・イン・ザ・キッチンで毎週木曜日にやってるソーイング・カフェ「NU☆MAN」のパッチ。





V.A. Noise of Hunger 日本版 ¥700

フィリピン・マニラのFOOD NOT BOMBSをサポートするためのコンピレーションCD「Noise of Hunger」の日本版。ジャケ違い。で、このジャケの絵がすごい。いつも赤い目をしてる男が描いた。売り上げは、フィリピンのマニラ、ブラカン、ダヴァオのFNB及び現地の反資本主義活動へ寄付。



上記商品はカタログには年明けにアップします。気になるものが見つかったらぜひ直接店まで(年内30日まで)。
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久しぶりにカタログにいろいろ新・再入荷のものをアップしました。2008年度版サパティスタ連帯カレンダーも入荷してます。今年はスペイン(バルセロナ)だけでなく、イギリスの連帯グループのものも。少数なのでお早めに。NO G8ポスターもおすすめ。

IRAトップページへ:http://a.sanpal.co.jp/irregular/top.html
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(転載) カンパお願いします・・。

夜には氷点下に届く信州松本の寒風のもとで野宿生活を強いられてきた仲間が、交通違反の微罪で逮捕され、23日間もの拘留の末、40万円もの罰金支払の攻撃を受けています。
 私たちは、通常であれば厳重注意と2泊3日程度の「おしおき」で済まされるはずの法律違反に「住居不定」であることのみをもってなされた今回の重罰化を、貧困階級全体に対する不当な攻撃と捉え、議論の末、罰金支払支援のためにカンパを募ることを決めました。
 個人の刑事罰に対するカンパには疑義も多いことかと思いますが、下記ご一読の上、賛同できる方は、ぜひご協力ください。

お問い合わせ
●生存を支える会(仮)                        
  080−5141−4694
  渉外担当 八木航                         
  会計担当 豊原直樹

●カンパ窓口口座
郵便振替口座
記号11120 番号5502101
トヨハラナオキ

1.責任の大半は格差社会に!
 逮捕の被疑事実は、車検切れ・無保険の自動車の運転です。彼は、賃金未払いなどのトラブルの末、職と住居を追われ、野宿生活を強いられてきたわけですが、亜寒帯での身一つでの野宿は事実上不可能であり、松本での野宿の大半は、車上生活となります。
 そして彼はその間、水汲みなど最低限の移動のために、「住居」である自動車を運転していました。
 新自由主義の矛盾の顕れの中で、自身と、車内に同居の82歳の母親の生命を、かろうじてつなぎとめるための最小限の行為は、いかに「自己責任」の違法行為といえども、23日の拘留と40万円の罰金に相当するものではないはずです。違法行為に対する自己責任が問われることは事実ですが、その範囲について弁護士は「せいぜい10万円が妥当」と判断しています。

2.責任の一端は行政と警察に!
 行政も、警察も、彼が車検切れの車に居住し、運転していた事実を知っていました。知っていたのに、これを放置してきたのです。行政は、生活保護の申請に対して取りつく島もないような形で追い返しつづけ(いったい、どこへ「帰れ」と言うのか!)、何の策も採ってきませんでした。日本中の行政で行われている「水際作戦」の典型的な姿勢です。
 逮捕は、当初「このまま山を眺めて死んで行くんだ」と言っていた彼らが、私たちと出会い、生きる意志を取り戻し、生きるために生活保護獲得の行動を開始した矢先に強行されました。
 だから、逮捕の責任の一端は、状態を知りながら放置してきた行政にあり、警察が罪に問うたのは、交通違反ではなく、彼らが生きようとする意思そのものにあります。

3.緊急にお願いします! 
 私たちは、生きるための意思をくじき、無一文の身の上に、更に高額な借金を負わせようとする警察・検察の判断を肯定することはできません。この攻撃を、生きようと思い始めた矢先の彼の一身に担わせるべきではないと考えます。
 この考えを支持してくださる方からのカンパによって、ともに攻撃を跳ね返していきたいと思いますので、ぜひご協力ください。
 釈放のかかった罰金請求日が26日に迫っています。一方で、「住居」であった車両を奪われ路上に放擲された母親は、今日も住宅物件探しと被疑者への接見、市への生活保護の交渉にと、傷んだ足を引きずって走り回っています。
 私たちも、なんとしても、親子が屋根のもとで落ち着いた年末年始を迎えられるよう、手分けして全力を尽くしています。
遅れがちになることが予測されますが、ご協力くださった方々に、随時、経過を報告していこうと思いますので、ご注目と支援を、どうかよろしくお願いします。

なお、罰金の正確な額は未だ示されておらず、弁護士が値下げ交渉に全力を尽くしています。つきましては、カンパの総額が罰金額を越えた場合、当該2人の生存支援と、この間、二人をサポートしてきた支援活動の経費にあてさせていただく旨、ご了承ください。
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Scheiße X'mas!

POSTED IN | , 12/23/2007


あした24日は各地でいろいろ面白い計画があるようです。以下、札幌と京都と福岡のイベント。東京でもなんかある。
ちなみにScheißeはドイツ語で「クソ」という意味です。ドイツでは、警官に向かってScheißeなどと言うと逮捕されるのでデモ中には言いませんでしたが、犬のScheißeを踏んづけた時にはちゃんと「シャイザ!」と言いました。

(上の写真はドイツとの国境近くのポーランドの
小さい街で発見したうんこ型クリスマスイルミネーションです)


■メリークリスマス☆灯油下げろ!デモ

2007年12月24日 15:00~ 大通公園4丁目出発

空の灯油タンク、一斗缶、灯油ちゅるちゅるの持込や
サンタのコスプレ、飛び入り大歓迎です


大企業・世界中の金持ちのみなさんへ

貧乏人の暖房代をケチらせる前に、エネルギーを節約できないかい?
世界中の戦争を紛争がなくなれば、原油は今みたいに急激に減らなくなるんじゃないかあ。
どうしてもムダ使いをしたいなら、われわれに太陽発電や風力など自然エネルギーで生きていける場所をくれ。
薪になる木を森に残してくれ。穀物を育てる田畑を、農家を守ってくれ。
魚が住める川や海を、鳥が飛べる空を、動物が生きる星を残してくれ。


過激な新自由主義経済グローバリゼーションを推し進めるG8サミット軍団へ

1970年代のオイルショックを一つの契機として
自称世界のリーダーのG7・G8の首脳達は
世界の諸問題などを解決しようと会合を持ち始めたようですが、
まるでダメじゃない。G8軍団、立つ瀬なし!

エネルギー問題にしろ、環境問題にしろ、貧困問題にしろ、戦争にしろ、
問題を作り出しているのがG8軍団ではあるまいか。

茶番は、もうやめて~
問題を作り出しておいて解決をほのめかすパフォーマンス

ムダ使い、もうやめて~
サミット関連で319億円 警備費など155億円計上。

テロの原因作るの、もうやめて~
サミットに参加することは、グローバルな資本主義のもたらす戦争と貧困に加担することだ

暮らしを破壊するの、もうやめて~
G8が推し進める過激な新自由主義によって生活がめちゃめちゃ

G8サミット、もうやめて~

http://www38.atwiki.jp/rebootcamp/pages/110.html



■ライジング・プア 2008 (デモ)
"Poor is beautiful"


2007/12/24に京都市内でデモをします。
2時半、市役所前集合、雨天決行
こたつを台車に載せて運ぶ、七輪あり(予定)、音はラジカセ、トラメガを用意。

コース(予定)
市役所前ー四条河原町ー少し下がって(グリーンプラザ河原町店前)Uターンー四条河原町ー
ルイ・ヴィトン前ー四条烏丸でUターンー四条河原町ー市役所前

山下信子はいう。
ゆっくり寝させよ、ちゃんと食べさせよ、あたたかいところに居させよ、ちゃんと人間らしく生きさせよ、これ以上我慢できないので、たちあがりたい。
その呼びかけに応じた4,5人とでデモを企画しました。

お金あるのがそんなにええんか、なクリスマス、
みなさん、あばれませんか?
みなさん、いいたいことをアピールしませんか?

(たとえばこんなことをいいたい、と企画者たちで言いあったことリスト)

グリーンプラザの闘うマッサージ師さんたちを応援したい!
(参考http://mamoru.fool.jp/blog/2007/11/post_57.html)
教育に格差の前教育長、門川大作を落選させよう!
時給を2000円に!
京セラ、任天堂、儲かっているなら、金をよこせ!
ゆっくり寝させろ!
生活保護費、下げるな、上げろ!
銭湯を愛している(銭湯を保護し、安くしてください)
すべての人に生活費(ベーシックインカム)を支給せよ。
学費をタダに!
御所をテント村に!
クリスマスプレゼントには、no momey life を楽しくするキョートットの本を!
サンタ GO HOME! (サンタはアメリカに帰れ!)

(ここに好きな主張書き加えてOKです。)

# みなさん、いろいろ(音・プラカード・食べ物)持ってきて下さいね。カセットやipod持ってきて下さったら、好きな音楽も流せます。


主催
山下信子 と Union Extasy (http://extasy07.exblog.jp/)
京都プアピープル
ライジングプア実行委員会

賛同
ベーシック・インカム要求者組合 (http://basicincome.blog29.fc2.com/)
キョートット出版(http://kyototto.com)



■どぶろく祭
屋外上映会+貧乏人デモ大行進

映画+デモ 2007年12月24日(月祝)17:00〜
モ テ る 者 と 持 て な い 者 の 格 差 戦 争


クリスマス!?
優しい気持ちで過ごすには、あまりにもニセモノ臭い季節。尖った気持ちでいるには、あまりにもまどろんだ空気…。

もう「勝ち組」だとか「正社員」だとか、趣味の悪い競争ゲームなんかに加担するのはゴメンです。そんなくだらない「自由競争」から抜け出て、自分の「生きづらさ」に耳をすませてみる時、「自己責任」なんていう残酷な言葉とは全く違う何かが聞こえない?

学校や職場や家庭や性や恋愛を多種多様に生きている私たちが、この場所から、自分たちの内側から、生きることや働くことの意味を問い続けたいんです。

イメージして欲しいこと───問い続ける中で最後まで残るのは、労働や生をめぐる「生きづらさ」の感覚…その感覚は、労働や生の意味を勝手に押しつけてくる政治や社会に対する「闘い」とじかに繋がっているってこと。

映画『素人の乱』は、今の社会に対する違和感を「騒動」にしている人々の衝撃のドキュメンタリー。この映画を野外上映会で観た後は、そのまま路上になだれ込んでデモ行進へ!路上で叫び、黒く汚れた12月24日に「抵抗」という名の酒を一緒に密造しよう!


「ドキュメンタリー 素人の乱 amateur riot」
中村友紀監督作品 2007年 105分

東京・高円寺北中通り商店街を拠点にリサイクルショップ、インターネットラジオ、古着屋などを展開しつつ、また「PSE法反対デモ」「家賃をタダにしろ!デモ」「俺の自転車返せデモ」「三人デモ」などなど、街中で騒動を繰り返してきた集団の軌跡を記録した映画が「ドキュメンタリー素人の乱」。撮影素材600時間、1年半という長期密着ロケから見えてきたモノとは?

※電気用品安全法(通称PSE法)。電気製品の安全性を確保することを義務付ける法律で、規制対象となる製品は冷蔵庫や洗濯機、テレビ、ゲーム機や、アンプ、シンセサイザー、オーディオ機器等の売買ができなり、つまり中古製品は売買禁止となる法案。


12月24日(月・祝)@今泉公園 (福岡市中央区今泉1-8)

★晴天時
 上映会 17:00〜衝撃の映画「素人の乱」
 デモ行進19:00〜デモ大行進

★雨天時(上映会)
 新光ビル2階会議室(福岡市中央区天神4丁目4-24)
 地図→ http://tinyurl.com/dd9ly
 上映会 17:00〜衝撃の映画「素人の乱」

主催 :フリーター/非正規雇用労働者ユニオンふくおか
 Tel.090-2088-5380(オノ)
 http://fufukuoka.web.fc2.com/


★どぶろくを勝手に作るのは違法です。しかし米から酒を作ることが違法行為となるとは一体どういう社会なのか? 酒造法…それは私たちの自由を奪うくだらない法律の象徴。職場の上司、地主、経団連、そして酒造法…それら一切の自由の敵に抵抗し続けて私たちが勝利の祝杯を交わすまで、どぶろく祭は終らない!

★今回のデモでは、打楽器を鳴らして行進することが裏テーマ。あなたの打楽器を熱望! 日没後なのでヒカリモノ(サンマ・サバなどの青魚類は不可)、ダンサー、コスプレ、カンパ、米、味噌等も熱烈大歓迎しています!
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ただいま。

POSTED IN | , 12/20/2007


いまさっきドイツより帰ってまいりました(ベルリンで踏んづけた犬のウンコをそのままに)。
ドイツのいろんな街のDIYスペースで上映会をし、スクワットで遊んで、デモに参加し、トルコ人街をうろつき、IRAの客や反G8同志との再会もあり、と観光ガイド本がまるで無用の旅を思う存分楽しんできました。詳しい話は以下のイベントで映像を交えて報告されますんでよろしく。(イベント当日22日は少し早めに閉めます)


「映画『素人の乱』ドイツ上映ツアー珍道中報告会!」

高円寺北中通り商店街を拠点に、街中でとんでもない大暴れをくり返してきた<素人の乱>。
その狂乱と騒動の軌跡を記録した映画「素人の乱」をひっさげて、2007年12月、なんとドイツにて上映ツアーを敢行! ドイツ珍道中には、主演の松本哉、新宿のインフォショップIRAの成田圭祐も同行。アナーキストがわんさか待ち構えるドイツ! ビールが水より安いドイツ! 何が起きるかわからない! 珍道中の映像もまとめてお届け!

@ 阿佐ヶ谷LOFT A

【出演】
中村友紀(映画『素人の乱』監督)
松本哉(<素人の乱>5号店店主)
成田圭祐(イレギュラー・リズム・アサイラム)

OPEN18:30/START19:30
¥1,500(飲食代別)<当日のみ>
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12月05日 (水) 「定休日だけど何気に開いてるんデー (by 星珍 from 模索舎)」

12月06日 (木) 「325 Collective デー (by A & T from 325 Collective)」

12月07日 (金) 「325 Collective デー (by A & T from 325 Collective)」

12月08日 (土) 「路上から『居住権』を! 真冬のキャンプアウト行動デー (by Kaos)」
          注*IRAは7時くらいまで開店。その後↑でオープンします。売り物はそんなにないだろうけど。映画『素人の乱』の上映もあり!

12月09日 (日) 「黒い行商デー (by Acclaim)」

12月10日 (月) 「もさもさパッチ作りか「ベジしょくどう」やっちゃうYO!デー (by yoyo.)」

12月11日 (火) 「帰国5日前にして住むところなくしたデー (by Brian)」

12月12日 (水)  休み

12月13日 (木) 「似顔絵大会デー (by タケシット)」

12月14日 (金) 「ピーポくんと遊ぼうデー (仮) (by tetetetoto)

12月15日 (土) 「Jongのアート・トークするデー (by Jong Pairez & Kaos)」

12月16日 (日) 「また!? もうネタもねぇっすデー (by 祐三)」

12月17日 (月) 「Song for you作るの?デー (仮) (by Toppie!)」

12月18日 (火) 「目が赤いデー (by Red Eye)」

12月19日 (水)  休み
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先週22日にやった「Lumaban at Mabuhay (フィリピン・ソリ・ナイト)」はたいへんいい感じの集まりとなりました。報告はそのうち。

で、その次の日の23日、「ソリ・ナイト」の中でも取り上げられた「日比経済連繋協定 (JPEPA)」という、9月に小泉前首相とアロヨ大統領との間で交わされた協定について、フィリピン・ダヴァオの友人たちが、ダヴァオの日本領事館に対して抗議行動をしました。その時の写真を送ってもらったので、ここに載せます。

JPEPAでは、日本からフィリピンに輸出される物品の関税撤廃リストに、焼却灰、残渣、医療廃棄物、都市廃棄物、下水汚泥、化学品廃棄物、中古衣類、中古品、などが含まれているということで、「フィリピンを日本のゴミ箱にする気か!」とフィリピンの人たちはとても怒っているのです。

リンク:
フィリピンは日本の有害ごみ溜め?」Jong Pairez (indymedia)




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今週土曜日(12月1日)は以下のイベントに参加のためIRAはお休みです。会場でブース出してるんでそこか、あるいは路上で会いましょう。







反戦と抵抗の祭<フェスタ>2007
——生きのびる

http://blog.livedoor.jp/r_festa/

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12月1日(土)(開場 12:30)13:00-21:00 千駄ヶ谷区民会館
JR原宿駅から徒歩10分 神宮前 1-1-10(資料カンパ500円)
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04年から続けられている反戦と抵抗の祭。今年は農業から原発、労働問題などたくさんのテーマが登場します。話しを聞きたい方、話したい方、話とかいいから楽しみたい方も(?)、歓迎ですのでどしどしいらしてください。

第1部 ========================================
(1) 反グローバリズム 13:00~13:45
反G8
[報告] 成田圭祐(Irregular Rhythm Asylum、NO! G8 Action)×木下茅(NO! G8 Action)
農と食
[報告] 相川陽一(社会学・農業見習い)と若手農業者×抵抗食の会(仮)
[司会] ペペ長谷川(不安定雇用層)

(2) 死刑 14:00~14:30
死刑廃止─わたしの立場
[話し手] 永井迅(統一獄中者組合)

(3) 原発 14:40~14:55
[報告] アツミマサズミ(平和の白いリボン行動東京グループ)

(4) 反戦 15:05~15:50
[報告] 外間三枝子(沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック)×大西一平(立川自衛隊監視テント村)
[司会]茂木遊(戦争に反対する中野共同行動)

第2部 ========================================
デモ 16:15~17:40
能書きタラタラこくのにうんざりしてるんだったらオモテに出ればいいじゃない。
【進路】 千駄ヶ谷区民会館前→明治通り→青山通り→表参道→原宿駅前→千駄ヶ谷区民会館前 (MAP)
【バンド】 aiena, 赤い疑惑, 宇宙ファイターズ (from 宇宙連絡帳+穴水ファイターズ), THE HAPPENING, VOĈO PROTESTA
【DJ】 meenie (from エスコーラ・ヂ・サラヴァ・オベヤ), ラマダン (from エスコーラ・ヂ・サラヴァ・オベヤ), MIXNOISE (from FZRK), A&M (from 325collective, Marginal Profit), ∞+∞=∞ (from RLL)

第1部 (5) ========================================
労働 18:00~18:45
[報告] 日雇い派遣現場で働く仲間+関根秀一郎(派遣ユニオン)
[司会] 梶屋大輔(グッドウィルユニオン委員長)

第3部 ========================================
プレカリ討論 19:00~20:30
「戦争は貧者を求める。貧者は戦争を求めるか」
[提起] 赤木智弘(フリーター、双風舎『若者を見殺しにする国』)×海妻径子(岩手大教員、作品社『近代日本の父性論とジェンダー・ポリティクス』)×植本展弘(賃金労働者、『アナキズム』誌編集委員)
[司会] 雨宮処凛(作家)、山口素明(フリーター全般労働組合)

主催:反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉2007実行委員会
連絡: 東京都新宿区新宿1-30-12-302 新宿事務所気付
TEL: 070-5587-3802 E-mail: war_resisters_fes(at)yahoo.co.jp
http://a.sanpal.co.jp/r-festa/ http://blog.livedoor.jp/r_festa/

【お知らせ】当日は各種取材が入ります。顔を撮影されたくない方は適宜ご対応ください。

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アナキズム文献センター」のカレンダー、2008年度版できました。ぜひ買って下さい。今年はポストカードサイズの卓上カレンダー。500円。ご注文はこちらから。


協力=白仁成昭、近藤千波、戸田三三冬、IRREGUAR RHYTHM ASYLUM/デザイン=成田圭祐/編・発=アナキズム文献センター

※ハガキ大カード(×12カ月)です。/1 Januaro 山鹿泰治のアルバムから/2 Februaro コペンハーゲンの自主管理スペース「Ungdomshuset」/3 Marto 大杉栄/4 Aprilo フィリピンの「Food Not Bombs」/5 Majo 岩佐作太郎旧蔵写真より 花巻メーデー/6 Junio 山鹿泰治のアルバムからスペインのアナキスト/7 Julio ドイツ、ロストックにて/8 Augusto デヴィット・ロヴィックス/9 Septembro 大杉栄遺児・伊藤ルイ姉妹/10 Oktobro シドニーのアナキスト・ブックストア/11 Novembro 伊藤ルイ/12 Decenbro ロストック反G8行動/




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Lumaban at Mabuhay
-Philippine Soli-Night

「ともに抵抗して生存する」
フィリピン・ソリ(連帯)・ナイト!

11/22(木)19時~22時
@poetry in the kitchen
(飯田橋駅東口から徒歩約15分)
東京都文京区水道1-2-6 タトルビル2F
TEL:03-3812-6434
FAX:03-5684-0139
Email: poetryinthekitchen(at)y5.dion.ne.jp


☆10月にフィリピンを訪れたIRA・成田氏によるフィリピン訪問のフォト・レポート。フィリピンの路地裏でストリートチルドレンと食べ物を用意するパンクス、FOOD NOT BOMBSコレクティヴの感動的な闘いや、ダヴァオの日本・欧米輸出用のバナナ農園訪問のこと、各地域のアナキストの活動について紹介。

☆在日フィリピン人の仲間による日本での日々の闘いについてのトーク。
(日本の職場における人種差別の現状や、フィリピーナ問題についてなど、トピックは未定。主に交流。)

抵抗食の会(仮)によるフィリピン「風」なフードの提供あり。フィリピンのpoor people's野菜を中心とした料理を食べて、国際連帯!

★フィリピンで抵抗して生存する仲間に送るカンパ歓迎!(←フィリピン・ソリ (連帯)・グッズもいろいろ販売/配布する予定)

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香田くん

ヨルダンのアンマンにはかつて、イラクで殺された香田証生くんが泊まっていた宿がある。今から3年前この宿から、ひとりのバックパッカーが自力でイラクへ旅立った。
湾岸戦争時から現在に至るまでイラクはアメリカ軍に侵攻されている。この侵攻によって、アメリカ軍は数え切れない程のイラクの人々を殺してきた。また、日本政府はアメリカ軍の支援のために自衛隊をイラクへ派兵している。当然、これらの侵略軍に抵抗するゲリラ(アメリカはゲリラをテロリストと呼ぶ)がイラク国内にはたくさんいる。    
そんな中、三年前、香田くんはアメリカ軍の侵攻に抗していたゲリラに捕ってしまった。ゲリラは彼の解放の条件として自衛隊のイラク撤退を日本政府に要求した。

日本全土に香田くん人質のNEWSが流れた。しかし、日本政府はゲリラの要求を受けいれなかった。そして、彼は殺された。殺される以前はマスコミや世論は彼に同情的だった。しかし、殺された途端、政府をはじめマスコミや世論は手のひらを返し、勝手にイラクにいった彼が悪いと叩きだした。仕舞いには「自己責任」という言葉で彼の存在すべてを抹殺しようとした。

あの日からわたしは、どうしても彼の死が忘れられない。もちろん忘れていることもある、けどつねに胸のどこかにひっかかっている。
それはなぜか。彼がわたしと同じ年だからか?それとも同じ旅人であるからか?アメリカ軍をはじめあらゆる戦争に反対していたからか?彼に対する日本政府の対応にか?死んでしまった彼になおも侮蔑をはき続けたマスコミや世論にか?

おそらくすべてにひっかかっている。大半のマスコミは彼が「なぜ」イラクへ行ったのかなんて語らなかった。香田くんは一体、イラクでなにをしたかったのか?
KODAホテル(香田くんが泊まっていた宿の従業員、サメール氏が香田くんに追悼の意を込めつけた名)に置いてあるノートにその「なぜ」の答えが記されていた。

香田くんは戦争によって傷ついたイラクの子どもたちを助けたいと思った、テレビでは流されない現実を自分の目で見ようと思った。そして行動した。
ノートにはイラクへ行く前に香田くんがサメール氏に渡した写真が貼ってある。この写真にはアメリカ軍の爆撃によって傷ついたイラクの子どもたちが写っている(この写真は後日香田くんの家族がコピーしてサメール氏に送ったもの)。
わたしはアンマンの宿「KODA ホテル」に来るまでは、香田くんがイラクへなんのために行こうとしたか知らなかった。だから、わたしのようにそれらを知らない人のために、ここにそれを紹介したい(香田くんがなぜイラクへ行こうとしたかなど、一部の本や雑誌で言及されている)。


 どうしたって、私には香田くんの死が忘れられない。私は、KODAホテルに飾られた香田くんの遺影に炊き立ての飯とウォッカを供えた。そしてお経をあげて供養した。この遺影は香田くんの家族がサメール氏に渡したものだ。
しかし偽坊主だろうが高僧だろうがいくら供養したからってなにか変わるわけではない。変わるのは私の気持ちだけだ。私は、彼の遺志を勝手に引き継ぐだけだ。彼がしたかったイラクの子どもたちを助けたいという気持ちを。そして、彼が残していったイラクの爆撃で傷ついた子どもたちの写真、このような状況をこれ以上作らないための行動をすること。そして、彼の分も生きること。そう勝手に思う。

 このアンマンの宿には、なんだか旅中の香田くんがいるような気がしてしかたない。そして彼は彼と同じように世界を旅する私たちの背中のリュックを後押ししてくれるような気がする。錯覚かもしれないが、そう思う。






(このビラは、KODAホテルのサメールさんが話したものを旅人がまとめたものです。うまく読めるといいのですが。)


追記1 ヨルダンやシリアには多くのイラクの住む場所を奪われた難民が逃げてきている。私の話したイラク人の医師はアメリカ軍が多くの人々を殺してきたことについて話してくれた。悲しみか怒りのせいか言葉がつまり話が途中で中断してしまった。
そして、その晩、私と数人の日本人とイラク人とアメリカ人とオーストラリア人とドイツ人で、パレスチナ人がアメリカでタクシードライバーとして働くという映画「THE ZIGIZIGI LAND」を観にいった。映画自体はパレスチナ人のタクシードライバーが乗客とのやり取りを通して、アメリカ社会全体の病理をシニカルに鋭く切り開き、イスラエル政府によるパレスチナ人へのアパルトヘイト(隔離政策)を痛烈に批判している。
ひとつの映画を通してパレスチナ問題をイラク人、アメリカ人、日本人、オーストラリア人、ドイツ人、○○人という括り、国家や民族、立場を越えて、一個人として語り考えることは意義あることに思った。これは、映画や芸術が持つ力にも思う。
それに、厄介な立場を除いてしまえば、個人としてはみんな戦争に反対している。ここから、パレスチナ人隔離政策、イスラエルの侵略、米軍のイラク侵略、それを支援する日本政府をはじめ各国の政府のやり方を変えてゆく第一歩になると思う。あとは、日々の生活の中に実践として取り入れてゆければ、ゆっくりとでも、草の根はぶっとく地に根をはると思う。

追記2 レバノンのパレスチナ難民地区へいってきた。銃痕が残る下町を粋のいい子どもたちが走り回っていた。町はさまざまな店でにぎわい活気に溢れていた。町中にパレスチナの旗が揚げられ、そこいらじゅうにパレスチナ解放のポスターが貼ってあった。まだまだ、パレスチナへの帰還への道は終わっていない。世間が勝手に忘れても、彼らはアスファルトを突き抜ける雑草のように生きている。






そこでわたしは一軒のパレスチナ解放グッツ屋にいってきた。さっそくTシャツやパレスチナストールなど数点購入しました。そのうち、IRAに届くと思うので興味のある方是非購入ください!!(届きました! -IRA


THURSDAY, NOVEMBER 15, 2007
"Koda-kun" by Naoki Shiga
translated by Shiori Yamazaki

There is an inn in Amman in Jordan, where Shosei Koda, who was killed in Iraq, had once stayed. One backpacker set out for Iraq by himself from this inn three years ago.

Iraq has been in a state of invasion by the US Army from the Gulf War up until the present. The US Army has killed countless Iraqis during this invasion. The Japanese government also has dispatched the SDF (Self Defense Force) troops to support the US Army. There are many guerrillas, of course, in Iraq (the US calls guerrillas terrorists), who resist these invading armies.

Under these circumstances, Koda-kun was captured three years ago by the guerillas who were resisting the US army’s invasion. The guerrillas demanded that the Japanese government withdraw the SDF troops from Iraq, as a condition of Koda-kun’s release.

The news about Koda-kun being taken as a hostage spread all over Japan. However, the Japanese government didn’t accept the guerrilla’s demand. And he was killed. Mass communication and public opinion expressed sympathy toward him before he was killed. As soon as he was killed, however, mass communication and public opinion, from the government on down, all of the sudden, started to criticize Koda, depicting him as the bad guy, who had selfishly gone to Iraq. In the end, they tried to deny his entire existence by using the word “jikosekinin [self-responsibility].”

Since that day, I’ve never been able to forget about his death. There are, of course, occasions when I forget, but it’s stuck somewhere in my heart all the time.

Why is that? Is it because I am the same age as him? Or is it because I am a traveler like him? Or is it because I’ve opposed all sorts of wars such as the one being carried out by the US army? Or opposed the Japanese government’s reaction toward him? Or opposed the mass communication and public opinions, who kept insulting him, a man who had already died?

Probably, all of these things have stuck in me. Most of the mass communication didn’t talk about such a thing as “why” he went to Iraq. What on earth did he want to do in Iraq?

The answer was written down on a note, which was left at KODA hotel (Mr. Samer, an employee of the inn where Koda-kun stayed, named it after Koda-kun to mourn him).

Koda-kun wanted to help Iraqi kids who had been hurt by the war, and he tried to look at reality with his own eyes, the reality which TV doesn’t show. And he acted.
There are pictures in the note which Koda-kun passed Mr. Samer before leaving for Iraq.

There are Iraqi children in this picture who have been hurt by the US army’s bombings. (Koda-kun’s family made a copy of this picture and sent it to Mr. Samer later.)

I had no idea for what reason Koda-kun tried to go to Iraq until I came to the inn, “Koda Hotel” in Amman. So, I want to introduce it here for those like me who didn’t know about it. (The reason why he tried to go to Iraq has been referred to in some books and magazines.)

I couldn’t for the life of me forget about Koda-kun’s death. I offered rice hot from the pot and vodka for Koda-kun’s picture, which was decorated in Koda Hotel. Also, I chanted a sutra and said a mass for him. This picture [of Koda-kun] is the one which Koda-kun’s family passed on to Mr. Samer.

Nothing changes, however, even after a fake monk or a high priest holds a mass. The thing that’d change is just my feelings. I just take over his will as I like – his wish to help Iraqi children. And I act to disallow this kind of situation [which is portrayed in the] pictures of Iraqi children, who have been hurt by bombings. I will also live his life as well. I like to think of it in this way.

I can’t help feeling that Koda-kun, who is on trip, is in this inn in Amman. I also feel that he is supporting us who are traveling around the world like him. This might be an illusion, but I feel it is so.







(These notes are the story that I gathered from what Mr. Samer of Koda Hotel told me. I hope you can read it well.)

P.S.1 Many refugees, whose homes in Iraq were taken, have been escaping to Jordan and Syria. The Iraqi doctor who I talked to told me about the many killings by the US Army. Our talk was interrupted because we were at a loss for words, because of either sadness or anger.

And on the same night, a few Japanese, Iraqi, American, Australian, Germans and I went to see a movie called “the Zigizigi Land,” which is about a Palestinian who works as a taxi driver in the US. The movie opens up the pathology of the whole American society, cynically and sharply shown through the conversation between the Palestinian driver and the passengers. It criticizes severely the apartheid toward Palestinians by the Israeli government.

I thought that it is a significant thing to be able to talk about the Palestinian problem through one movie with everyone, as individuals, beyond our nationalities, races, and situations such as being Iraqi, American, Japanese, Australian, or German. I also think that it is [because of] the power of movie or art.

Besides, we all are against the war as individuals when we get rid of our delicate positions. I think that it is the first step to change how each government deals with Palestinian apartheid, Israel’s invasion, and the US Army’s invasion of Iraq, starting with the Japanese government who supports them. Then, if we could take them into our daily lives practically, even it’s slow, I think they would have widespread grassroots support.

P.S. 2 I went to the Palestinian refugee’s area in Lebanon. Kids full of energy were running around downtown among the remains of gunfire. The city was full of life with various kinds of shops. The Palestinian flags were displayed and the posters of Palestine releases were put up all over the town. The road of returning to Palestine hasn’t ended yet. Even if the world forgets when it’s convenient, they’d live like weeds which grow through asphalt.


I went to a shop there which sells Palestine releases. I bought some T-shirts and Palestine stoles. Please purchase them when they get to IRA soon if you are interested. (They are here! IRA)

Labels: Anti-War, Palestine, shiga
POSTED BY IRA_K AT 2:57 PM

Samer notes:

There was a phone call to Cliff Hotel from an Arabian man (I think he is a Taxi driver.) at around 4 in October 19th, 2004.

“There is a Japanese person who wants to go to your hotel. Can you tell me the address?” he said.

Koda came to Cliff Hotel with the driver 5 minutes later.

He didn’t even mention about Iraq at first, but said “I want to stay at a dormitory,” so I took him to his room and was writing his name (check-in). (The interaction around here is a little different from the book by Yuji Shimokawa, but I’ve just recorded the story of Samer himself.) [Yuji Shimokawa wrote a book called “Why Shousei Koda was killed?”]

Then, he suddenly said “I want to go to Iraq. Can you tell me where I can use a service?”

“It is too dangerous to go there by a service,” I said because the people who use a service are only tourists and there is a risk of being targeted.
And Koda said “I have to go.”

I asked the reason, and he said “I want to help Iraqi children. I want to go to Iraq, look at what is going on with my own eyes, and tell the Japanese people when I return to Japan.”

I answered “you can only go by bus if you really want.” He said “OK. Please make a reservation now.” I could have made a reservation if I wanted to, but I thought there’d be a chance that I could stop him, so I lied saying “it’s too late to make a reservation today.” He returned to his room saying “then please make a reservation on tomorrow’s bus.”

It was around 4:30pm when Koda came out from his room and went out to buy a sandwich and ate it at the balcony in the back of reception.

After that, he went back to his room, and after a while, he was looking at an information note standing in front of the bookshelf in the lobby. And he went back to his room right after that.

He looked different from other tourists. (he seemed like he was thinking about something.)

After half an hour, he came out from his room, sat on a chair for a long time in the balcony, and was looking out the street. I was worried about him, so I went out to the balcony and talked to him asking “do you still want to go to Iraq?” He just answered “yes” with a serious face. I asked a guy who was staying at the Cliff hotel at that time to talk to Koda. I wanted him to quit thinking about going to Iraq by talking to a Japanese person.

That guy went out to the balcony, and talked with Koda. I tried to make him comfortable by telling some jokes “haven’t you changed your mind? If you really go to Iraq, you will be on Aljazirra (a news program of a satellite TV company in Qatar.)”
The other guy laughed at it, but Koda didn’t show a smile. He seemed upset.

After that, Koda and that guy talked for a long time. After they finished talking, the Japanese person said “He’s insisting on going to Iraq. No one can stop him.”

Koda woke up at around 10 the next morning (October 20th), asked me “did you make a reservation?” I answered saying “I did it for the bus leaving 6pm,” but it was a lie, because I thought there was a chance I could still stop him. He checked out at noon and was sitting the couch in the lobby, and I asked him many times “you haven’t changed your mind about going to Iraq?” but he said “no, I haven’t.”

I had to make a reservation by 2pm if I needed to make a reservation, so I asked him once again before 2. But he didn’t change his mind about going to Iraq. So, I had to make a reservation for a bus. I couldn’t stop him.

Koda passed me one thing at around 2 or 3 pm saying “please keep this until I get back from Iraq.” It was a stone that he picked up at the Dead Sea, a towel, and pictures of Iraqi children. There were about 10 pictures, and portrayed children who hurt by the war. Koda said “I got them from a Japanese person.”

After he died, I sent them to his family, and they sent me back one copy of the pictures and Koda’s picture. (they are in Samer’s book.)

The picture of children who they sent me was ok. Those pictures were the children who were hurt much worse than that. I think Koda wanted to do something for these kids.

Koda kept reading the information note until the departure, except for a time when he went out. The Japanese man (who talked with Koda last night) and I went to the bus terminal with Koda to see him off at around 5pm. He said “Assalam/Good-bye,” and took off on the bus.

2 hours after we saw him off, I decided to make a phone call to the Japanese Embassy. I said “A Japanese person, who is called ‘Shousei Koda’ left for Iraq 2 hours ago. I don’t think he has reached the border yet. I want you to stop him if possible.” The embassy said just “Thank you for your call. Please let us know if you get some more information.”

After that, I called someone who I know working at a hotel in Bagdad and asked if a Japanese person came or not, but I was told that he hadn’t. I was sure that Koda would go to the hotel because I told him about it, so I called again after a while. Then hft let him stay.”

A person from United Nation, who Mr. Samer knows, called the hotel at around midnight on 26th and said “A Japanese person was captured as a hostage in Iraq. Please watch either Aljazeera or NHK.” I turned on TV, and found Koda, who was surrounded by an armed group. I was so surprised and shocked.

When I found that Koda was captured by the element of al Qaeda lead by Zarqawi, I felt desperate like “if the Japanese government didn’t do anything during the time al Qaeda is demanding, he will be killed for sure.”

After that, people came from the Japanese government (foreign ministry) to Cliff Hotel, and asked me about various kinds of things concerning Koda. But when the three including Takato-san [and Imai-kun] were captured as hostages in Iraq a half years ago [2004], various kinds of people like the foreign ministry, the SDF, the Jordan government, came many times, and asked me many more things, and it was chaos.
But, this time with Koda wasn’t like that.

I’m wondering if they were thinking that he would be rescued like the three, and not be killed. I thought, however, “this is dangerous.” The al Qaeda group who caught Koda was too dangerous.

Later, there were two reports saying “Asian’s dead body was found,” but it wasn’t Koda. But I learned that he was found dead at 10pm on the 30th by the news. There was a phone call from the Japanese government that told me that he had been killed.

2 days later, I received a phone call from his family, and I apologized. They said “it’s not your fault.” When I found out that Koda was killed, I swore that I would name the hotel after Koda when I own it- which is my dream- and never forget about him.

A few months later, I called the Japanese Embassy, and asked them to tell Koda’s family “I want to name the hotel ‘KODA HOTEL’.” 1 week later, his family sent me a fax saying “thank you very much. When you make a hotel, please use his name, either KODA or SHOUSEI is fine.”

But, I was told that the City of Jordan can’t allow me to use “KODA HOTEL.” (I wonder if that was because it’s a personal name or because of the incident.) Actually, there are some procedures to change the name of the hotel which I will take over, and it takes time and money. It is too much, so I will start with the hotel’s name as it is now, but when I have more time and money, I will try to change it to ‘KODA HOTEL.’

But if I could open a hotel, I’ll write ‘KODA HOTEL’ in Japanese under the hotel’s name (so that the city wouldn’t know it.) try not to forget about him ever, and I don’t want people to forget about him.

[the translator’s note: Mr. Samer did open his own hotel whose name is KODA HOTEL on October 1st this year.]
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